第14話 最後の告白

 ローテーブルの上で私のスマホが着信を告げる。午後十一時過ぎ。丁度リビングから部屋に戻って来たタイミングだった。

 相手は。


 ——壮空そら


 ちらりとカーテンの引かれたベランダの方を見る。発信源は、たぶんその先だから。スマホを手に取り無心で応じる。


 むしろ好都合。


 耳にスマホを当てると同時に、落ち着いた壮空の声が届いた。


「美乃梨、ベランダ出られる? あ、暖かくして来いよ」


 昼休みと変わらない口調と、ベランダに出ることが決まってるみたいな言い方に薄く笑いそうになりながら、ベランダ側に背を向けて私は静かに問い返す。


「……何? 電話って珍しい」


「いや、何か最近疲れてそうだし、朝も眠そうな感じしたから行くのやめとこうかなって。でも、少し話したいんだけど、ダメ?」


 ——そういうのはすぐ見抜くんだ?


 ふっと小さく嘲りにも似た笑いが漏れた。私は「ちょっと待ってて」と言いつつ椅子に掛けてあったチェック柄のブランケットに包まって、ベランダに通じるカーテンと窓を開けた。瞬間、夜の匂いと共に冷やりと冷たい空気が顔に当たる。この時間でも窓から明かりの漏れる家々は多く、通学路になってる県道から聞こえて来る交通量も、帰って来た午後八時過ぎと変わらないように感じる。


 その明かりの漏れる窓の一つ、視線の先には、見慣れたカーキ色のアウターを着込んで自室のベランダの柵にもたれる壮空がいた。私はベランダまでは出ず、窓枠ギリギリの部屋の中に横向きに座り込む。


「今日、何か怒ってた?」


 離れた場所からの壮空の視線を感じながら、顔は見ずに壮空の声だけを聞く。

 話し掛けてくれた壮空を無視して、佐和の手を引いて立ち去った昼休みのことを言ってるんだろう。それしかない。

 私は小さなため息混じりに答えた。


「……別に。急に委員会入ったからイライラしてただけ」


「で、今もまだ俺に当たってるワケ?」


「そうだよ」


「ははっ。ひでー」


「……悪い?」


「いや。いいよ、美乃梨なら。全部聞くっつったじゃん」


 胸が鳴る。


 佐和の言葉が押してくる。




 委員会の終わった直後、私たちは渋る委員長から会議室の鍵を預かって、その場で話をした。私からの初めての恋愛相談。

 二人きりになった会議室に向かい合って座って、答える佐和の顔は真剣そのものだった。


「今すぐ吹っ切る方法は、気持ちを、伝えることだよ」


 私は佐和の言葉にワンテンポ遅れて反応した。


「……はっ? 気持ちって何?」


「早河さんが、真中君に好きって気持ちを伝えることだよ」


「なっ、そんなのっ、できるわけないじゃん! 何でそうなるのっ? そんなの、ただの告白と一緒じゃん……っ」


 動揺する私に、佐和は真剣なまま続ける。


「一緒だよ」


「……え? どういうこと?」


「聞かれたからアプリに書いてあったまま言うけど、早河さんの場合、ずっと気持ちを隠したままだから前にも後ろにも進めないんだと思う。今の真中君は、中学の頃の真中君とは違うよね? だって早河さんに冷たく接してる真中君、僕、見たことないし。確かに、彼女がいるから振り向いては貰えないかもしれない。でも、今の真中君の言葉の意味も、行動も、本人に聞かずに早河さん一人で想像して、結論付けて、落ち込んで。僕の知る限り、せっかく良い雰囲気になりそうなのに遠ざけてるのは、いつも早河さんの方だよ? ちゃんと気持ちを伝えて、真中君がどう思ってるか聞けばはっきりするのに」


 厳しい位の物言いとは裏腹に、自分が傷付いたみたいな顔をして話してくれた佐和の言う通りだ。全部。

 もう五年間も、ずっと同じことの繰り返し。


 本当は分かってた筈なのに、ただ先延ばしにしてただけだ。

 壮空との関係が壊れるのが怖くて。


「……たぶん、今の二人見てたら、早河さんが怖がってる結果にはならないと思うよ?」


「えっ?」


 ドキリとした。

 ポツリと続けた佐和の言葉に、はっとして佐和を見る。さっきまでの真剣な表情から、どこか窺うような、少し自信を無くした顔に戻っていた。


「あ、これはアプリじゃなくて僕が思ったことなんだけど……。早河さん、気持ちを伝えることで真中君と今みたいに話せなくなるの、怖いのかなって。だって普段は、兄妹みたいに本当に仲良いし。でも、だからこそ、もしフラれたとしても、早河さんが望めば真中君はこれまでどおり友だちでいてくれるんじゃないかなぁって。あっ、でも、もし、もしもそうじゃなかったとしても、って無いことを祈りたいけどっ。一人でいるのが辛かったら、僕も貝原さんもいるからっ! 早河さんが元気出るまで、何でも話聞くから! って、今こんなこと言ったらフラれるの前提みたいだよね? ごめんっ。えっと、だから……」


