第20話 「8時間25分後」


 窪地から出発する事にしたのは、エアーズロックもどきの上から見えた物を俺が回収し終った10分後だった。次に向かう先は、3つめの赤い人工物が見えた地点だ。ここからは東の方角に当たる。言い換えれば森に近付く事になる。

 佐藤先生が飛行出来れば良いのだが、エネルギーが足りない事と夜目があまり利かない事から一緒に徒歩で移動する事にした。


 ここでの回収物は新(あらた)君が脱いだポロシャツとV字ネックの下着、それと新君の母親の郁子さんが落としたハンドバッグだった。

 ハンドバッグに関しては、落とした覚えが全く無いらしい。

 と言うよりも、『召喚』に巻き込まれた事に動転し過ぎていて、それどころでは無かったのだろう。



「それにしても、よくもまあ、ここまで無事に来れましたね」

「え、そんなに危険だったのですか?」


 3人とも、ポメラニアン顔で驚いたが、こっちが驚きたいくらいだ。

 窪地からハンドバッグが落ちていた場所までは400㍍は有った。

 それだけの距離を無事に移動出来ただけでも奇跡だ。

 現に、進路上の地中に潜むトリケラハムスターの気配を7頭は感じたほどだ。


 『召喚』時、母親3人は20㍍以内に出現したらしい。

 慌てて合流した3人は、どうすればいいのかを話し合ったが、ここで昼のテレビを良く見ていた事が最終的に功を奏したようだ。

 当然ながら、昼の時間帯に放送されている情報番組でも『召喚』の事は嫌という程に繰り返し取り上げられていた。

 まあ、俺は昼のテレビなどは休みの日にしか見る機会が無いし、俺が集めた資料の方が質が良かったりしたのであまり参考にならないと思っていたが、3人にとっては、テレビで流された内容がそこそこ役立った様だった。

 『召喚』後1日で『返還』された『被災者』がスマホで撮影した写真が拡散した事も有り、ポメラニアン自体の映像はテレビでもよく取り上げられていた。

 その為、初期の動揺が意外と早く収まった様だ。

 話し合いの結果、他の『被災者』を探そうと歩き出したが、あの窪地を発見した時にテレビで言っていた『自分の身を守る』には最適の場所では無いか? となり、それからはじっとしていた様だ。

 

 3人を発見した時には佐藤先生はフラフラだったそうだ。

 なんとか着地したものの、再度飛べる体調では無く、俺が助けに来るまでは動かないでおこうと言う事になったらしい。

 まあ、賢明な判断だろう。

 待っている間に、佐藤先生がこれまでの経緯も伝えてくれていた。

 孝志君と大村さんの死もその時に伝わった。

 自分自身も襲われたトリケラハムスターの恐ろしさに関しては、『なに、そのモンスター?』と言いたくなるくらいに言ったみたいで、さっき食べた肉がそのトリケラハムスターと聞いた途端に顔を青くしていたくらいだ。

 もっとも、毛が邪魔で人間の時ほどは分かり易くはなかったのだが・・・

 


「強運という言葉は皆さんの為に有る言葉と言いたいくらいです」


 そう言って、俺は地中に潜むトリケラハムスターの事を伝えた。

 更に顔色が青くなった気がするが、自信は無い。

 ほんのちょっと、運命のさじ加減が変わっていただけで、3人が全滅していてもおかしくなかった。


 それに対して、新君は自力で危機を乗り越えていた。

 トリケラハムスターに追い掛けられたが、上手く横に回り込んで逃げ出したのだ。

 これは小学校で配られた低学年用に作られた小冊子だけでなく、自宅に有った小冊子も読んで覚えていた習性を咄嗟に思い出したから可能な事だった。

 俺も楓と水木に見せられたが、やはり低学年用小冊子は大人用に比べて中身が薄いとは思っていた。

 とはいえ、読んでいるのと読んでいないのとでは雲泥の差が有る。

 更に全部の漢字にふりがなが振られているとは言え、基本的に大人用の小冊子まで読むとは大したものだと思う。

 新君はなんとか逃げ出したは良いが、脱いだ上の服を取りに戻るのも危険な為に、遠くに見えるエアーズロックもどきに向けて歩き出したが、しばらくすると丁度良い大きさの窪地を見付けて潜んだそうだった。


「お母ちゃんはビックリしてしまってダメダメだったのに、あらたは偉い」


 そう言って、母親に頭を撫でられている姿は歳相応のポメラニアンにしか見えない。

 いや、自分で何を言っているのか分からないが、目の前で行われている事はそう言いたくなる。

 犬好きな人間には堪らない光景かも知れんな。


「念の為に言っておきますが、夜になった途端にトリケラハムスターは何故か巣穴に篭っている状態です。もし、昼間の様に外に出ていれば、最悪数十㍍歩くごとに襲われる危険性が有ります。覚えておいて下さい」


 俺の言葉に、みんなは神妙に答えてくれたが、実際に実感しているのは佐藤先生と新君だけの様な気がする。

 まあ、百聞は一見にしかず、とも言うので、こればかりは経験しないと実感出来ないのだろう。



 3つ目の人工物は赤いランドセルだった。

 周囲には教科書やノート、筆箱が散らかっていた。

 地面には争った様な跡が残されていたが、血痕が無かったのでトリケラハムスターと遭遇して、ランドセルを投げつけたかなんかした隙に逃げたのだろう。

 全てに書かれていたなまえは、ありたことね、だった。


「無事に逃げられたみたいだけど、琴音ちゃん、どこに行ったのかしら?」


 佐藤先生は或る方向を見ながら呟いた。

 その視線の先には、賑やかな星空とは対照的に、真っ黒なシルエットが浮き出る森が在る。

 距離にして400㍍有るか無いかだ。


「森に近付き過ぎるのは危険です。最低でも100㍍は距離を置きたいですね。そういう訳で、100㍍離れて森沿いに南下しましょう。途中で小川の上流に行き着く筈です」


 100㍍有れば、何かが襲って来たとしてもブレスを何発かは叩き込めると思う。

 それで退いてくれなければ、本格的な戦いになってしまうだろう。

 5人の『被災者』を抱えている状況では回避したい所だが、こればかりはこっちの都合で物事は進まないだろう。

 祈るしかない。


 赤いランドセルの持ち主が無事である事も同じだ。

 祈るしかない・・・・・ 

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