第12話 少しだけ素直に

 足りなくなった材料を補充すべく、私が昨年の文化祭告知用ポスターを切っていると、


「あ、そうだ、早河さん。片想いの相手を振り向かせる方法があるって知ってる?」


 こちらは設計図どおりにその紙片を貼り付けていた佐和が、唐突に切り出して来た。


「なっ、やっ、やめてよ、こんな所でっ。それに、そういうのいらないからっ!」


「ええっ、ごめんね。なかなかゆっくり話す時間無いから、少しでも早い方がいいかと思って……」


 何の脈絡も無い話題に激しく動揺した私に対し、佐和がしゅんと下を向く。たぶん佐和は、急に思い出して忘れない内に言っておこう位の軽い気持ちなんだろうけど。

 こっちが悪いみたいで気を遣う。


「……っ、そ、壮空そらにはそういうの通用しなかったのっ」


「えっ、どういう風に?」


 今やただ恥ずかしいだけの過去に俯く私に、佐和がごく自然に先を促す。こういう時の佐和は純粋な子どもみたいな顔をしていて、からかおうとか興味本位でなんて邪な意図を感じない。だからなのか、


 ——何こいつ、天然で聞き上手かっ。


 そう心の中で悪態を付きながらも、私は一度手を止めた。



 十月下旬。文化祭まで残り二週間を切った今日。校内全体で少しずつ焦りの色も見え始めた放課後、私と佐和は昇降口正面にあるエントランスホールの片隅にジャージ姿でいた。

 文化祭当日に正門に設置する為のアーチ製作。私たちの担当はその一部に使われるモザイクアートの作成。エコと予算削減に配慮して廃ポスター利用なのはいいんだけど、実に細かくて時間もかかる。


 これがクラスとは別に実行委員としてやるべき仕事の一つだけど、合間に教室でカフェの看板や内装作りをしてるクラスメイトたちにも呼ばれたりして、全く思うように進んでない。

 はっきり言ってこんな話してる余裕は無いのに。


 天井まで吹き抜けのエントランスホールには今、他の実行委員も勿論いるし多くの一般生徒だって往来してる。場所も考えて欲しい。

 まあ、誰もが忙しそうに動き回って様々な会話が飛び交うこの広い空間で、私たちの話なんて誰も聞いてないだろうけど。

 それでも私は一応声を潜めた。


「どうって……中学の頃だけど、私と壮空は何かと一緒にいたから他の男子が囃し立てて来た時は「学校で寄って来んな」って心底嫌そうだったし、いつもと違うオシャレしてみたら基本「変」か「全然似合わねー」しか言われたことないし、じっと目を見てから逸らすっていうのやってみたら壮空が怒ってやり返してきてケンカになったし、毎日、壮空、壮空って部屋に行ってたら「うざっ」てボソッと呟かれたし、押してダメなら引いてみたら私がいるとできないことが自由にできるって充実した顔してたし、ワザと他の男子と仲良くしてみたらそんなの気付かれない位壮空の周りに女子が集まって来て散々だった」


「えぇー、真中君、強敵だね……」


 私の語った壮空の気を引く為のかけ引きと玉砕振りに佐和の同情を引いた。これでもまだほんの一部。壮空の気持ちが知りたくて、自信ばかり喪失してた頃。



 佐和に曖昧ながらも自分の気持ちを打ち明けたのは先週のこと。だからと言って、いきなり正面切って恋愛相談するなんて私にはできなかった。本気でしたいとも思わないし、自分から佐和に話したことは一度も無い。聞かれた内容に話せそうなら話すくらい。


 だからこれは恋愛相談じゃなくて愚痴みたいなものだ。愚痴だと思えば言い易い。ていうか、いつも共感を示してくれる佐和に、それならむしろ聞いて欲しいとすら思う。


 佐和は私が下を向いていると「何かあった?」ってさり気なく聞いてくれたり、例のアプリで知ったという情報を教えてくれたこともあった。私にはできないことか、玉砕済みの内容だったけど。


