第103話 物思い( 1 )——桔梗の方


 返礼の綾絹は、朱鷺色ときいろに金糸で花鳥を縫いつけた稀少な品だった。仕立てさせたら、さぞ見栄えのする衣になるだろう。

 灯火のもとで文机ふづくえにむかいながら、しかし、そのあでやかな生絹きぎぬを見ても、桔梗は暗く沈み込んでいた。


 剣の巫女を得られなかったことが、未だ重い痛手となっていた。


 桔梗は、朱雀帝にあてる文をしたためる直前に、和人に命じた暗殺が、遂行されずに終わったことを知った。ついに遺体は見つからなかった、と。


 それを不甲斐なく思う気持ちは、桔梗のなかにはなかった。ただ——やはり、と思っただけだった。

 やはり、あの童男おぐなは人ではない面をあわせもつ異形のものだったのか、と。


 陰陽師なら、それを鬼だと判じるのかもしれない。

 あるいは物の怪だと。


 しかしあの童男は、それほど禍々まがまがしいものには見えなかった。一見、どこにでもいるような普通の少年のように映ったのだ。


 文には、大蛇となった童男を巫女が斬ったのでは、と記したが、それは誤りだった。桜子が間違って、あの少年を斬るとは思えなかった。


 剣を振ったとき、あの童男がいらえた気がしたのだ。身をやつして網代車あじろぐるまに入り、退出するさなかだったため、正確には聞き取れなかったが——だとすると童男は生きていることになる。


 和人をあの場に残したのは、まだ童男がいるなら、息の根をとめておきたいと思ったからだった。



 暗殺を命じたのは、陰陽師のうらが発端だった。忍びの里に、黄泉の淵を広げる童男がいる——と。


 すめらぎにとって害となるならば、早く摘み取っておくべきと思ったのだ。


 (結局私は、何もできなかった。災禍の元凶である童男を殺すことも。巫女を得ることも)



 そう思うと、苦い気持ちが胸に広がった。

 今まで殺しすぎた報いなのかもしれない。


 帝が暗殺を命じたことはなかった。

 ただの一度も。


 しかし大后の立場で内裏を見れば、誰が帝にあだなす敵であるかは、手に取るように分かった。だから、命じたのだ。

 ためらいなく、今までそうしてきた。帝のほかに、守りたいものなどなかった。



 心境に変化が生じたのは、瑞彦についで、優が組織を抜けてからかもしれない。

 桔梗はあえて、忍びの面々を泳がせるつもりでいた。優の暗殺を厳しく命じなかったのは、明確な理由がないと思ったからだ。本当は理由など、いくらでもつくりだせたのに。


 秘匿された息子——薫が何に憑かれているのか、桔梗は知っていた。だから、必要以上に恐れていた。


 朱雀帝が、皇女ひめみこ二ノ宮と同じ大蛇の祟りにあうことを。そのためなら、どんなことでもするつもりでいたのだ。


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