第3話 私の知らないこと
「で、普通に来てるし」
「あー、美乃梨やっと出た。風呂長過ぎだろ。ゲームしよ、ゲーム」
「来るなんて聞いてないし、知らないよ」
その夜、お風呂上がりにリビングに寄った私の前にうちのソファでくつろぐ
やっぱり、お昼のことなんて壮空にとっては小さな子をあやしてやった程度のことなんだろうな。
思い出して、私は複雑な気分のまま二階の自室へ向かった。お母さんに「おやすみなさい」って言った後、当たり前みたいに壮空が付いて来る。
「……来ないでよっ」
——人の気も知らないで。
「何、美乃梨。何で怒ってんの? じゃあ俺、ドアの外でいいよ。寒いし、寂しいけど、ゲームの中でならみんな優しくしてくれるし……」
「うるっさいなー。もうっ、入ればいいでしょ!」
「美乃梨、うるさい。おじさんもう寝てるって」
「……っ!」
私の部屋で嬉しそうにゲームを始めた壮空の相手を、私はさしてゲームが得意って訳でも好きな訳でもないけどする。今日は私の様子を見に来てくれたって分かってるし。さっきリビングで、さり気なく私の左頰に視線を移してくれた壮空に本当は気付いてた。
ただ、「美乃梨、すげー下手」ってゲーム中の壮空はすごく厳しい。だったら誘わなきゃいいのにって心の底から思う。
だって、勝手にうつ伏せで私のベッド占領して、今日みたいにラフな薄手ニットスタイルでゲームする壮空の姿。
実は前からすごくツボだ。
携帯型の本体をそれぞれ持って極力視界に入らないよう、私はベッドのサイドに背中を預けるのがいつものプレイ場所。そうすると。
「そうじゃねーって」って後ろから私の手元を覗き込んでダメ出しするのはまだいい。少しだけムカつくけど。
「こうすんの」って勝手に手を伸ばして操作指導するのは正直やめて欲しい。意識してるのは私だけって自覚するから。「こう?」って気にしてないフリ貫くけど。
「やればできんじゃん」その笑顔は……「ま、まあね」ちょっとテンション上がる。
「あれ、美乃梨。シャンプー変えた?」
「……何で分かるの?」
「いつもと匂いが違う。ん、いい」
変化球は無し。後ろから堂々と匂わないで。髪触んないで。変な汗出るから、ゴトってゲーム機落とすから、壊れたらお父さんが泣くからっ!
「べ、別に壮空の為じゃないし」
視線を外し、声だけなら辛うじて無心を装える。でも、
「あー、何やってんだよ、ほら」
ベッドから乗り出して、ゲーム機を拾って渡してくれる壮空はナチュラルに無関心だ。
何だろう、何だろうこの敗北感。
じゃあ、ずっとこれにしようかななんてチラッと思ってしまう。それにしても……
——何年経っても、私は壮空の対象外なんだな。
そもそも夜の十時過ぎに普通に玄関から入って来て一人娘の部屋に上がれるのは、全国でも壮空くらいじゃないかと思う。お母さんなんて「朝ご飯作るから泊まっていってもいいのよ」って、本当に信じられない。
まあ、そんなこと言うのは、息子みたいに思ってる壮空にだけだろうけど。
一人でそんな精神的攻防を繰り返していた私の頭がかくんっと舟を漕ぎ、いつの間にかウトウトしていたことに気付いた。ぼんやりとする頭で時計を見る。
もうすぐ一時だ。あれから二時間近く経ったことになる。
壮空は、と私はゲームサウンドだけが鳴る後ろを振り返った。
「壮空、そろそろ……」
——寝てるし。
寝てる時は静かだなって、私はベッドに突っ伏す壮空を少し恨めしく思う。でも、小学生の頃から変わらないこの感じが嬉しくもあって、くすりと笑いが漏れた。
ゲーム機の電源を落として、目を瞑る壮空にもう一度声を掛ける。
「壮空、寝るなら帰りなよ。風邪引くよ」
「んー」と寝ぼけ眼の壮空が私の声に反応してゆっくりと動き出し、そのまま布団に潜り込んだ。
「壮空、違うって。ここ私の部屋。壮空、そーらーっ」
いくら揺すってもそれ以上反応しない壮空は、こうなると朝まで起きない。大きなため息を吐いて、私は壮空を起こすのを諦めた。
「しょうがないなぁ」
呟きつつ、私はぐっすりと横向きに眠る壮空の顔を眺める。口の端に小さく昼間の傷が残っているのに気付いて胸が痛んだ。
「……壮空、ごめんね。痛かったよね」
嬉しい筈なのに、お礼の言葉は出てこない。壮空の優しさは、時々辛さを伴って私を戸惑わせるから。
壮空から返るのは静かで穏やかな寝息。この寝息を間近に感じると子どもの頃を思い出して安心するのは、もう私だけかな。
何度も見てきた壮空の寝顔。
でも、それを知るのはきっと私だけじゃない。
心に針みたいな痛みが刺さる。
壮空のことは何でも知ってるけど、知らないこともある。
例えば、高校生の壮空が抱き締めてくれる腕の強さも、胸の広さも、温かさも、私は今日初めて知った。
壮空と出会って一年もしない彼女は知ってるのに。
思い出して、無意識に自分の両肩を抱くと、虚しさが生む何かが喉の奥を詰まらせた。
例えば、壮空がどんな風に好きって感情を見せるのかも、私は知らない。
壮空は彼女には「好き」って言葉を言うんだろうか。
どんな顔で? どんな声で?
