第59話 再会( 2 )


 桜子は立ち上がろうとして、急にそれができないことに気づいた。


「どうしよう、足に全然力が入らない」


 うろたえた声でそう口にすると、薫は無造作に腰をかがめて言った。


「力を使い過ぎてしまったんだ。僕の背に乗って」


 桜子は、薫の行動に目をまるくした。


「親子ふたりして……」


 桜子は口のなかでつぶやいてから、あわてて首を振った。


「いいよ。こう見えて私、けっこう重いし」


 そう言っても薫はとりあわなかった。


「夜が明けちゃうよ。桜子さん、早く」


 桜子はしぶしぶ薫におぶさった。

 薫は立ちあがり桜子を抱え直すと、徐々に白み始めた山の杣道そまみちを下った。ざくざくと響く足音を聞きながら揺られるうち、桜子の胸に浮かぶものがあった。


 ——そういえば私、追われていたはずなのに。

 もう諦めてもらえたんだろうか。



 すると頭上から、明るい声がした。


「無事に行きあえたようだな。大したものだ」


 薫はその言葉に足をとめた。

 見あげると、かしの木立に佇む影がある。その人は、ザッと音をたて眼前に舞い降りた。


「あまり無理をするなと言っただろう」


 優は、桜子につぶやいてから薫を見た。


「お前もおのれの身をわきまえた方がいい。桜子を背負える状態じゃないだろう」


 そう言うなり優は、薫から桜子を取りあげ背におぶった。薫はそれに抵抗しようとしたが、崩れ落ちるように片膝をつく。その様子に桜子は声をあげた。


「薫、怪我けがをしてるの」


 本人がまったく平気そうにしていたため、そうと気づかなかった。この暗がりのなかでは、なおのことだ。


「歩けるのなら、折れてはいないだろう。傷を見せてみろ」


 薫は顔をそむけたが、今度は逆らおうとしなかった。優は懐から何か取りだすと、薫の腕と胸を確かめるように触り、少しずつそれを患部に塗りつけていった。鼻をつくような独特のにおいがする。


「和人にやられたのか。打撲しているな。れて熱くなっているが、これを塗っておけば少しはおさまるだろう」


 薫はしばらく優にされるままになっていたが、その沈黙に耐えかねたように言った。


「どういうつもりなんだよ。いきなり現れて」


「べつにお前に会いに来たわけじゃない」


 手を動かしながら優は言った。


「俺は桜子を助けるために参上しただけだ。どうにもできない状況だっただろう」


 薫はそこで言葉をのみ込んだが、一拍おいてからまた口を開いた。


「優ももとは『月読つくよみ』の人間だろう。十五年間、何の音沙汰おとさたもなかったやつが、今さら」


 桜子は何も言うことができずに、ただ黙って会話を聞いていた。

 十五年間。


 ——もしかして薫は、この人に会うのはほとんど初めてなんじゃないだろうか。


 優は薬を塗り終えると、桜子を背に抱えたまま立ちあがった。


「あの里にいられなかった理由は、お前にも分かるだろう。『月読』にいたのは都合がよかったからだ」


 そう言って、優は東の方角を眺めた。

 空には細く淡い雲がたなびき、月の光は薄れ始めていた。優は、明け残る星の光があかつきに消えていくさまを見つめてつぶやいた。


「大体の追手はまいたが油断できない。桜子の体力が残っているうちに行った方がいい」


 優はそう言うと、薫を見下ろした。


「お前の方はこのまま捨て置いても俺は構わないが、そうすると桜子が気に病むだろう。俺の隠れ家でよければ案内する」


 薫は嫌そうな顔をしたが、ひとまず優を頼ることに決めたのか、何も言わずに後に付き従った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る