第13話 夢

 朝起きると、壮空そらは十五分、私は四、五十分かけて登校の準備をする。

 八時少し前に、一番最後に家を出るお母さんに向かって「行って来ます」って声を掛けてから玄関を出て、真っ先に空を見上げて天気を確認する。


 晴れなら緊張。今日は屋上、誘われるのかなって。

 雨なら安堵。壮空からの気まぐれの誘いを、気にしなくていいから。


 今日は曇り。確率は半々ってところかな。

 ……全っ然、期待なんてしてないけど。


 でも、門扉を出て隣り合う駐車スペースの前にはいつも、


「美乃梨、おはよ」


「……お、はよ」


「今日からブレザーも着んの?」


「あ、うん。帰り、結構寒いから」


「最近、遅いもんな。風邪引くなよ。帰りそれでも寒かったら、俺のパーカ勝手にロッカーから取って使っていいし」


「えっ? あ、雨降ったら遠慮なく使うよ。自分の濡れなくて済むしっ」


「ばーか。そん時は遠慮なく連絡しろよ。迎え行くし」


「はあ? すっ、するワケないじゃん! 早く帰りたいしっ」


「俺の好意全部ムダな」


「だ、だって……」


「……そっか、車持ってる彼氏いたんだったな」


「っ!」


 私の感情を短い周期で移ろわせる、壮空がいる。

 学校までの徒歩三十分。いつもは他愛もない話で終わるのに、急に優しいことばっかり言われても困る。


 ——壮空、怒ったのかな……?


 今、佐和がいたら、確実にあの目で咎められるんだろうなと思う、けど。


 半歩前を歩く壮空をちらりと見る。手は繋いでなくても、いつもの心地良いペースで歩いてくれてる。危険を感じた時には、ほら、さり気なくすぐ横に移動して庇うように背中に腕を伸ばす。その腕が私に触れることは無いけれど。その度に私は髪で横顔を覆う。隠せない鼓動は、通り過ぎる原付のエンジン音が消してくれたかな。


 ——素直って何? 「迎えに来てくれる?」とか?


 自分で考えた台詞に取り乱した上に咳き込んでいると壮空に「大丈夫か?」って心配されてしまった。そんな可愛い台詞は言えないから、守ってくれた壮空に、


「……いない。今、彼氏いないよ」


「はっ? もう? ……ん。そっか」


 これ位の報告なら、いつものことだし言ってもいいかな。


「べ、別にいないから迎えに来てってワケじゃないからっ」


「はいはい」って呆れて笑う壮空を見上げて、やっぱり正解がよく分からないって私は思う。


「……ど、土砂降りだったらお願いするかもしれないけどっ」


「は?」


 ——って、絶対違うっ!


 密かに赤面する私に壮空が吹き出してる。やっぱり、慣れないことは言うものじゃないって実感した。


「な、何でも……っ」


「ん、走って行く」



 私も壮空もギリギリに登校するのが好きだ。

 でもたまに遅刻しそうになると、


「やばっ、美乃梨、走れ!」


 って、勝手に私のバッグを持って走ってくれる。それがいつもと変わらない風景。

 でも今日は、


「遅い」


「えっ?」


 正門の直前で手を引かれた。門をくぐるとすぐ離されたけど、一瞬だったけど、確かに強く身体ごと引き寄せられた。


 熱くなる。


 昇降口では無言でそれぞれの下駄箱に向かう。ここで誰にも声を掛けられなければ、また一緒に第二教室棟まで歩く。二階まで階段を上って、左右に別れる廊下の手前で私は右、壮空は左、「授業中寝んなよ」「そっちこそ」って言い合って別れる。

 でも今日は、それに頭ポンポンって加わった。



「みのりん、おはよっ。見たよー、手繋ぎ登校!」


「やっ、あれは違うから!」


 教室に入った途端はしゃぐ愛海に、慌てて否定する。教室の正門に面した窓から見られてたんだってぼんやりと思う。


「おはよう、早河さん。遅刻かと思って僕、何て言い訳しようってすっごく考えちゃったよ。良かったー。って、あれ? 何か良いことでもあった?」


 そう見えるならそれはきっと、佐和のお陰だ。




「もーっ、何でお昼に委員会なんてっ。ほら佐和、急いで!」


「う、うんっ。でも、そんなに走らなくても……」


 急きょ昼休みに文化祭実行委員会が開かれることになり、私と佐和は四時間目が終わるなり学食目指して廊下を走った。「廊下は走っちゃダメだよ」と言いつつ、私につられてランチバッグを持った佐和も走ってる。私もだけど、中身のお弁当が心配だ。今から自販機で飲み物を買って、そのまま会議室で食べながらって流れになりそう。

