第53話 月光( 1 )


 月の光に誘いだされるように、桜子は隅の妻戸を開けて表に出た。

 簀子縁すのこえんからは闇に沈んだ松林の暗い輪郭が見え、その向こうには高くはりめぐらされた築地塀ついじべいが遠く見渡せる。


 ——あの日の夜も、こんな月が出ていた。


 薫と話した夜を思いだしながら、桜子は思いきり息を吸い込んだ。わずかに湿る風の匂いがする。


 ——たとえば今ここで技を行えば、薫の消息も知ることができるだろうか。


 まだ少し体に痺れは残っていたが、やろうと思えばできないこともない。そう思って軸足を固定し体を沈ませた刹那せつな、パシン、と頰に降りかかるものがあった。


 急に視界をさえぎられたことに驚いて手に取ると、それは広げられた扇だった。

 ひのきの薄板を連ねた扇面には、極彩色で文様が描かれている。あけや白の色糸を束ねあわせた、長い飾り紐が両端についていた。


 思わぬことに上空を見上げると、母屋もやの上から呼びかける者がいた。


「今はやめておいた方がいい。水脈筋に行ったばかりだろう」


 聞き覚えのある声音に、今度こそ桜子は目をまるくした。


「その声——優さん?」


 フッと、影が眼前を横切ったかと思うと、その人は簀子縁の前に降り立った。


ねやにまで押し入るつもりはなかったんだがね。妻戸が開いたおかげで場所が知れた」


 優は、悪びれずにそう言った。


「驚いた。ずっとこの辺りにひそんでいたの?」


 改めて眺めると、優は額に見慣れた天狗の面を付けていた。夜の闇に紛れやすいように濃紺の衣装をまとい、袴のすね脚絆きゃはんでくくっている。


「そこにいては身動きが取れないだろう。ここから連れだそうと思いしのんでいた」


 桜子にとっては願ってもない申し出だが、その手を取るまでには若干じゃっかんの間があった。

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