想像すらできない。したくもない。本当に知りたいのは他の誰かに向けられる想いじゃない。
幼い頃の素直に口にできていた日々が、かけがえのないものだったと今なら思う。壮空はほとんど、言ってくれたこと無かったけど。
その重みが変わってしまってからは、一度も伝えてないね。
気が付かなければ良かったのかな。
それとも、私も壮空が好きなふわふわ甘い外見になれば、嘘でも言ってくれる?
私はどんな壮空でも好きなのに。
好き、だったのに。
心の内に浮かぶ壮空の幾多の笑顔が、鮮やかに私を撫でていく。手を伸ばしても触れることはできないのに、簡単に私の殻はすり抜けて一番奥深くにある感情を動かすんだ。
「……好き」
溢れる想いを、勝手に小さく壮空へ届ける。
「好き」
こうなったら止まらなくなるのは分かっているのに、眠ってる壮空に向かって、もう何度
「好き……っ」
返らない告白に、未だに一方通行の想いは消えない。
幼馴染という、無条件で壮空の隣にいられる大義名分まで失う勇気が無くて、
もうこんな子どもみたいに泣くのは嫌なのに。
頰を伝う熱い涙が、私の両手をすり抜けて、壮空の眠るベッドの端へと落ちて行く。
だから壮空、私のこと好きにならなくていいから、壮空から言ってよ。
私が、諦められる一言を。
「大キライ」
反対だったら、頼めば何度でも言ってくれるの?
******
——……あ、もう朝。
鳴り響くアラームを止めようと、私はゆっくりと布団から体を起こす。まだ少し眠たくて、今まで包まれてた温かさを名残惜しく思いながら手をつくと、いつもと違う感触がして聞き慣れた声が耳に届いた。
「……重い、美乃梨」
「あ、ごめん、壮空。ていうか、重いって失礼」
「んー、今何時?」
「七時。もう起きないと遅刻する……って、えっ? 壮空っっ?」
同じベッドの中にいる壮空に気付いて、私は反射的に飛び退いた。と言ってもシングルサイズに逃げ場もなく、壁に思い切り頭と背中を打ち付けてなお「何でっ?」て声が出る。お陰で一気に目が覚めた。
「おはよ、美乃梨」
自分に腕枕してる寝起き姿の壮空が欠伸する。無防備な姿がカッコ可愛いくてやばい……っじゃなくて!
——私、もしかしなくても壮空と一緒に寝てたっ!?
何でっ? そんな記憶全然ない。確か昨日は床に毛布持って来て寝た筈っ。
——まさか無意識に壮空にっ?
いや大丈夫、パッと見、健全な高校生の朝だしっ。
「えっ、私、いつの間にベッドに……っ」
「知らねーけど、まあいいじゃん」
——そんなあっさり!
全然意識されてないのは分かってるけど、壮空はナチュラル無関心過ぎる。少し位動揺してくれたって。だってさっきまでの温もりが布団じゃなく壮空とかっ……無理!
ベッドの上で固まる私は、顔が熱くて、動悸が激しくて、恥ずかしさで目眩すらしそう。それに比べて壮空のこの涼しい顔。
「あ、おばさんが朝ご飯って呼んでる。美乃梨、行こ」
さっさとベッドから立ち上がって一つ伸びをする壮空。
えっ、何この人。何でそんな平気なのっ?
「やっぱり美乃梨と寝ると全然違うな」
「へ……っ?」
「子どもの頃、よく一緒に昼寝したよな。なんかあれ思い出して安心する。俺、一人で寝るか美乃梨と一緒じゃないと熟睡できないから」
振り返りつつ言ってのける壮空のこの顔は、完全にからかってる顔だ。
「あ、おじさんに美乃梨と寝ましたって言わないとな」
うん、お昼寝をね。夜だけど、お昼寝だったよね。
思考停止した頭で、私もナチュラルに返せそう。
「壮空、あんまりお父さんのこといじめないであげて。また泣くから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます