第62話 荒屋( 3 )


 口調こそぞんざいだが、優は桜子だけではなく、薫のことも気遣っている様子だった。それが分かると、桜子は少なからず安心した。長年まともに会わずにいたためか、話すと喧嘩腰になるのだが、言葉とは裏腹に優は薫の世話を引き受けていた。


 水桶みずおけに浸した手ぬぐいを傷にあてると、痛みで薫は顔をしかめたが、それでも従順におとなしく座っている。そんな様子を眺めていると、こんな形でも再会できてよかったという気持ちが自然と湧いてくる。


 優が小さなかまどで煮炊きをしてくれたおかげで空腹が満たされると、薫はいつのまにか床の上に横たえて眠っていた。

 口元をわずかに開けて寝息をたてている様子はあどけなく、年相応の少年のように映った。いくら大人びた振るまいを見せても、薫は十二になったばかりなのだ。そう思うと邪気のない寝顔がひどく幼気いたいけに見えて、桜子は胸が苦しくなるのを感じた。


「きのうは夜通し歩くはめになったからな。今になって疲れが出たのだろう。桜子も横になって休むといい」


 優の言葉に、桜子は被りを振った。

 まだ聞きたいことが残っている。


「優さんは、どうしてお母さんの影を追っていたの」


 つぶやいた声は自ずと硬くなった。

 桜子に休むつもりがないことを知ると、優は持っていた木椀もくわんを床に置いた。


「会える最後の機会だと思ったが、当てが外れてしまった。撫子の影は水脈筋のなかに呑み込まれ、もう姿を見せることはないだろう」


 桜子は知らず、こぶしを握りしめた。


「それは……お母さんが『水神の剣』の守り手だったから? だから死後も存在していたの」


「存在はしていないよ」


 優はすぐに言葉を打ち消した。


「ただ、魂だけは黄泉の淵にまだ残っていた。桜子のことが気がかりなんだろう」


「お母さんが気がかりなのは薫でしょ。私には繋がるところがなかったもの」


 拗ねたような口調になったことに気づいて、桜子は口をつぐんだ。優は桜子に軽く微笑んでみせた。


「撫子がどうして薫を選んだと思う? すべては桜子に及ぶ危害を防ぐためだ。守り手同士は混在することができないんだよ。この世界にひとりと決まっている。桜子には酷な話かもしれない」


「『水神の剣』を壊すように言ったのも、お母さんなの」


 桜子は思いついて口にしたが、優は意外なことを言われたかのように目を見開いた。

 一瞬の静寂ののちに優は言う。


「まだ生きていた頃、撫子に告げられた。守り手の力を解く時、『水神の剣』は依代よりしろではなくなり、打ち砕かれることになるだろうと」


 今度は桜子が目を見張る番だった。それは予知の言葉だ。撫子が語るとしたら、真実にちがいない。



 ——力を解き放つ時、嵐がやって来るのは必然なんだ。そのいかずちに、剣は打ち砕かれる。


その光景がまざまざと心に浮かんで、桜子は再びこぶしを握りしめる。


 ——今、分かった。お母さんが結界を張った理由。


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