第42話 夢のあわい



 青い水面みなものまぶしい川縁かわべりで、桜子は初めていとこの少年に出会った。


 当時、里の誰もが幾人ものきょうだいと暮らしていて、一人っ子は桜子だけだった。

 桜子は少年と仲良くなりたかった。

 聞けば年はふたつしか変わらない。


「ここに来るのは初めて?」


 語りかけると、少年は振り向いた。

 黒くまぶしい双眸そうぼうが、利発そうに桜子の姿をとらえる。と、少年は大きくその被りを振った。


「前にも来たことがある。師範とふたりで」


 桜子は好奇心を抑えられなかった。


「薫って、この里に住んでいるんでしょう。お父さんとお母さんはどこにいるの」


「母さんには、会ったことがない」


 薫は小さくそう言って付け加えた。


「父さんのことも知らない。今は遠く離れたところにいる」


 別段さみしそうにも見えなかったが、桜子は自分より年下の童男おぐなにそんなことを言わせたことに気がとがめ、つとめて明るく言った。


「お母さんに会ってないのは同じね。私もお母さんを亡くしたから」


 共犯めいた微笑みを桜子が向けると、薫も心を動かされたようだった。

 薫は声の調子をあらためた。


「桜子さんのお母さんは、僕知ってるよ。夢のなかで会ったことがある」


 夢のなかで——?


 桜子は薫に言われたことが分からず、それを問い返すこともできなかった。

 聞き間違いじゃないかと思ったのだ。

 桜子はその言葉には触れずに、違うことを尋ねようとした。


「私のお母さんは撫子なでしこっていうの。お父さんの名前は秋津彦。薫の両親の名前は何ていうの」


「母さんの名前は知らない」


 薫はそう前置きして言った。


「でも、父さんの名前なら知ってるよ」


 桜子はそう尋ねておきながら、自分が本当に叔父おじの名前を知らないという事実に気がついた。

 今まで誰かが口にするのを聞いた覚えがない。


「なんて名前なの」


 桜子が重ねて聞くと、薫は先ほどよりも小さな声で、でもはっきりとその名を口にした。



「——すぐる


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