 それでも佐和に話す度、心の奥で角張った鉱石のように固く重く折り重なって刺さっていた過去が、小さく溶けていくような感覚がする。

 それが、嫌じゃない。


 でも私は、壮空が嫌いだから愚痴る訳でもない。


「……でも、普段は冷たくても、いざって時には必ず助けてくれてた」


「えぇー、真中君、イケメンだね……」


「……何でそこで佐和が照れるの?」


 こんな調子で話してると、もう忘れてしまった女子トークを今更佐和としてるみたいで我に返って無性に恥ずかしくなる。


 あの頃は、壮空への本心を誰かに話すことに自分への陰口が伴っていたのに、佐和とはそれが無い。だから話し過ぎるのかも。一人でも平気だって思ってたのに。


「もういいでしょっ」と私が照れ隠しでぶっきらぼうに言うと、佐和は顎に手を置き探偵さながらの仕草で続ける。


「でもそれ、全部中学の時の話なんだよね?」


「だったら何っ。一人で製作したいの?」


「わぁっ、違うよ! ただ、早河さんの場合、思い切って気持ち伝えてみてもいいんじゃないかと思って!」


 佐和の言葉に、私は持っていたポスターを豪快に破いてしまった。それにまた佐和がビクリと反応する。


「は、はあっ? 今の話のどこを解釈したらそうなるワケっ? だいいち……」


 瞬間、意思とは関係なく言葉が切れる。それは未だに痛みを伴うから。可笑しくなる程、未だに。


「だいいち、私に彼氏できるかもって嘘ついたら「俺も安心して彼女作れるわ」って満面の笑みで言われて、その後本当に彼女ができたんだから……」


 それが久し振りに私に向けられた、心からの壮空の笑顔だった。


「そ、そっか。そうだよね。真中君、付き合ってる人いるんだった。早河さんにいないからって、ごめん……」


 佐和がまた自分が傷付いたような顔で下を向く。

 拓海さんとは結局「妹が美乃梨ちゃんと付き合うなら口きかないって言い張るから、ごめんっ。友だちでいよう」って電話があって、私は一応フラれた。たぶんそうなる気はしてたけど、どこかで安心する自分もいた。

 壮空にはこのこと、言ってないけど。


「別に今更何も言うつもり無いし、私はもう忘れたいのっ。分かったら話は終わり!」


「で、でも、この前ケンカしてた二人とか普段の様子見てたら、早河さんが少しだけ勇気を出して素直になるのが一番かなってアプリ……」


「アプリはやめてって言ったでしょ!」


「アプリって何?」


 突然割って入る声に、私と佐和は飛び上がる程驚いた。話に夢中になり過ぎていたらしい。横を向くと話題の人物がいた。


「わっ、ままま、真中君っ?」


「そ、壮空っ? 何でいるのっ?」


 ——どっ、どこから聞いてたんだろう。


「これから買い出し行くのに前通り掛かったらいたから。寄ってみただけ」


 ——ふ、普通だ。とりあえず大丈夫そう。


「あ、あっそ。なら早く行きなよ」


「はいはい」


 そっと胸を撫で下ろした後、いつも通り素っ気ない態度を取る私に「うーわ、すげー面倒くさそー」とモザイクアートを覗き込む壮空に気付かれないよう、


「早河さん」


 「す・な・お」と、佐和が私の態度を改めるよう口パクと目で訴えてくる。


 ——そんなこと急に言われてもっ。そもそも素直って何っ?


 じーっと、佐和が男子にしては大きめの目で訴えてくる。


 ——だ、だから……っ!


「……そ、壮空っ」


「んー?」


 勢いで声だけ掛けた私に、二の句は無い。しゃがみ込んでモザイクアートに触れていた壮空と目が合った。一つにくくっていた髪で、揺れる鼓動と連動する表情を今日は隠せない。

 けれど。


「壮空くんっ」


「何?」


 よく通る甘めの声に、壮空が無表情に振り返る。同時に私は手元のポスターへ視線を戻し、再び作業に戻った。


「何って遅くなるし早く行こうよ」


「あー、先行ってて」


 そう声を掛けた後で壮空が私に向き直る。


「で、何、美乃梨?」


「……何でもない。早く行きなよ、彼女待たせてないで」


「何怒ってんの?」


「別に。用無いなら邪魔しないで欲しいんだけど」


「早河さん……」と気遣う佐和の声と、壮空のため息が重なる。


「邪魔して悪かったな」


 言いつつ立ち上がる壮空に、私はぐっと唇を噛む。

 これでいい。だからもう顔は見ない。

 言い聞かせる自分に、独り言のように壮空が続けた。


「じゃあ行って来るわ。五人で」


「……え?」


 ——五人?


 思わず顔を上げ聞き返してしまった私に、見透かすような顔の壮空が映る。


「買い出し。今からクラスのやつらと五人で行って来る。俺、ただの荷物持ちだけど」


 慌てて横を向く私の顔は、やっぱり隠れていないのだろうか。


「ふ、ふーん。別に聞いてないしっ」


 何でそんなことって考えるより先に、明るい笑顔の佐和が「ほら、早河さん!」って鼓舞してくる。


 ——だからっ、ほらって何っ?


「そ、壮空っ」


 振り向く壮空に、


「し、しっかり荷物持ちなよっ!」


 そう声を掛けて、


「何だそれ。美乃梨も頑張れよ」


 って吹き出し去って行く壮空と、顔を見合わせて一緒に喜んでしまった佐和と、私。慌てて私は平静を装う。

 素直もほらも、何が正解なのかよく分からないけど、


「大丈夫。この調子で頑張ろう」


 って嬉しそうに佐和が言うから、これはこれで良かったのかなって結論付けることにした。

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