第15話 佐和 vs 壮空

「佐和、こっち……」


「早河さんっ、ごめんね!」


 翌朝、教室の出入口で不安顔で待つ佐和を見つけると、私はそのまま廊下を先に立って歩き始めた。ショートホームルームまでは一時間も早い時間。電車通学の佐和が何時に起きてくれたんだろうと思うと、その優しさに胸が痛んだ。

 佐和は走って私の横まで来ると、顔を覗き込むようにして謝る。


「……何で佐和が謝るの?」


 私はツンと込み上げてくる鼻奥の痛みに耐えながら、佐和の顔を見ることなく一定の速度で歩き続けた。


「僕、もっと早河さんの気持ち考えてから言うべきだったんだ。僕は後押しするつもりだったけど、早河さんは……」


「待って、佐和。誰にも聞かれない場所で聞いて、欲し……っ」


「聞くからっ。泣かないで、早河さん……」


 佐和のブレザーを掴む私を泣きそうな顔の佐和が見つめる。また私が歩き出すまで、その佐和の拳が固く握られているのに顔を伏せる私は気付いた。



「えっ? こ、ここって入っても怒られないの?」


「怒られる、かな」


 初めて自分の鍵で開けた施設棟屋上の扉。壮空そらとの秘密の場所に、私は佐和と一緒に足を踏み入れる。

 どこか拒むような肌寒い風が、頰や髪をさらって一瞬強く吹き抜ける。もうここへは来ちゃダメだって言われてるのかもしれない。


 壮空とは先輩との追いかけっこの後、授業サボって一回来たきりになってた場所。その時は佐和が、私を保健室に行ってることにしてくれたって愛海から聞いて、あれからちょっとサボりにくくなった。壮空には最近、文化祭準備で忙しいからって言い訳してるけど。


 でももう、別にいいよね。


 昨日の夜遅く「終われなかった」ってメッセージを佐和に送った。言おうとしたけど、私、間違ってたって正直に。

 しばらくして返信があって、佐和は逆に自分が追い詰めたんだって思ったみたいだけど、それは違う。そのことも伝えたくて今日ここに連れて来た。


「自分が嫌になる。今までくだらない理由で付き合ってきた人もそうだし、色んな人巻き込んで佐和にまで迷惑掛けて。ごめん、佐和。だから佐和は気にしないで」


「そんなこと……」


 屋上の壁際にあるコンクリートの程よい段差に並んで腰掛けて、私が一通り話し終えるまで佐和は黙って聞いてくれた。それだけでも、例え気分は晴れなくても一人で抱えてるよりずっといい。

 佐和とならそう思える自分がいることに、話しながら自然と感じていた。何を言っても佐和なら受け止めてくれる。そんな根拠のない安心感がある。ただ、甘えてるだけなのかもしれないけど。


「私、こんなに自分のこと嫌いだって思ったこと、今日以上にないや。佐和も、もういいよ」


「え……?」


「今までありがと。とりあえずは、文化祭のことだけ考える」


 言うなり立ち上がる私を、佐和が慌てて呼び止める。振り向くと、少しの間考える素ぶりをした後で、微笑む佐和が口を開いた。


「ねぇ、早河さん。僕、早河さんのこと迷惑だなんて思ったことないよ。むしろすごいなって思うよ?」


「えっ、すご、い……?」


「うん。だって真中君は初恋の人でしょう? 早河さんだってすごくモテるのに、それでも一途に想い続けてる早河さんも、想われてる真中君も本当にすごいなって思う。僕にはそんな相手いないから、羨ましいくらい」


「……う、ん」


 ただの片想いをすごいと言われても正直嬉しくない。俯く私に佐和は続ける。


「だから、仕方ないよ」


 繋がれた言葉の意味が分からなくて、私は顔を上げた。佐和は笑顔だ。


「初めての恋だもん。どうすればいいかなんて分かるわけないよ。悩んでも、迷っても、自分のこと嫌になるくらい周りに迷惑掛けたってしょうがないよ」


「え……」


「しかも相手はかけ引きなんて動じなくて、すごくモテて、彼女だっていて、なのに誰よりも傍にいて守ってくれる幼馴染だよ。そんなマニュアルにも載ってないイケメンが毎日隣にいて、優しくされたら浮かれないわけないじゃん。目の前で彼女とイチャイチャされて傷付かないわけないじゃん。近くにい過ぎて忘れる時間なんてあるわけないじゃん。それで泣かない人っている? 僕なんかもっと泣いてると思うよ。たぶん毎日大号泣だよ」


「佐和……」


 また一粒、涙が伝う。

 佐和はいつも私の心に共感して、優しく溶かす。


「だから早河さんは自分のこと嫌いにならないであげて? 僕が頼りないだけで、早河さんはすごく頑張ってるよ。辛い時には話聞くから、だからもう一回、早河さんの気持ち考えてみよう? ゆっくりでいいから」


 そう言って最後に自信無さげに首を傾げる佐和に、私は言葉を返すことができなかった。


 何それ、勉強しただけで恋愛上級者みたいな励ましができるってどんだけ神アプリなのって思いながら、昨日流したのとは確実に違う涙が溢れ出るのを声を殺さずに両手で受け止める。