 すると急に佐和が隣でくすくす笑い出した。


「何?」


「早河さん、授業はサボることあってもやっぱり真面目なんだなって。あ、ごめん」


 私は軽く佐和を睨む。でも、今日はすぐに表情が崩れる。何となく、朝からずっとふわふわした気分。


「あ、あれは壮空がっ」


「真中君?」


「……何でもないっ」


 ——いくら佐和でも、屋上のことは壮空と私だけの秘密だしっ。


 学食前にたどり着き口ごもる私に、佐和がさして気にした風もなく何かを見つけると、私の腕を取って声を上げた。


「あっ、早河さんっ。あそこ、真中君いるよ!」


「へっ?」


 突然壮空の名前が出て、私は変な声で佐和に返してしまった。佐和が指差す自販機の列の前方に、笑顔で話す壮空がいる。

 視界に入った途端、勝手に甘い音色で胸が弾む。


「ねぇねぇ、声掛けてみようよっ」


 この佐和の言動は完全に女子だ。だからって私に「うんっ」なんて反応を期待しないで欲しい。


「か、掛けないよっ。別に用も無いし」


「ええー、でも。ああ、行っちゃうよ?」


 佐和が私と壮空を見比べて、


「ま、真中くーん!」


「ちょっ、と、佐和っ?」


 勝手に声を掛けた。振り向く壮空に、手を振っていた佐和が恋する乙女みたいに喜んでる。

 誰か佐和を止めて欲しい。


 行きかけた壮空が、私たちに気付くとそのまま自販機前の男子に何か話し掛けた。そしてすぐに、


「柊二は? 何がいい?」


 少し声を張って聞いて来る。


「えっ? あの、じゃあ、お茶でっ」


 再び男子に声を掛けると、紙パック二つを片手に壮空がこっちまで歩いて来た。


「美乃梨は紅茶だろ? で、柊二のお茶」


 壮空が手渡してくれた紅茶を見つめる目を、私はなかなか上げることができない。


「あ、ありがとう、真中君! そうだ、お金……」


「いいって、これ位。柊二には特別な」


「かぁっこいいー……」


 佐和は羨ましい位に女子だ。私はせいぜい、


「あ、りがと」


 これ位。それでも壮空は「ん」って満足そうに笑ってる。


「二人とも今から学食で弁当食うの?」


「あ、ううん。今からすぐ文化祭実行委員の集まりがあって……」


「ちょっ、真中、俺使うなよ。後ろの先輩にすげー睨まれたんだけど」


 私が壮空に説明してる途中で知らない男子が割って入って来た。話の内容からすると、壮空に言われて紅茶とお茶を買ってくれた人らしい。体育会系の爽やかな感じの人。


「あー、悪かったな、ヤマダ。美乃梨が欲しいって言うからさ」


「えっ、早河さんがっ? あ、は、初めまして、ヤマダです! お役に立てて嬉しいっす!」


 突然、真っ赤になって私に最敬礼をするヤマダ君。


「……ど、どうも」


「じゃあな、ヤマダ」


 戸惑う私とつれない壮空に、ヤマダ君が食い下がる。


「おい、真中、もうちょっとさー」


「や、時間無いから、また今度な」


「絶対だぞ!」と言いつつ去って行ったヤマダ君を見送った後で、壮空が私を見た。


 今日の壮空はどこまでも優しくて、ヤマダ君を遠ざけるような態度も含めて、全部が特別で。私が欲しい言葉を、行動を、私だけにくれるから。


 見つめられたら逸らせなくなるよ。


 だから、その優しい表情でまさかそんな一言を掛けられるとは思わなくて、完全に油断してた。


「あいつ性格良くて誰にでも優しいから、次、彼氏にするならああいうやつ選べよ。俺は……」


「え……」


 一気に現実に引き戻された気がした。夢から覚めるってこういうことを言うんだろうなって、ガツンと頭を殴られた位の衝撃に襲われる。


 ——どういう意味?


 ゆっくり考える間もなく、さらに現実が絶対的な事実を突きつけてくる。私は、私だけが、壮空の特別なんじゃないって。


「もー、壮空くん、席無くなっちゃうから早くー」


「今、話してる途中だって。美乃……」


「行こ、佐和」


「は、早河さん……っ」


 彼女に手を引かれる壮空に、私は同じように佐和の手を引いてその場を離れた。



 委員会中、ずっとこちらを窺う佐和にイライラして、終了直後に声を掛けた。


「ねぇ、佐和」


「な、何?」


 私の声音に、ビクリと佐和が警戒する。


「今すぐ気持ち吹っ切る方法ってないの?」


「……えっ? えっ、でもまだ何も……っ」


「勉強したんでしょ。相談乗ってくれるんでしょっ?」


「早河さ……っ」


「あるの、ないの、どっちなのっ?」


「……ある、よ」


 勝手に夢を見たのは私だけど、夢を見させたのは、壮空だ。

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