 佐和の不器用な優しさが、ゆっくり何かを溶かしてく。私が、そんなに分かり易いんだろうか。それとも、佐和の共感力が高いんだろうか。

 とにかく、その瞬間にまた一つ、心の奥の硬い硬い何かが消えて無くなった気がした。


「本当に……?」


「えっ?」


「伝えたら、吹っ切れる? 一人になったら、話、聞いてくれる?」


「……うん。本当だよ」




 気付くと、ベランダの壮空を見てた。壮空は頭を柵に預けて、夜空を見上げてる。「今日は星、あんま見えねーな」って呟きが、スマホを通して間近に聞こえて来る。


 少しだけ勇気を出して……。


 それも、佐和が教えてくれたことだ。


 そうだ。待ってたってよっぽど嫌われるようなことでもしない限り、今の壮空から「大キライ」なんて言われることは絶対に無い。


 伝えたら、終われる。

 はっきり壮空の口から、私のこと好きじゃないって、そんな風に見られないって言って貰えたら。


 そうすれば、この長く抜け出せない片想いを終わらせることができるんだ。


 顔を戻し、ぎゅっと強くスマホを握る。勇気を出して、口を開く。


「……そ、壮空」


「んー?」


 目をきつく閉じて、壮空に、最初で最後の想いを伝えるんだ。今日こそ!


「好、き……」


 ——あ、声、震える。詰まってうまく話せない。ちゃんと聞こえたのかな? 電話越しなのに、心臓の音まで聞かれそうっ。


「何て?」


 普通に聞き返してくる壮空に、聞こえてなかったんだって焦った。


 何これ、普通の告白みたい。

 私のは違うのに、何でこんなに……。


「あの、あのねっ、すき……っ」


 顔を上げて横を見ると、ベランダ越しに視線がぶつかって、無言で壮空と見つめ合った。築十七年。私たちと同い年の一戸建ての向かい合う窓の向こう。間に小さな庭を挟むから、高さは同じでも、手は全く届く事の無い距離。


 少し肌寒さを感じる夜風が邪魔なもの全部取り払って、今日はやけに空気が澄んでるように感じる。だからなのか、壮空の顔が逆光でもはっきり見える気がする。


 胸が鳴る。さっきよりも力強く。


 終わる為の告白なのに、何でこんなに想いが溢れてくるんだろう。どうして逆の未来を求めてしまうんだろう。

 佐和が最後に、あんなこと言うからだ。



『それに、もしかしたら上手くいく可能性だってあるよね?』



「すき……?」


 おうむ返す壮空の声にビクリと反応して、


 ——あっ、私……っ。


「すっ、すっ、すきっ、そうっ! すき焼き食べたくないっ?」


「は? すき焼き? 何で今、すき焼き?」


「壮空好きでしょっ」


「そりゃ好きだけど……。ぶっ。美乃梨、意味分かんねーっ!」


 慌ててごまかした私に、爆笑する壮空。気付かれて、ないよね。


 ——わ、スマホ、落としそうっ。手が震えてるっ。


「あ、うるせーって怒られたから、そろそろ寝るか」


「う、うう、うんっ。だねっ。おやすみ、壮空っ」


「あ、待って、美乃梨」


「な、何っ?」


「美乃梨に告られましたって、おじさんに……」


「してないからーっ! すき焼きだからっ。おやすみっ」


 急いでこっちから切って、向かいは見ずに窓とカーテンを閉めた。

 がくんとその場に崩れ落ちる。


 動悸と息が走った後みたいに激しい。


 こんなんじゃない。



 ——私、バカだ。言えば良かったじゃん、最後まで。『壮空が好き』って。それで、全部終わったのにっ。



 あれ、と思う。

 私は今、心と身体が別々の感情を叫ぶ、あの感覚に覆われてる。そう気付く。


 そういう時は大体。

 余計なことを考えない、身体の方が本当の感情。


 私が本当にしたかった告白は……。


 ポロリと、床につく手の上に水滴が落ちる。髪に覆われて影となり、その色までは分からない。ただ、熱いとだけ感じた。


「私がしたかったのは、こんな告白じゃなかったよっ、佐和……っ」


 本音が、心とは別に勝手に口をついて出て来る。

 瞳から、とめどなく涙が溢れてくる。

 情け無い自分に、自分のことなのに、全部他人に委ねてる自分に嫌気がさす。


 声を殺して泣くのはもう慣れた。

 布団が無くても今は大丈夫。


 けれど佐和はまだ、こんな私の話なんて、聞いてくれるのかな。

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