第104話 物思い( 2 )——桔梗の方


 『水神の剣の守り手』を欲するかどうか、桔梗は文に添えた扇に匂わせた。

 その問いかけに対し、朱雀帝は『いな』と応えたのだった。これがもし了という返事なら、一縷の望みが残されていたものを。

 亀甲の文様を刷りだした薄色の唐紙には、伸びやかな筆致で漢詩が書かれていた。


 曰く、


 何にてか更に呉山ごさんくまもとめむ



「なぜわざわざ山の奥に座下の花を求める必要があろうか。その必要はない」——と。




 桔梗が物思いにふけっていると、新参の女房だろうか、几帳の隙間から呼びかける声がした。


「お白湯をお持ちしました」


 白湯などもう良い、と言い返そうとして、桔梗は年若の女房が気配を悟らせず控えていたことに、ふと興味を覚えた。


「そなた、名は何と申す」


 女房は叩頭したまま、短く言った。


大炊おおいと申します」


「そなたはきっと、隠密にむいている。わらわの配下にならぬか」


 それは酔狂と言える突然の申し出だったが、大炊はうろたえる素振りを見せなかった。それどころか口元には、薄いほほ笑みさえ浮かべたのだ。

 大炊は叩頭したまま静かに言った。



「大后さまが望まれるのであれば」



***



 その後、剣の守り手に代わる者が探し求められ、ひとりの女君が入内する手はずとなった。もとは近衛大将このえのたいしょうが月影と呼ばれる社に立ち寄った折に、ひとりの巫女を見初め、生まれた姫君を邸で大事に養育していたという。


 社ゆかりの品なのか、女君は白珠を連ねた美しい玉かずらをその手にたずさえていた。このところふさぎがちだった朱雀帝も、清らかで美しい更衣の登場に心を慰められた様子だった。


 女君はのちに「白珠の更衣」と呼ばれ、女御をさしおいて類いまれなる帝の寵愛を受けることになる。

 このとき名乗った大炊は、数年後「梧桐あおぎり」という異名で、男装して大内裏おおうちにまぎれこんだ。


 桔梗は剣の守り手の一件をきっかけに、暗殺を配下に命じるのをやめた。前世の縁の深さか、白珠の更衣が懐妊したからだった。


 十月が経過したのち、生まれてくる命というものを桔梗は初めて目の当たりにした。 桔梗は、小さな皇女を政争から遠ざけ、『月読』の手で隠すことにする。

 それはまた違う時代——白珠の更衣が亡くなり、後を追うように朱雀帝が崩御した後のことだった。

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