1日目(8)―鉢合わせ

 龍馬は、第二化学準備室ラボを出ると、再び足早に校門を目指していた。


 早退し、ある場所に急ぐためだった。

 今は、1分1秒でも惜しい。


 幸いまだ始業前だったため、忘れ物でもしたふりをして、さっさと校門を抜けようと考えていた。が、ちょうど校門前にさしかかったところで、たしか校長だったと思われる頭頂部のさみしい教師に、女子大生ほどの若い女性が何やら食ってかかっているのが目に入った。


「――本当に、再調査してくださったんですか?」


「だから、何度もそう申し上げているでしょう。ご希望通り当校の方で再調査いたしました。しかし、結果はまったく変わらずでしたと申しているじゃないですか」


「弟は! 陽斗は! 理由もなしに死ぬような子じゃないんです!」


「少しお話にくいんですがね……本当はご家庭内に問題がおありになったんじゃないですか? それをお認めになりたくないご家族のお気持ちは――」


「――だから言ってるじゃないですか! 日記にはと書いてあったんです!」


 龍馬は、その言葉で思い出した。

 たしか当時、龍馬のひとつ上の学年で自殺した生徒がいたことを。

 いじめを苦に自殺したという噂も人づてに聞いた気がするが、結局、心神喪失しんしんそうしつにともなう事故として処理されたはずだ。

 そこそこ騒ぎになった記憶もあるが、なにぶん一つ下の学年だった龍馬には、それ以上、当時はあまり情報が入ってこず、正直、今の今まで忘れていた。


「また日記の話ですか……あのような曖昧あいまいな表記では、いじめの認定はできませんよ。実際、当校の2回に渡る調査でもいじめにあたる事案は、一切確認できなかったんですから」


「陽斗が嘘を書いてたって言うんですか?」


「そんなことは、言ってませんよ。当校の調査結果では、いじめの実体がなかったというを、こうして私、校長の定岡さだおか自ら誠意を持って申し上げているのです」

 そうだ、校長の名は定岡だった。龍馬は思い出した。

「しかし――」


「――もう間もなく始業となりますので、お引き取り願えますか?」


 すると定岡は、すぐに踵を返した。

「ちょっと、まだ話は――」

 定岡は顔だけ振り返ると、


「――あなたも大学生なんでしょ? 弟さんのことは大変残念でしたが、学生の本分である勉学に励まれてはいかがですか?」


 それだけ言うと、あとは振り返ることもなく校舎の方に消えていった。

うちでは……家ではまだ……陽斗の死は終わった話じゃないんです。あの日から……まだ家の中はずっと……ずっと……止まったままで……」

 定岡が見えなくなっても、女性はうつむき目に涙をため、途切れ途切れにそう語った。


 なんて現場に出くわしてしまったんだろう……。

 

 他に生徒や教師の姿もなかったので、龍馬はタイミングの悪さを呪った。

 龍馬は、なるべく女性の目に触れぬよう、そっと脇を通り抜けようとしたが――


「――あっ、ねえ君!」


 運悪く、女性に気づかれると声をかけられてしまった。

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