第6話 彼女候補
「は、早河さん……」
緊張を含む声で、伏し目がちの佐和が私の名前を呼ぶ。
「何?」
今日最後となる六時間目の授業中、しんと静まり返る人気の無い体育館の更衣室前。二人の間にあるのは、床に置かれたみかん箱大のダンボールが一つ。
「実は、僕……」
その箱に手を置きつつ、言いにくそうに切り出す佐和の胸の音が今にも聞こえて来そうで、私はイラッとした。
「言いたいことあるなら早く言ってよ、鬱陶しいっ」
「わあっ、ごめん! 実は今日の実行委員会、急きょクラス委員の会議も入っちゃって、僕行けなくて! 今日はクラス委員、僕一人だからっ。それに、あのっ、その後で塾もあって……」
「分かった。じゃあ私一人で出る」
長くなりそうな佐和の話をさっさと切り上げて答えると、佐和が心底驚いた顔で私を見る。それ位早く言え。
「えっ、いいのっ?」
「いいも何も佐和、出られないんでしょ」
「そうだけど……」
「何? 私一人じゃ信用できない?」
不安顔で俯いていた佐和が「違いますっ」と言いつつ正座する。軽く目を細めただけなのに効果絶大だ。今日は。
私と佐和しか知らないあの一件から一週間。
佐和はあの翌日、私の顔を見ると一瞬ビクッとしてから挨拶してたけど、その後は何も無かったみたいに振る舞ってた。佐和のことなんてよく知らないけど、本当に忘れてるんじゃないかって位普通だった。
そのままだと私がすっきりしなくて「佐和、ちょっと」って昼休みに怯える佐和を廊下の隅に呼び出して謝った。「昨日はごめん」って深く頭を下げた私に無言の佐和を見ると、さっきまで白かった顔が文字通り真っ赤になってた。「お、思い出しちゃって……」って。しかもその顔のまま教室帰るからあらぬ誤解を受けて迷惑した。私が。
「あの、それと……」
「何っ?」
「ぼ、僕が着替え終わるまで待ってて! それから教室まで一緒に行こうっ?」
必死な顔で「絶対だよ!」と念を押す佐和から白と黒の制服を奪い取って、私は更衣室のドアを荒く閉めた。一緒に行こうって小学生女子かって呆れながら。
私が更衣室内で広げたのはギャルソン服。
今日はこの時間を全学年が文化祭準備に割り当てられてて、他のクラスメイトに係決めなんかの指示をした後、私と佐和がとりあえず代表してこの制服を着てみることにした。
うちのクラスの企画はベタにカフェ。愛海のお陰ですんなり決まった。
ただしこのカフェ、男女で制服を逆転させて女子がギャルソンの格好、男子がメイド服を着る。さっきのダンボール箱の中には、昨年カフェを企画した卒業生が残してくれた手作りの制服が何着か入っていた。
昨日、人気の企画は早い者勝ちだからって佐和と一緒に三年生の実行委員長の所へ企画書を提出しに行った時、優先的に試着させてもらえることになったものだ。サイズが合えばその分予算が浮くしいい話なんだけど、「昨年みたいに企画自体却下されたらどうしよう……」って直前に弱腰になった佐和を置いてさっさと一人で提出しに行ったら、委員長から言い寄られて大迷惑した。私がっ。
「さすがみのりん、ヤバイくらい似合ってるよー! その辺の男子より断然かっこ良いーっ!」
白シャツに黒のベストとパンツ、そしてお決まりのギャルソンエプロンに身を包んで教室に戻った私の周りを、愛海が大喜びで飛び跳ねてる。腰近くまであったストレートの髪は、後ろで一つにまとめ上げてみた。普段できない格好になんかちょっと気分が上がる。
うん、楽しいかも。
「佐和もその辺の女子より可愛くない?」
「ええっ、僕なんて……」
私の言葉に当の佐和が赤くなって否定した、その時。
「美乃梨」
自分のクラスかという位自然に教室に入って来た
「壮空っ? 何しに来たの?」
「何って、今朝言ったじゃん、偵察行くって」
偵察ってこんな堂々とするもの? そう思う私のすぐ傍まで壮空が寄って来る。確か壮空のクラスの五組は全員で和装するって言ってたっけ。
壮空の和装って、七五三以来?
