第4話 見たくない距離
「……じゃあ、文化祭実行委員は
朝から
「え?」
拍手を送るクラスメイトの顔には自分じゃなくて良かったって色がありありと見えるけど、冗談じゃない。私は急いで椅子から立ち上がった。
「ちょっ、と待って下さい。何で私なんですかっ?」
数学担当のこの教師が私の声に鋭い目を向ける。
「お前は数学の成績悪いのに昨日も俺の授業サボっただろ。今もボーっとして何回聞いても反論しなかったし。何か言うことあるか?」
「……無い、です」
確かにその通りだ。でも、先生の授業はつまんないし、サボったのもボーっとしてたのも半分壮空のせいなのに。理由なんて言えないけど。
そのまま教室を後にする担任を睨みながら私は大人しく席に着いた。
今朝のことを思い出すとまだ顔が熱くなる。特に
『おはよ、美乃梨』
の破壊力。何倍も美化されて記憶に残ってる。
——あ、ダメだ。
思わず机に顔を伏せたところで愛海の声が上から降ってきた。
「みのりん大丈夫ー?」
「大丈夫じゃないよっ、あんなの一生忘れられないから!」
がばっと顔を上げ熱く訴える私に「そんなにショックだったんだー」って悲しげな顔をする愛海を見て我に返った。まだ残ってたクラスメイトも何人かが驚いてこっちを見てる。
「ごめんねー、みのりん。あたし反対したんだけど、ならお前やれって脅されてさー。あたし部活でやるお化け屋敷の準備もあるし代わってあげられなかったのー。でもめちゃくちゃ協力するから!」
「ご、ごめん、愛海。今のは違うから。ありがと、反対してくれて」
「ホントー? でもあいつには何か仕返ししとくね!」
慌てていつもの平静さを取り繕う私に愛海は気にした風も無く、さっそく「何してやろう」と考え始めてる。そう言えば先輩にはもう実行済みとか言ってたっけ。何したか知らないけど。
とにかくっ、今朝のこと思い出すのはもうやめよう。
「でもさー、同じ実行委員の佐和ぽん。みのりんとは一番縁遠いタイプじゃん? みのりんだと不安だからって佐和ぽんも無理矢理あいつに指名されてたけど、大丈夫?」
「まあ、私は別に」
学校行事なんて面倒くさいだけで興味もない。昨年そう言った私の腕を取って「んじゃ、行事じゃなくてあたしと楽しもうよ」って放課後に遊び回るみたいにして関わらせてくれた愛海。校外レクに球技大会に体育祭、そして文化祭も、終わる頃にはぐったりだったけどその疲れがどこか楽しかった。
やると決まった以上、誰と一緒だろうと時間を拘束されることに変わりはない。曲がりなりにも、そう引き下がれるようになったのは、愛海のお陰かな。
ただ、そういう理由なら佐和が可哀想だとは思うけど。
一応この二年三組のクラス委員だけど、それも殆どあの担任に押し付けられた形だった。成績は良いみたいだけど、気が弱くてパッとしない印象の男子。愛海が佐和ぽんって呼んでるのは初めて知った。私が話したことは……あったっけ?
「あ、あのっ、早河さん……」
遠慮気味に掛けられた声に愛海と二人で振り向くと、その佐和がすぐ傍に立っていた。制服もきっちり校則通り、見た目から真面目なんだろうなっていう雰囲気が出てる。別にそれはそれで個性だしいいと思う。
「何?」
真顔で聞くと、一瞬ビクリとされたような気がする。私の顔、無表情だとキツく見えるんだろうか。
「いや、あの……」
手を口元に当て、そんな挙動不審になられるとこっちが気を遣う。とりあえず、私から話すことにした。
「実行委員よろしく。ていうか、基本、佐和に任せるから手伝えることあったら何でも言って」
微笑しつつそう言うと、あからさまにホッとされた。分かり易過ぎて、普段怖がられてるのかなって多少傷付く。
安心した佐和はやっと本題に入ってくれた。
「こちらこそよろしく、早河さん。それで、さっそく今から実行委員の集まりがあるんだけど……」
「はあ?」
一礼した後、笑顔で話していた佐和が再びビクっと固まった。
「す、すみませんっ!」
「ホントに二人、大丈夫ー?」
笑いながらも心配してくれる愛海の言うとおり、先行きは不安かも。
******
「あー、長かった」
第一回目の実行委員会を終えて、二人で教室に戻る途中、文句を言いつつ廊下を歩く私に横からまた佐和が遠慮がちに話し掛ける。今日は最初だからすぐ終わるって一時間。これですぐなら次から何時間かかるんだろって早くも憂鬱だ。
「あの、ありがとう」
「えっ、何のお礼?」
「いや、早河さん、まさか委員会出てくれると思わなくて……あ、すみませんっ」
「今日で佐和が私のことどう思ってるかよく分かったから。これからそういうつもりで対応するね」
笑顔を浮かべて言ってみたのに、佐和の顔は引きつってる。うん、正しい反応だよ。
「ええーっ」と本気で怯える佐和と、渡り廊下の角を曲がろうとした時だった。
「あ……」
突然佐和が立ち止まって、私は佐和にぶつかりそうになった。佐和とはさほど身長が変わらないから、目の前に後頭部が来て視界を遮られた。
「ちょっと、何っ?」
佐和が見つめる先には、何か言い争う様子の男子生徒と女子生徒がいた。内容はほぼ聞こえないけど、女子の方が一方的に詰め寄っているように見える。校舎内に残る生徒は殆どいないとは言え、もっと通行の邪魔にならない別の場所ですればいいのに。
躊躇う佐和の横をすり抜けて気にせず進もうとした私の胸が、二人の顔を見た途端、小さく痛んだ。
——壮空と、彼女だ……。
張り付いたように足が止まって、書類を抱く両手に微かに力が入る。向こうは気付いていない。
「えっと、通りにくいし、反対側の階段から帰ろうか……」
佐和のその提案にすぐに反応してれば良かった。ほんの数秒程、早く後ろを向いていれば何も見ずに済んだのに。でも、もう遅い。
行きかけた壮空の腕を彼女が強引に引いた直後、不機嫌を隠さない壮空の顔が彼女の顔に近付いた。
渡り廊下から校舎内へと入る為のドアの向こう。私たちに背を向けているのは彼女の方。二人のこれ以上近付きようのない距離に、説明なんていらない。
鼓動を止めてしまいそうな痛みが一つ胸に走って、全身が冷たくなっていくのが分かる。
秋色の風が、昨日壮空が触れてくれた髪をさらう。昨日、壮空がいいって言ってくれた香りを散らす。
今朝「おはよ」って言ってくれた唇で、壮空は……。
「な、なんかすごいね。早河さんの幼馴染の真中君だよね? えーっと、見るのも悪いし、あ、と、とりあえず教室戻ろ……」
佐和の言葉なんて一言も入って来なかった。
私は一人その場から駆け出して、気が付いた時には動けなくなってた。
薄暗い二年三組の教室で。
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