第7話 リベンジ
校舎一階にある渡り廊下で私と大学生らしき男の目が合った。正確には、男がいるのは私から見て右手にある中央広場内。誰って思う間も無く、その男は私の顔を見るなり飛び付くように寄って来た。
「えっ、えーっ! 待って、キミめちゃくちゃタイプなんだけど! マジか、オレすごくないっ?」
——何が。
初対面でこのテンション。見た目百パーセントの男に私は完全に心を閉ざし立ち去ることに決めた。
「あっ、待ってって」
「何ですか。それ以上近付いたら人呼びますよ」
私の進行方向を塞ぐ形で引き留める男に、このまま職員室に行こうかと私は腕に持つ書類をぎゅっと抱き直す。
「やだなー、そんな警戒しないでよ。別に怪しい奴じゃないからさ。純粋に聞きたいことがあって……って、キミにはちょっと聞きにくいかも」
自分で怪しくないという奴にたぶん良い奴もいない。やっぱり職員室直行を決め独り言を言う男の隙を見て私は横をすり抜けた。
「待って!」
「ちょっと……っ」
急に伸ばされた腕に思い切り抵抗すると、男はあっさり手を離す。
「正門って、どっち……?」
「は?」
首に手を当てつつ、か細い声で男が恥ずかしげに続ける。
「この際、職員室でもいいや。実はオレ、妹に迎え頼まれて待ってたんだけどトイレ行きたくなって。そんで勝手に入ったらこの学校広いし迷っちゃってさ。あ、学校までは車のナビで来れたんだけど。しかもスマホの充電切れるわ、妹には会えないわで完全に不審者だよねオレ……あーっ、かっこ悪! つか、ぜってー妹に怒られる!」
言い終わり大袈裟に頭を抱える男が嘘を言ってるようには見えなくて、私は少しだけ笑ってしまった。
「こっち反対方向ですよ」
「マジでっ?」
一応いつでも逃げられるよう男との距離を取りながら、教室への帰り道にある昇降口へ向かって私たちは校舎内を進む。もうすぐ十九時。一階だけはまだ廊下に明かりが点いている。その間も男は一人テンション高く喋り続けてた。
「……で、妹と私のどっちが大事なのよってフラレたばっかでさ。そんなのどっちも大事に決まってるのにさー。オレ言ってることおかしい?」
「あー、時と場合によるかも?」
「だよねっ? うわー、初めて理解してくれる子に会った!」
理解したわけじゃないけど両手を合わせて感動する男に同情して黙っておくことにした。この短い間でも、男がかなりのシスコンだということは良く分かった。
まあ、確かに怪しい奴じゃないかもしれない。
「着きましたよ」
「え?」
「ここ昇降口なんで、正門は出て真っ直ぐです。……大丈夫ですよね?」
「あー、ヒドイなー。オレ方向音痴って訳じゃないからね。でも、ありがと、助かった」
「いえ、それじゃあ」
「あっ、待って。っと、そっか、充電……」
「ちょっと借りるね」と言いながら、男が私の持っていたシャーペンを挟んだままの書類の束を私の腕からスッと抜き取る。そして書類に何かを書き始めた。
その距離で私はふと、私の顔の高さが男の肩程なのに気付いた。
ほんの数秒後、書き終わった男が「はい」と書類を返して来る。
「それ、オレの番号とID。オレはまた会いたい。ていうか、付き合えたら嬉しい。良かったら連絡して。……って、すぐにはムリだけど」
真剣な顔の後で今度は情け無い顔に変わる男に、思わず声に出して笑ってしまう。
「笑わないでよ。最後くらいカッコつけたかったのに。結構本気なんだけどなー、オレ」
照れる男に上から頭をくしゃくしゃっとされて、一つ胸が鳴った。
「じゃあね、美乃梨ちゃん。楽しかった」
背中越しに片手を上げ、そのまま昇降口を出て行く男の後ろ姿を見ながら、
——
壮空に頭ポンポンってされた時のことを思い出した。
******
誰もいない教室に戻り蛍光灯を点けると、窓際の私の机の上に佐和からの手紙が置いてあった。「お疲れさま。今日は委員会出られなくてごめんなさい……」云々と長ったらしく書いてある。
途中で読むのは止めたけど、佐和らしくてくすりと笑いが漏れた。その横に今日委員会で貰った書類を置くと、表に書かれた連絡先が目に入った。
——このままじゃ佐和に見せられないし、どうしよう……。
今、出会ったばかりの人。でも、最後に目の前で見上げた時のいつもの角度と、頭包まれそうな大きな手が、壮空と重なる。期待する。
——もしかして、あの人なら……。
そう思って席に着き自分のスマホを取り出してみる。
私の連絡先は聞かずに去って行く様が、すごく慣れてそうだった。向こうは言うほど本気じゃないのかもしれない。別に連絡するって決めた訳でもない。でも。
