第11話 イケメンレベル
同日、放課後。私と佐和は教室で文化祭用の申請書や借用書類をまとめていた。昨年も実行委員だった佐和の経験もあって、今のところ文化祭に向けて思ったより順調に進んでる感覚がある。
とは言えカフェは初めてみたいだから、二人で参考資料片手に何度も確認し合って気付けば既に日が落ちてる。教室に残ってるのももう私たちだけだった。
「えっと、今回の提出書類はこれで全部だよね」
「うん。佐和、クラス委員の方もあるし大変じゃない?」
二つ合わせた机で向かい合う佐和に、私はふーっと息を吐いて答える。朝は塩対応だったクセに、今は佐和を気遣えるまでに復活した私。
「僕一人でやってる訳じゃないから大丈夫だよ。実行委員の方は早河さんがすごく頑張ってくれてるし、助かってるよ。本当にありがとう」
「ど、どう致し、まして」
そんな私の気まぐれに、柔らかい笑顔で感謝を述べる佐和に戸惑ってしまう。何となく良心が痛んで心の中で謝ると、その思いを読んだように佐和が私を見てくすりと笑った。私は気恥ずかしくなって慌てて声を上げる。
「えっ、何?」
「あ、いや、えっと、その」
「何っ? ホントは言う程役に立ってないとか思ってる?」
「違うよ! 早河さん、意外と根は素直なのかなって思って。いつもクールな印象だったから。あ、そっか、これもツンデレかー」
「はあっ?」
なるほどーと言わんばかりの顔で瞳を輝かせた佐和。その天然発言に私の声が思わず大きくなる。佐和ってこんなやつだったんだって、実行委員をしてなかったら本当に知ることはなかったと思う。
その佐和が「ごめんなさい!」と机に額をぶつけた後、吹き出す私に真面目な顔で聞いてきた。
「……あの、早河さん。朝の話ってどうなったの?」
「何のこと?」
まだ少し笑いながら応じる私に対し、佐和は額をさすりつつも至って真面目に返してくる。
「貝原さんのお兄さんと、その……」
「ああ、何で?」
私もすっと真顔に戻った。あの後、愛海は「私がお兄ちゃん説得するから」と言い、拓海さんからは「オレが妹を説得する」ってメッセージが来て、実質保留状態になっている。でもそれを佐和に話すつもりはないし、正直愛海にもこれ以上踏み込んで欲しくないと思う。
拓海さんと付き合うって決めたのに、揺らいでしまいそうだから。
「いや、急だったし。ほ、ほら、その、前に誰とでもって言って、僕にあんな……。本当は早河さん、真中君のこと好きなのに」
佐和が真っ赤になりながら、伏し目がちに言い切った。
『真中君のこと好きなのに』
頭の中で佐和の最後の言葉がエコーのようにこだまする。私はガタンッと机を鳴らした後で固まってしまった。
そうだ。あまりにも佐和の態度が普通過ぎてすっかり忘れてたけど、佐和には私の気持ち知られてるんだった!
それだけじゃない。いくら精神的に余裕が無かったとは言え、佐和に悪態ついた上にキスしかけて、更には泣き顔まで晒してしまってる。
今更のように思い出し、私も佐和に負けない位一気に赤面したのが分かる。この期に及んで、もしかしたら佐和なら騙せるかもと祈るような気持ちで否定を試みた。
「……ち、違うって言ったでしょっ」
「えっ? あれっ、そうなんだ。ごめん」
そこで急に佐和が顔を上げるから、横を向いてはいたけれど、赤くなった私の顔を隠すことはできなかった。
佐和が私をじっと見た後で口を開く。
「ツン……」
「違うって言ってるでしょっっ!」
「わぁっ、ごめん! 心配だっただけなんです!」
「心配?」
「佐和が?」と動揺しつつ私は聞き返す。確かに、逆の立場なら心配するだろうとは思うけど、佐和の態度は完全に忘れ去っていたとしか思えないのに。もしかして、忘れたフリをしてくれてたんだろうか。
佐和は一度私と目を合わせた後、また下を向いて続ける。
「あ、うん。えと、危なっかしいっていうのかな。その、前の彼氏に手を上げられたとか噂になってたし、いつもいい人ばかりとは限らないだろうし。僕、あれから少し勉強したから、話聞く位ならできるかなと思って」
私は驚いて佐和を見る。
——あの時勉強しないとって言ってたの、本当に実行してたんだ。
佐和の意外な言葉に、走ってイチゴみるくを買いに行ってくれた姿を思い出す。
あの日の帰り道、久し振りに飲んだ甘過ぎるイチゴみるくの味は何故か佐和の優しさそのものみたいに感じて、芯から冷たくなってた私の心と身体を柔らかく解してくれた。一口で胸がいっぱいになってそれ以上飲むことはできなかったけど、あの時一緒にいたのが佐和で良かったような気すらした。
今もまた、何より最低な行動を取った自分の為に勉強したという佐和は、呆れる程お人好しだなと思う。別に勉強することを約束したわけでもないのに。