……絶対こっそり見に行こう。あと隠し撮り必須。
「ね、壮空っち、みのりんちょーかっこいいよねっ!」
「ははっ。マジでかっこいい。みのりくん、付き合ってー」
愛海に振られ悪ノリする壮空の一言にドキリとした胸を悟られないよう、私は努めて平静に返す。
「……壮空が佐和ぐらい可愛かったらねっ」
壮空とはあの日、同じタイミングで帰宅した。帰って来た方向は別々だったけど、深くは考えない。いつものように。
何も知らない壮空が「お帰り、美乃梨」って笑顔で言う。思ったより苦しくて、壮空の顔も声も今は触れたくなくて「ただいま」って私は視線を外す。それ以上笑顔で返せる程、本当の私は強くはないからそのまま玄関へ向かった。
「美乃梨、この前言ってたDVD、後で一緒に観よ」って続ける壮空に、揺れてしまう心で「今日は疲れてるからやめとく」って拒む。何よりも、今日の壮空には触れられたくない。でも、壮空はそれほど興味の無い、私がずっと観たいって言ってた映画のことだって分かってたから、だから、
「……明日ならいいよ」と繋いでしまう。
それでも、帰り道で一口だけ飲んでみた私の持つイチゴみるくを見て「それ俺も飲ませて」って言う壮空に、「これは絶対ダメ」って譲らなかった。何を言われようとも、これだけは絶対に。
「佐和? 誰?」
「一緒に実行委員してるって言ったじゃん。ほら、壮空なんてすぐオチそう」
動揺をごまかす為にも、私は急いで佐和の両肩を後ろから押して壮空の前に出す。
メイド服姿の佐和。こちらも白と黒のフリフリのレースを袖や裾にあしらったミニスカワンピースにエプロン、ニーハイソックス。
今はメイク無しのウイッグだけで、守ってあげたくなるようなゆるふわ美少女に変身してる。私も目の錯覚かと思ったけど、白い肌と線の細い体付き、中性的な顔立ちは紛れもなく佐和本人だった。
教室に入った瞬間、誰もが二度見し、男子のスマホのシャッター音がさっきから半端ない。
「えっ、いや、僕……」
急に壮空の前に差し出され戸惑う佐和を、壮空が真顔でじっと見つめる。射抜くような精悍さを備える壮空に怯えて潤む、上目遣いの瞳がさらに小動物系の可愛さを誘う。
「あ、あの……」
「……佐和、何つーの? 名前」
「えっ? さ、佐和、
「柊二、俺と付き合って」
「えええーっ!」
突如、佐和を抱き締めて告る壮空に佐和とクラス中の女子から絶叫が上がる。
「壮空、佐和にそういう冗談通じないから」
分かってても私は少しだけ佐和に嫉妬した。
******
——結構遅くなったなー。
一人で出席した委員会を終え、渡り廊下を私は早足気味に歩く。今日はたっぷり二時間半。既に外は暗くなり始めてる。
しかも終了直後に委員長に呼ばれて無駄に時間が延びた。
「何で制服を試着したお礼に委員長とデートする必要があるのか、先生に聞いてみます」ってその場で躱したけど。佐和の不安顔はこのせいだったのかもと思ったけど、違うかもしれないし、考えても分からないことは考えない。
一週間前のあの時と同じ曲がり角に着き、無意識に歩調が落ちる。そっと先を窺い、ドアの向こうに誰もいないのを確認して小さく嘆息した時、突然横から声を掛けられた。
「ねぇ、そこのキミ。ちょっと教えて欲しいんだけど」
声のした方を見ると、いかにも遊んでいそうな見かけない大学生位の男の人が一人、立っていた。
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