第71話 白煙


 ——いけない。このままじゃ、薫を守りきれない。


 敵意が消失しているのだとしたら、なおのことだった。桜子が強く唇を噛みしめた瞬間、その場にむかって何かが投げ込まれた。それが何か確かめる余裕もなく、辺り一面に白煙が舞いあがる。



 ——煙幕?



 もうもうとたちこめ拡散した白い煙を吸わないよう、手の甲を口にあてがいながら桜子は懸命にまわりを見定めようとした。

 不意に近くでささやき声がする。


「こっちです。桜子さん」


 その声には聞き覚えがあった。


「……まさか、桂木さん?」



 桜子が尋ねると、太い腕が桜子の手首をつかんで引き寄せた。


「ともかくこちらへ。目くらましも、そう長くはもたない」


 返事をする暇は与えられなかった。

 驚くほど強い力で腕を引かれると、そのまま一緒に走りでるしかなかった。



***




 充分離れた場所までたどり着くと、桂木はようやく足をとめて握っていた腕を振りほどいた。急斜面を転がるように駆けてきたため息もあがっている。


 桜子が乱れた呼吸を整えながら視線を桂木にむけると、彼は一転安堵した表情で言った。


「ここで落ちあえてよかった。本当に皆、どれだけ心配したか」


 桜子は一緒に喜ぶ気にはなれなかった。

 薫の姿が見えなかったからだ。

 桜子はぐいと面を上げて言った。



「私、引き返して薫を探しに行く。今見失うわけにはいかないの」


 きっぱりと告げた桜子の言葉を聞いても、桂木は反駁しようとはしなかった。



「薫が和人の手にかけられ、危ないめにあったことを私も知っています。和人が裏切るとは。誰も予想できないことでした。

 師範も大層お怒りになり、薫の破門をとり消されました」


「だから何だというの。それどころか、薫はもう少しでさっきの男に殺されてもおかしくなかったのよ」



 言うと今さら恐怖におそわれて、言葉の端々が震えそうになった。かばいきれないと、桜子は感じたのだ。急所を狙って刺されたら最後だった。それが本当に、もう少しで現実となるところだったのだ。


「どうかしている、あの男。薫は何もしていないのに」


「『月読』の輩にも理由があるのでしょう。それはそうと、先ほどから薫はあけびの木の影に立っています。行っておあげなさい」



 その言葉にハッとして振り向くと、少し離れた木陰こかげにまぎれるように薫がひとり佇むのが見えた。

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