 私が泣き止むまで黙って待っててくれた佐和がその時、どんな表情をしていたのかは歪む視界の向こうで見ることはできなかった。




「……顔、やっぱ分かる?」


「そう、だね」


「じゃ、教室でマスク貰ったら後で顔洗って来るー。それまで佐和、私の前歩いててよ」


「う、うん。いいけど、逆に目立つような……。すぐ持って行くから、もう少しいれば良かったのに、屋上」


 教室までの廊下を、私は顔を伏せながら佐和の後ろにピッタリついて歩く。泣き過ぎて声もおかしい。

 SHRまで後十分位だろうか。行きよりも生徒の足音も声もロッカーの開閉音も増えたけど、気にしない。


 自分で言うのも何だけど、あまりにも無防備に泣いてしまって、気付いたら顔を上げるタイミングを失ってた。佐和が「戻れそう?」って聞いてくれた時にはただ恥ずかしくて、それからなんか理不尽に佐和にわがままっ子みたいな態度取ってる。


「やだ。今、一人でいたくない。ていうか、自分が見つかったら怒られるとか言ったクセに」


 これ以上無い位佐和に自分を晒して、もう怖いものなんて無い気分。うん、たぶん思い切り甘えてる。


「そうだけど、でもあの場所なら立入禁止で誰も来ないだろうし……あ、どうしよう」


 突然立ち止まった佐和の背中に軽く頭をぶつけて、私も同じように立ち止まった。


「早河さん、どうしよう」


「だから、何が……」


「もー」と文句を言いつつ髪を直しながら目の前の佐和を見た時、


「立入禁止の場所って、どこの話? 今日、朝から実行委員の仕事があったんだよな?」


 その声にビクリと体が反応して、私は最後まで顔を上げられなかった。


 ——壮空の声っ!


「美乃梨、まさか……」


 屋上の鍵をしまったバッグを無意識に強く持ち直す。このことを知ったら壮空は……どう、思うんだろう。何も浮かばない。


「ねぇ、真中君」


 そんな無言の私に代わって、まるで空気なんて読んでいないかのような佐和の声が響いた。


「……何?」


「昨日のヤマダ君って、そんなにいい人なの?」


 佐和の突然の質問に壮空は虚をつかれたように、私は驚いて佐和を見た。壮空は登校したばかりなのかバッグを肩に掛けてる。


「は? ヤマダ? いいやつはいいやつだけど、何急に……?」


「だって昨日、早河さんに紹介しようとしてたよね?」


 ——何で今っ?


 私は意味を察して「佐和、やだ……」って佐和にだけ聞こえる声で制し、佐和のブレザーの後ろを引いた。けれど、佐和が発言を取り消す様子は無い。構える私に壮空の答えが届く。


「紹介? 何で俺がそんなこと」


「えっ、違うの? でも、今度ヤマダ君と話す時間取るみたいなこと言ってたよね?」


「はあ? あれは、ヤマダには悪いけど適当にあしらっただけで俺はそんなつもり無い。美乃梨が話したいなら別だけど、それでも紹介なんて自分がされたくないことはしない」


「あれ、そうなんだ? じゃあ、次付き合うならって言ってたのは?」


 少しだけホッとしたのも束の間、再び緊張が走る。


「あ、あれは……もしまた付き合うなら相手よく見てああいうタイプ選べって言っただけで、別にヤマダを勧めた訳じゃない。むしろ俺は、しばらく付き合わないでいてくれた方がいいって言おうとしたのに……」


 私は顔を上げて、佐和の後ろから隠れるように壮空を見た。照れて、る?


「えっ、それってどういう意味?」


 佐和はあくまでも純粋に追求していく。


「は、はあ? どうって……っ、だからっ、美乃梨が心配だって前に……って、何で佐和にこんな話っ」


 嘘みたいに聞き出してく壮空の本心に、私の顔と心が熱くなってく。佐和の天然聞き上手は壮空にも有効なんだって、変な感動したりして。

 そんな壮空に、変わらない調子で佐和が続ける。


「早河さん、困ってたんだって」


「えっ?」


 私と壮空の声が重なった。何を言うつもりなのって、別の緊張で佐和のブレザーを持つ手に力が入る。


「真中君にタイプじゃない人紹介されそうって。真中君だからこそ、もし紹介なんてされたら断りにくいし、自分のこと思って紹介してくれるなら困ってるとも言えないって。優しいよね、早河さん」


 笑顔でまとめた佐和の答えに、私は感動を通り越して尊敬すらした。これはいつもの天然なんだろうか。思わずじっと見つめてしまう。


「あっ、そ。……つーか、佐和と美乃梨ってすげー仲良いんだな。俺には言えないこととか、佐和には言ってんだ」


 ——え? 壮空?


 聞いたことのない台詞と、私と佐和の距離に視線を送り、見たことのない表情をする壮空に一際強く胸が鳴った。


「真中君より僕の方が早河さんの気持ち分かるのかも」


「……何っだ、それ」


「さ、佐和?」


 まるで壮空を煽るような言葉にさすがに焦る。もうこれ以上はいいのに。


 ——どうしたんだろう、佐和?


「僕、男子より女子の気持ちの方が分かる気がするんだ。何でだろう?」


 両頬に手を当てて考える佐和に、


「そういう意味かよっ」


「けど、なんか分かるわ」って拍子抜けしたように呆れてる壮空。佐和の後ろで顔を隠しながら、それに戸惑う、私。

 少しだけ速くなった鼓動にそっと手を当てた。


 タイミング良く鳴り始めたチャイムに「じゃあ」って左右に別れて教室に向かう途中、


「佐和……ありがと。いろいろと」


 照れ臭くて俯く私に佐和が眩しい笑顔を見せた後、コッソリ耳打ちする。


「ねぇねぇ、早河さん。真中君、ちょっとヤキモチ焼いてなかったっ?」


「へっ? ……う、うん。ちょっと、思った、かも。あんな壮空、初めて見た……」


「だよねーっ」て嬉しそうにはしゃぐ佐和を見て、私はつい心から笑ってしまった。

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