第32話 婿がね( 3 )


「縁談について知らないふりをしたのは、私も悪かったと思ってるよ。でもここに通えないわけじゃない。またいつでも遊びにくればいい」


 瑞彦の口調はいつになく優しかった。心からそう思っていることが伝わってくるだけに、下手をすると泣いてしまいそうだった。

 桜子は口をひき結んで言った。


「どうして薫をいきなり破門にしたの。そんなことをしなくてもよかったのに」


「薫の父について、お前も少しは話を聞いただろう。あれは危険だ。そして薫にも審神者さにわと同じものが流れている」


 ——審神者。


 それは、和人が語った言葉と同じものだった。穏やかだが一歩も引かない声音に、桜子は唖然とした。


って、優という人のこと? でも優さんは——」


「お前には、もう似合いの相手がいる」


 桜子の声をさえぎって瑞彦は言った。


「薫の役目は、もう終わったのだ。今さら決定を変えることはできない」


 桜子は反駁はんばくした。


「薫の役目は遺言のせいでしょう。お母さんが予言していたから」


 その言葉は瑞彦の意表を突いた。


「どこでそんな話を」


「薫が言ったのよ。私が『水神の剣』の守り手の血筋だって。その力は還さなければいけないって」


「どうやら破門したのは間違いじゃなさそうだ」


 瑞彦は口のなかでそうつぶやいた。


「薫に何を吹き込まれたか知らないが、剣の力は決して手にしてはならない。そんなことをすれば、この地に災いが降る。

お前は早くちゃんと祝言を挙げて、何の気兼ねもなく暮らしていけばいい。お前の母がそうできなかった分も」


 諭すように言われ、桜子はとっさに言葉を返せなかった。


 ——おじいちゃんは本当に、優さんの言い分を信じていないんだ。優さんに影響を受けた薫の言葉も。薫だけじゃない。和人さんも、守り手の血筋について語ったのに。


 さまざまな思いが脳裏をかけめぐったが、和人のことまで言い及んでいいか分からず、桜子は口をつぐんだ。

 桜子が大人しくなったのを肯定の意ととったのか、瑞彦はいくらか声をやわらげた。


「秋津彦から相手のことはもう聞いただろう。頭の回転が速く才知に長けた青年で、お前よりもひとつ年上だ。名を、乾惣之助いぬいそうのすけといってな。乾家の嫡子にあたる」


 ——乾家。


 桜子は息を呑む。その名前を、この里の者なら誰でも知っている。

 南に開いた里の入り口——北西に、この里の領主である乾家が居をかまえているのだ。

 まぎれもなく、祖父が言ったのは里長を務める領主の氏名うじなだった。この里に住む少女おみななら、誰もが羨む縁談なのだろう。



 瑞彦はまだ話をしていたが、桜子はもう聞いていなかった。薫との約束を思いだしていたのだ。



 ——君の行動が何よりの鍵になるんだ。


 和人の告げた言葉が、頭の奥の方で鳴り響いた。

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