第10話 幼馴染
翌朝、少し早めに登校するとすでに教室にいた佐和が私の席まで寄って来た。
「早河さん、お早う。昨日はありがとう。大丈夫だった?」
窺うような笑顔を向ける佐和に、私は席に着きながら応じる。昨夜の沈んだ気持ちを引きずったままで、顔を上げることはできない。
「……昨日って、何だっけ」
「えっ? 実行委員会のことだけど……」
「ああ、そうだった。これ」
佐和の言葉に躊躇いがちにバッグから書類を取り出して手渡す。表に書かれた連絡先は消したけど、昨日の騒動で傷んだ痕跡は残る。そのことも、その後のことも思い出したくなくて、私はすぐに顔を伏せた。
「……あの、早河さん、何かあった?」
「何で?」
「え、いや、何か元気ないかなと思って」
隠し切れないクセに何でもないふりを通そうとする。そういうところが可愛くないのは自分でも分かってる。
そういうところが、きっと
昨夜は初めて壮空からのメッセージを未読のまま放置した。それからすぐスマホの電源も落として、今朝も壮空に黙って一人で登校した。
このまままた、中学の頃みたいにお互い話しもしなくなるのかと思うと怖いのに、壮空の顔を見るのはもっと怖くてそんな態度しか取れない。
壮空は何も悪くない。私が勝手に期待して、傷付いた気になって、都合良く現れた人に縋っただけ。いつまでも変わらない自分に嫌気が差してるだけだ。
そんな自分の心の内を見せ合えるような相手は、見せかけの友だちの中にはいない。いつからかそれが普通になった。一人でも平気。だから誰にでも同じ態度を取ってしまう。
佐和にも。
「別に。何も無い」
「そう……それならいいんだけど。あの、早河さん」
「みーのーりーんっ!」
意を決して何かを続けようとした佐和を遮り、愛海の大きな声と騒がしい足音が割って入った。私と佐和が同時に顔を向けると、全力で走って来た愛海が佐和を突き飛ばして急停止する。小さく悲鳴を上げた佐和を気遣う間も無く、
「みのりん、違うよねっっ! ねっ!」
「えっ? 何が?」
噛み付くように開口一番そう問う愛海に私は疑問符しか浮かばない。この場合誰だってそうだろう。
「昨日うちのお兄ちゃんと会ったの、別のみのりんだよねっ?」
「昨日?」
まだ一度も面識のない愛海のお兄さんに会った記憶は無いけど、愛海の迫力に一応思い出したくない昨日を振り返ってみる。一日普通に授業を受けて、ギャルソン服を着て、一人で実行委員会に出席した後、委員長にムカついて……
「あ、もしかして」
思い当たるとすればたった一人。昨日出会ったばかりで、新しくカレシになったシスコンの大学生。
「
私の答えに愛海が血相を変えた。いきなり私は両肩を掴まれ、必死の形相で揺さぶられる。
「やめなよ、みのりんっ! うちのお兄ちゃんなんて全っ然かっこ良くないしっ、方向音痴だしっ、女の子とばっか遊んでるしっ、壮空っちになんて塵程も似てないよっっ!」
「ちょっ、ちょっと愛海、待って」
頭がクラクラして来て、佐和がボソッと「か、貝原さん……」て呟くのがちらりと聞こえた。
「俺が何だって?」
だからその声の主にすぐに気付けなかった。
「だからっ、今みのりんにうちのお兄ちゃんなんて壮空っちの足元にも及ばないから付き合うなって言ってるのっ! 邪魔しないで!」
愛海が私を揺さぶるのをやめ、その声の主に振り返って叫ぶ。
「彼氏ができたって本当だったのかよ」
「そ、らっ」
「えっ、壮空っちっ? いつからそこに!」
愛海の質問には答えず、スクールバッグを肩から下げたまま不機嫌な顔で立つ壮空に私と愛海が同時に驚く。明らかに怒ってる。壮空と目が合い、私はすぐに顔を背けた。
そんな私に構わず壮空が真横に来て立ち止まる。
「美乃梨。何で今日一人で先に行った。昨日から返信も無いし」
「別に。私は私で忙しいの」
「今朝、顔合わせる時間もない位?」
尋問口調の壮空に、私は椅子に背を預け、腕と足を組みながら精一杯拒絶の姿勢を取る。でも壮空は一歩も引かない。
「え、何? ケンカ? 珍しい……」
愛海が私と壮空を交互に見て戸惑い、佐和はたぶん後ろの方でオロオロしているのだろう。
二人の前でその話はしたくないし、今は壮空の顔も見たくない。だから敢えて、壮空が怒るように仕向ける。早く出てって欲しくて心にも無いことを言ってしまう。
「……そういうのウザイって知ってるでしょ。壮空には関係ない」
「何っだそれ?」
「そ、壮空っち? 落ち着いて」
「ままま、真中君、ここ、教室って分かってるよねっ?」
私の一言に壮空が机上に両手をついて上から見下ろして来る。流れる不穏な空気に愛海と佐和だけじゃなく、教室にいる何人かの視線も集まる。
みんなが心配するような事態は起こり得ない。それだけは確信がある。でも、壮空から聞く次の一言は、怖い。
不安で速まる鼓動と共に伏せた顔でその時を待つ。
すると壮空は隣席の椅子を引いて音を立てて腰を下ろし、私と目線を合わせて来た。
「じゃあ聞くけど、昨日「壮空ー、壮空ー」って泣きながらしがみついて来たのは誰でしたっけ?」
昨日の先輩と同じくモノマネ混じりで挑戦的に話す壮空に一瞬面食らった。思わず反論してしまう。
「はあ? な、泣いてなんかないしっ」
「散々走らせた挙句、俺の全っ然興味ない異文化交流させてくれたのは、どこの誰でしたっけー?」
「あ、あれは知らなかったんだから仕方ないでしょっ。それに昨日ちゃんと謝ったじゃん!」
「お礼は言って貰ってませんけどー?」
「はあ?」
「助けて貰ったら、ありがとうございましたって言うの基本じゃないんですか? 小学生でも知ってるわ」
「……何それ。言わない。絶対言わないから! もう自分の教室行ってよ!」
小バカにしたような壮空の物言いにムカついて、私は目に入った壮空の足を蹴ってやった。
壮空が「痛っ」と短く声を上げ、足を押さえて屈み込む。ちょっと蹴ったくらいで大袈裟な。わざわざケンカしに来たのかと思うと余計に腹が立って、私はぷいと窓の外を見る。完全に壮空のペースだ。
——……でも、いつもの調子で話せてる?