——名前、何て言ってたっけ。よく聞いとけば良かった。
小さく高鳴る胸を意識しながらスマホカバーを開く。と同時に、カタンと教室の後ろの方で聞こえた音に反射的に振り向くと、
「先、輩……?」
先週別れた筈の先輩が教室の入り口にいた。
何で今、何でここに。その答えを知りたくなくて、身体が勝手に身構える。
先輩は何でも自分の思い通りにしたがる人だった。不意に見た後ろ姿が壮空に似てる気がして、一度断った告白に立ち去ろうとする背中に、気が付くと手を伸ばしてた。
現実には起こり得ない壮空からの「付き合って欲しい」に聞こえた気がして。
付き合うキッカケなんていつもそんなもので、中身なんて見たことはない。だからすぐに現実が事実だけを突き付けてくる。この人は私の求める壮空とは違うって。そうやっていつも、急速に冷めていってた。私が、一方的に。
先輩が、全体的に長めの髪の間から思い詰めたような視線を向けて私に口を開く。
「さっきの男、何? もう新しい男と付き合ってるの?」
静かに語る先輩の言葉に、どこから見てたのかと思うと背筋に冷たいものが走った。
「……先輩にはもう関係ないです」
強がりながら視線を外す私の手が、無意識に左頰に触れる。先輩の手の感触と痛みが蘇ってくる。
「関係ないって、俺はまだ用があるんだけど」
「私は無いです。先輩とはもう別れたんで」
突き放す私に構わず、先輩が一歩ずつ寄って来る。私は先輩に背を向け、机の横に掛けられたスクールバッグを手に取った。
「この前は悪かった。まさかあんなことになるとは思わなくて、偶然だったんだ」
聞いてもいないことを弁明し始める先輩に、壮空の言った『ああいうやつは気を付けろよ』の警告を今更ながら思い出す。結果、そのとおり私も壮空も先輩に傷付けられたんだ。
「もう大丈夫なんで。失礼します」
「まだ話は終わってない!」
立ち上がった私に急に大きな声を出す先輩にビクリと身体が反応する。
——怖い。
「……何、ですか」
「やり直せとは言わない。その代わり……っ」
突然伸びて来た先輩の手に、
——怖い!
バッグを肩に掛け、机上の書類とスマホを握って教室を飛び出した。
「待て!」
——どうしよう、追い掛けて来る。誰か。先生に?
廊下を一直線に職員室を目指して走った。
その途中、普段は無い文化祭で使う為に廊下に置かれていたダンボールの山につまずき床に手をついた。持っていた書類とスマホが滑るように散らばる。目にするのは、聞いたばかりの連絡先。
あ、と思った。
——……もう、連絡つくかな?
「そっちか、美乃梨!」
けれど、先輩の声に浮かんだ姿は、瞬時にニセモノから本物へと置き換わった。
『美乃梨』
その名前を一番呼んでくれる人は。一番呼んで欲しい人は。
私は急いで書類とスマホをかき集め、立ち上がって再び駆け出した。そして、廊下を曲がって最初にあった一組の教室へと入る。
出入口ドアの裏にしゃがみ込み、隠れてスマホを起動する。そして、震える手で何とか履歴からその番号を選び、発信ボタンを押した。
コール一回。
「……はい」
——出た!
「壮空っ!」
聞き慣れた声に夢中でその名を叫んだ。返って来た「どうした?」の声にはしかし、
「あ……」
私はうまく言葉を繋げなかった。
私から掛けたのに、壮空に助けて欲しいと思ったのに。
もしまた壮空が怪我でもしたら? 壮空が傷付いたら?
私のせいで。
それだけは嫌だ。
それなのに。
「……どこ?」
壮空が、繋いで来る。
「え?」
「今、どこ!」
「が、学校!」
「あの場所、行けるかっ?」
「行く!」
壮空の有無を言わさぬ力強い言葉に思わず答えてた。
来てくれる。
壮空が助けに来てくれる。
何も言わなかったのに、分かってくれた。
私のせいでまた怪我なんてさせたくない。そう思うのに、それでも今、こんなに嬉しいと感じてしまう。
私は急いでスマホをスカートのポケットへ入れ、書類をバッグへしまった。
「美乃梨、どこだ?」
先輩がすぐ外にいる。
——お願いだから、通り過ぎてっ。
祈りつつ、先輩から逃れるように机の間を這って移動する。ガタンと肩のバッグが椅子に触れてしまった。
「ここか?」
先輩がこの教室のドアに手を掛けた。
ドアが開き、先輩が一歩足を踏み入れた瞬間、私は反対の出入口から廊下へと出た。
「待て、美乃梨!」
怖いけど、苦しいけど。
走って、走って、あの場所に。
——屋上へ行かないと!
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