記憶の形

nobuotto

第1話

 それは「新婚さんいらっしゃい」のカップルが話した「赤い糸」から始まった。

 彼女は小さい時に海岸で綺麗な貝を親切な男の子にもらったという漠然とした記憶をずっと持っていた。

 彼もある記憶があった。幼い頃に海岸で綺麗な貝を拾ったら、その貝より素敵でかわいい女の子に出会い思わず渡したという記憶だった。

 始めて出会ったときは、お互いあまり惹かれることはなかった。ところが幼い頃の不思議な思い出を話すと、実は二人は過去に出会っていたこと分かり、それから愛が深まり結婚した。それがカップルが話した「赤い糸」だった。

 同じ経験をしたというカップルの投稿がネットに溢れた。

 「赤い糸」がファンタジーから現実に降りてきたのであった。

 地方大学の精神科学研究室という文系とも理系とも区別がつかず、それ故にパッとしない研究室でも「赤い糸」は世間とは違う意味で話題になっていた。

 年老いた堂元教授に助手武井は言った。

「先生の研究の正しさが、こうした形ですが、やっと理解される時が来たんです」

 堂元教授の研究テーマは記憶であった。最新脳科学を基盤にした画期的な論文を次々と発表し、若くしてT大の教授に抜擢された。

 しかし、ある時から幼児期における二次記憶の生成というテーマに取り憑かれた。七歳までに、睡眠状態からの覚醒時において、強い光とともにある映像を見せると、それが二次記憶として刷り込まれるというのが堂本の理論であった。

 脳科学の臨床中にふとこの現象を発見してから、堂元はこの二次記憶の植え付けの研究にのめり込んでいったのだった。

 医師免許ももっていた堂元は、各病院の小児科で密かに実験を繰り返し、二次記憶を刷り込む方法を確立していった。

 しかし、人体実験であるから公にすることはできず論文としても発表することはできなかった。新進気鋭の若き研究者もこの研究にのめり込んだばかりに、その後なんら成果も出せなくなった。

 「論文を発表しない研究者」のレッテルが貼られた堂元は、地方国立の広大なキャンパスの一番外れの研究室で、もうすぐ定年を迎えようとしていたのだった。

 それがあの番組をきっかけに大きく変わろうとしていた。

 堂元の研究の正しさが、科学的ではなくとも実証的な社会現象として示されたのであった。

 番組に出たカップルも、SNSで自己申告しているカップルも、誰にどの二次記憶を何歳に植え付けたかは、これまでの実験記録に全て書かれている。それを公にすれば、一躍「時の人」になるかもしれないが、同時に人体実験を行っていたことの証拠ともなる。このジレンマで堂元は発表をしぶっていた。

 学生の頃から十年以上研究室にいる助手の武井は堂元に発表を強く進めていた。

「今では、この逆のトラウマの記憶を消す研究での成果も出ています。先生が既に行った実験ももう二十年前に行った実験でもあり、法的にも許されるはずです。現在の研究成果をもっと世に広めるため、そしてより多くの研究予算を獲得するためにも、先生の研究を発表しましょう」

「確かにそうですね。私一人で始めた研究がここまで来たのは、こんな先の見えない研究室で昼夜問わない研究をしてくれた武井君達のおかげです。研究予算もない中、バイトをしながらもこの間ずっと働いてきてくれた皆さんのおかげですから」

 「先生、もったいないお言葉です。この研究が成功するのは教授だけの夢ではなくて、僕自身の夢なんですから」

「そう言ってもらえると私も嬉しいです」

「私は、小さい時になんとなく研究者になりたいと思っていました。そんな時、公園で大学の先生という人に出会い、その人に、君には才能を感じるから研究者になればいいと言われ、研究者になる決心をしたのです」

 武井は目をつぶり当時を思い出すように話しを続けた。

「その先生は言いました。ただし、君はいい研究者、そう僕のような研究者とともに一緒にやらないと駄目になるよと言われたんです。大学に来て先生にお会いした時に驚きました。昔会った先生が、堂元先生と瓜二つなのです。先生にお会いして、私はこの研究をするのは宿命だと思ったんです」

 武井の話しを聞いていた研究員誰もが熱く語り始めた。

「武井さん。実は、私も同じ経験を子供の頃に…」

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