第60話 荒屋( 1 )


 背の上で揺られながら微睡まどろむうち、いつのまにか朝が訪れていた。薫と会えたことで、いっぺんに胸のつかえが降りたせいかもしれない。


 昨夜はほとんど一睡もしていない状態だったため、睡魔に打ち勝つことはできなかった。優にも薫にも聞きたい話は山ほどあったが、移動する間、桜子は押し寄せる波のような眠気に身を預けた。山伝いに、優はふもとの里を目指したようだった。


 空が明るくなると、しきりに鳴く山鳥の声で辺りは一気に騒々しさを増す。普段は山歩きをしない桜子も、朝を告げる鳥たちの声はどこか耳に懐かしいものがあった。

 木立に朝日が混ざるようになると、優はおもむろに立ちどまって言った。


「目的の場所は、この尾根の先だ。何もないところで悪いが、身を休めるにはいいだろう」


 険しい道を下った先に、ひっそりと小さなあばら小屋があった。優は先に引き戸を開け土間にあがりこむと、桜子をむしろの上にそっと降ろしてから戸口に立つ薫をあごでしゃくった。


「お前もここで少し休むといい。俺は川で水を汲んでくる」



 少しうたた寝したのが良かったのか、桜子も昨夜に比べれば足腰がたつようになっていた。薫は立ったまま、優の行く先を目で追っていた。


「あの人に会うのは初めて?」


 薫は感情の読みとれない声でつぶやいた。


「——水脈筋で二度」


 桜子が驚いて目をまるくすると、薫は少し自嘲気味に笑った。


「一度めは撫子さんの影に会ったときだ。幼すぎて分からなかったけど、思えばあれが最初だった気がする。二度めは桜子さんと、あの里で会ったとき」


「私と?」


 桜子は問い返す。

 薫はそれに、ただ頷いた。


「撫子さんの遺言を告げられた直後だった。川のそばで話したのを覚えてない? 前日、水脈筋に降りたら優がいた。そのときあいつの名前を初めて知ったんだ」


 ——すぐる


 幼い薫の声が、耳の先をかすめたような気がした。

具体的に何を話したのか思いだすことはもうできなかったが、そのことだけはハッキリと覚えている。

 薫が自分でそう口にしたからこそ、あの日それが桜子の叔父の名前であることを知ったのだ。

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