複雑な心境でちらりと壮空を見ると、まだ足を押さえていた。
その姿にまさかと胸に痛みが走る。急いで床に膝をつき、壮空の腕に触れて下を向く顔を覗き込んだ。
「壮空? 昨日、もしかしてケガしたの? 壮空。ねぇ、壮空っ」
「……痛」
「え?」
「筋肉痛だよ。うっせーな」
「筋肉、痛……?」
意味は分かる。でも、今ここでその単語が出た意味が分からなかった。ぽかんとする私に壮空が苦痛と羞恥、半々の顔で続ける。
「だから、こんな走ったの久々だっつったじゃん。駅前からここまで、こっちは道も廊下も階段も休み無しで走った上に先輩の相手までしてんだ。当然だろっ」
壮空のその顔に、言葉に、ケガじゃなくて良かったと安堵が広がると同時に自然に笑いがこみ上げた。
「……ふふっ。壮空だっさーい」
「はあっ? 誰のせいだよっ」
「しかも今日痛くなるとか、うちのお父さんと一緒だよ?」
「ふざけんなっ、昨日のうちに来てるわっ。何なら正門出る頃には来てたっつの」
「えっ、あの時隠してたの? 真面目な顔してホントは足いてーって思ってたの? 何それ、やっぱウケる」
お腹を抱えて笑う私に、壮空がふと真面目な声で囁いて来た。
「言っとくけど俺、あの後どこにも寄らずに駅まで送って、そのまま帰ったからな」
ドキリとして思わず壮空の顔を見る。真剣な顔の壮空と目が合って、慌てて逸らしながら自分の席に座り直した。
「あ、あっそ。別にそんなこと気にしてないし」
——壮空は私が彼女と帰ったこと怒ってると思ってわざわざ言いに来たの?
動揺を隠せない。だからまたそんな言葉で偽ってしまう。
じゃなきゃ昨日から続く全てのわだかまりが、たった一言で色付くように溶けていくこの感じが、たまらなく胸をくすぐって顔が緩む。
体を起こした壮空が、さらに続ける。
「あと、もし美乃梨がまだ帰ってなかったら、俺は美乃梨が帰って来るまで待つつもりだったから」
「……何それ。ストーカーか」
「はいはい、何とでも言えよ。返信しない方が悪い」
そう言って微笑する壮空が私の頭をポンポンとしながら席を立つ。
「元気出たなら、俺そろそろ行くわ」
——私が元気ないと思って来てくれたの? 私、昨日からずっと無視してたのに。
壮空の触れた頭に手を置いてしまう。
そのまま壮空は、黙って見守っていた愛海と佐和に笑顔を向ける。
「わるい、邪魔して。俺の幼馴染のこと、よろしくな。貝原の兄さんにも伝えといて」
「よ、余計なこと言わないでよ」
「だったら無視じゃなくて、思ってること全部、俺には素直に吐き出せよ。美乃梨になら蹴られてもなじられても、全部聞いてやるから。頼るなら思い残すことないぐらい頼れ」
そのまま「ばーか」と言いつつ、笑顔で教室を後にする壮空を、私は最後まで見ることができなかった。
——違う。壮空は私と話す為に来たんだ。もう二度と話しもしない時間が来ないように。
あの日「高校どこ行く?」って聞いてくれた壮空と重なる。いつも私の前を行く、いつも繋ぎ止めてくれる壮空に、私は一生敵わないって直感で思う。
彼女になれなくてもいい。
幼馴染としてでいいから一生傍にいたい。
それでも同じ位やっぱり、
——好き。壮空が好き。
どうしようもなく想いが溢れる。
一番言いたいことが、一番言えない。
その先が約束されてないのなら、壮空だからこそ怖くて
「壮空っち」
「真中君」
「かっこ良いー……」
私ばかり募ってく感情の行き場が無くて、いつも一番弱い出口に向かう。
二人の言葉に「そんなの私が一番知ってるよ」って思いながら、机に顔を伏せて私は溢れる涙を堪えるので精一杯だった。
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