——今更隠しても、何か佐和には意味ない気がする。
だからと言って「実は好きなんだ」とも言いにくし、ここは「別に話すことなんて無い」で切り抜けようかと私が思っていると、
「……まだイケメン準一級だけど」
佐和がボソリと呟くのが聞こえた。「は?」と私から短い問いが出る。イケメンと佐和、対義語にも程がある。
「何、イケメン準一級って」
「あっ、うん。そうだ、朝言おうと思ってたんだけど、僕、恋愛相談の達人になれる神アプリを見つけてね」
「神、アプリ……?」
佐和がまた、純粋に瞳を輝かせ始める。
「うん。毎日帰りの電車で少しずつだけど勉強してたんだ。本当はもっと自信持ってから言うつもりだったけど、早河さん今朝元気ないみたいだったし、貝原さんのお兄さんのこともあるし。でも僕、やっと昨日イケメン準一級に合格できたから、そこそこアドバイスできると思うよっ」
ドヤ顔の佐和に一瞬返す言葉を無くした。
「勉強ってアプリだったんだ……」
「だって実践は無理だし、色んな書籍を読むのは時間かかるし、その点このアプリなら一日五分で習得できて手軽だし。しかもその成果が検定を受けることでイケメン度として測れるようになってるんだよ? 一石二鳥ですごいよね! 」
佐和はきっとお人好しじゃなくて天然だ。
「そ、そうかもしれないけど。……ちなみにそれ、何級まであるわけ?」
「十段。それに合格すると免許皆伝なんだって。たぶん真中君みたいな人は勉強しなくても免許皆伝なんだろうけど」
いや、そこで照れる意味が分からないんだけど。そもそもそのアプリ自体かなり胡散臭い気がする。
「一応聞くけど、無料なんだよね?」
「勉強するのはね。でも検定受けるのは……」
「今すぐやめてっ!」
「ええっ、せっかくここまで頑張ったのにっ?」
「そんなー」と佐和が心底残念そうな顔をして嘆く。その顔を見て、
「……」
「早河さん?」
「もー、佐和っ、真面目なのか何なのか訳分かんない。あははっ。お腹痛いー」
私は堪らず笑い出してしまった。朝同様、お腹を抱えて笑う私を佐和がぽかんと見つめる。その顔すら可笑しくて、私は涙が滲む位笑ってしまった。
「あー、可笑しい」と私の笑いが一段落するのを待って、佐和が微笑む。
「良かった。今日は笑顔にできて」
「え?」
「今朝見た、真中君と話してる時の笑顔とか、今笑ってくれた顔が本当の早河さんだとしたら、その方がいいよ」
真面目なトーンの佐和に、一瞬ドキリとした。
そんなこと、壮空にも言われたことない。
——本当の、私……?
思わず佐和を見つめると、佐和がいつの間にか取り出したスマホを見ながら続ける。
「あと、早河さんみたいに好きな人の前では素直になれない上にかなり拗らせてるタイプは、僕みたいに真逆のタイプと友だちになるのもいいみたいだよ」
「はあっ? 嘘! ていうか、勝手に私のこと分析して決め付けないでっ」
やっぱり佐和は佐和だ。さっきドキッとしたのを返して欲しい。
「ええっ、嘘じゃないよっ。ほら」
慌てたようにスマホを示す佐和に、私は席を立って佐和の横から覗き込む。
確かにそうは書いてあるけど、でも私がこのタイプに当てはまるのは納得できない。それについては一言言おうと目線を横に向けると、佐和がスマホを見つめたまま真っ赤になって固まっていた。
「あの、ちょっと、近過ぎます……」
「えっ、佐和、緊張してるの?」
「この距離はイケメン八段の距離なんで……」
そう言って赤面する佐和がこちらを向くと、私と佐和の視線がぶつかった。途端に私もものすごく恥ずかしい気がしてくる。
——何これ、緊張が移る。
元の席に戻りながら、私は慌てて佐和から離れた。
「ちょっと、普通にスマホ見てただけじゃん! やめてよ、移るからっ」
「す、すみませんっ。十段目指してもっと頑張ります!」
「だからそのアプリはもうやめてっ」
「で、でも、本当に僕、話は聞くから」
「……佐和には分かんないよ」
下を向いて静かに呟いた私に、佐和が久し振りにビクリと身体を震わせた。
「え? あー、うん……。そうだよね。ごめん、勝手に……」
苦笑しながらスマホをしまう佐和に、私はさっさと帰り仕度を始めながら言う。
「壮空に告られた佐和には、意識もされてない私の気持ちなんて分からないっ! あと私、素直になれない訳でも、拗らせてる訳でもないからっ」
「ええっ? あれ、本気なのかな。どうしよう、僕……」
「そんな訳ないでしょ!」と怒りつつ、私は初めて他人に自分の気持ちを打ち明けた。
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