第10話 「3時間50分後」
お互いの距離が10㍍を切った。ポメラニアンもどきの2人組は、ドラゴンもどきの陰に移動しているので、直接は見えない。
この距離くらい離れていたら、警戒心も少しは和らぐだろう。
こっちも相手の観察をしたが、あちらも俺の観察を終えたと判断した。
「自分は
返事はすぐには返って来なかった。
まあ、考えれば分かる。大人と言いながらも、今の俺の姿は子供服を着た猫もどきだ。
日本人とは分かっても、得体の知れない不審人物に思われても仕方ない。
「わたしは、なかいさくらです」
ドラゴンもどきが喋った。思ったよりも高音の声で少し調子外れだが、女の子の声にちゃんと聞こえる。
えーと、なかいさくらちゃん? 確か、水木(みずき)の話に出て来た記憶が有る。
ああ、思い出した。クラス委員の子だ。真面目で責任感の強い子で水木は仲が良いと言っていた。
他にも何か言っていたが・・・ ああ、そうか・・・・・
「水木と仲良くしてくれている子だね? 水木がよくさくらちゃんは偉いんだよ、って言っているから名前は覚えているよ」
娘たちの話を真剣に聞いていて本当に良かった。
妻の方がより知っているだろうが、『召喚』に巻き込まれてからは、俺は以前の何倍も娘たちの話を聞く様にしていた。
もっとも、仲よしの女の子の名前しか出て来ないので、男の子に関しては全く知らない。
まあ、小学3年生から男の子の名前しか出ない方が心配だが・・・
「え、水木ちゃんが、そんなことを言ってたんですか? 水木ちゃんのほうがかわいいし、やさしいのに・・・」
「水木が可愛いのは、その通りだけど、さくらちゃんも通学路で見付けた捨て猫を家で飼ったりして優しいと聞いているよ」
俺は人生初の経験をした。
照れて、顔を赤らめるトカゲを生まれて37年目にして初めて見た。
なに、この、あざといくらいに可愛い生き物は?
異世界、半端ネェな・・・ とまでは思わなかったが、それでもホッコリとした気分になった。
だから、自然に笑顔になっていたのだろう。それに釣られてさくらちゃんも自然に笑顔になったと思う。
口角を上げたと分かる位に口の先端がキュっという感じに角度が付いた。
意外と器用なんだな・・・
ここでやっと第三者の声が聞こえた。やや軋んだ様な声だ。
「他の人は無事なん?」
さくらちゃんの巨体から顔を覗かせた茶色い毛色のポメラニアンもどきだった。
「現在、無事が確認出来ているのは、佐藤先生、現在は上空を飛んでいます。あなた方を発見したのは先生です。大人はもう1人、黒田和也氏。子供では室井京香ちゃん・・・」
「京香は、京香は無事なんですか!?」
俺の言葉を遮って、白い毛色のポメラニアンもどきが、さくらちゃんを回り込もうとした。
だが、左足を引きずっているのかバランスを崩した。
慌てて、茶色のポメラニアンもどきが左脇に肩を入れて支えた。
意外と手馴れている。白いポメラニアンを気遣う様に何かを囁いている。思ったよりも善い人なのか? シャツにプリントされたトラの顔が俺を睨んでいるが、善人なのか? ヒョウ柄のパンツルックなのに・・・
「ええ、無事です。ここから300㍍ほど先で、黒田さんが護衛しています」
「ああああああぁぁぁぁ・・・・」
白ポメラニアンが崩れる様に座り込んだ。茶ポメラニアンも引きずられる様に腰を落とした。
茶ポメがこっちを見上げながら訊いて来た。
「大翔(ひろと)は? 金井大翔は?」
「無事に保護しています」
異世界の草原に、異形の姿になった2人の母親の嗚咽が流れた。
『母は強し』とは言っても、ただの人間だ。
自分が異形の姿に変わっていれば精神的に不安定になってもおかしくない。
まあ、幸か不幸か、転生した種族の本能がクッションとなって精神的な負担は実際には思ったよりも少なく感じる。
しかし、自分だけでなく子供まで巻き込まれたとなれば、精神的な負担は増す。
いや、むしろ縋る術になるか?
そんな状況で、子供を失ったとなれば、どれ程追い詰められるかは想像も出来ないし、想像もしたくない。
楓と水木の居ない人生など考えただけで暗闇に捉われてしまいそうだ。
今回はたまたま2人の母親の子供を先に保護出来ていただけだ。
今後、子供を失った事が判明する親が出て来た場合の事も考えておかなくてはならないだろう。
願わくば、黒田氏の娘さんが無事に発見される事を祈るばかりだ。
彼は、字義通りの貴重な即戦力だ。現状では俺以外では唯一の戦力と言える。
精神的に最悪な状況にしたくない。
「ごめんやで、取り乱してもうた。それで、子供たちにすぐに会えるんやろうか?」
茶メラこと、金井大翔君の母親がハンカチで目を抑えてから訊いて来た。
トラの顔が大きくプリントされたシャツを着ていても、さすがは女性だ。
ハンドバックの中にちゃんとハンカチを用意していた。
多分だが、その他にもティッシュなどのちょっと便利な小物が入っている筈だ。
まあ、化粧品や化粧道具が今後も役に立つかは知らないが。
「いいえ、いいんですよ。お互い、子を持つ身ですからお気持ちは分かります。あと、鈴木陽翔君、吉田美羽ちゃんと、私の娘2人も無事です。それと、今、先生にはこの先に見える赤い物体の確認に向かって貰っています。そろそろ帰って来てもおかしくないんですが・・・」
そう言いながら、先生に向かって貰った方向を見ると、ゆっくりと旋回をしている佐藤先生の姿が見えた。
例の場所よりは明らかに近付いている。
「さくらちゃん、ちょっとだけ任せても良いかな? あ、そうそう、学校で配られた異世界転生に関する本は読んだ?」
「あ、はい、読みました。ぁ、でも、全部読んでない・・・」
「いや、別に叱る気は無いよ。目を通しているだけでも助かるからね。大きなハムスターのところは読んだ?」
「はい、読みました。犬さんくらい大きいんですよね?」
「その通りだ。偉いな、さくらちゃんは。実はオジサンたちはもう2回も襲われた。ここにも居ないとも限らない。注意しておいてもらえる?」
「はい、わかりました」
「うん、いい子だ」
思わず俺はさくらちゃんの頭に右手を伸ばしていた。
ちょっと驚いた様な、不安な様な気配を感じたが、構わずに手を頭に乗せる。
感触は意外なほどすべすべとしていた。ツルッツルッと言って良い。
2、3回頭を撫でると、サクラちゃんが目を閉じた。
あまり、他人様(ひとさま)の子の頭を撫でるのもどうかと思ったので手を放したが、さくらちゃんは目を開けて、離れて行く俺の手をじっと見ていた。
「では、ちょっとだけ自分は離れます。どうやらもう1人、保護出来そうですから。戻って来たら、室井さんの足の処置をしますので待っていて下さい」
そう言って、走り去ろうとしたが、言い忘れた事に気付いた。
後でも良いが、待っている間に何かをさせておいた方が気が紛れるだろう。
「出来れば、何か巻き付ける物を用意しておいて貰って良いですか? 捻挫なら固定しておいた方がいいですから」
「うちがやっとくで。こう見えても、看護師やねん。バッグの中に包帯が入ってるはずや」
『こう見えても』というのは、今も俺を睨んでいるトラの顔のプリントの事を言っているのか、自分自身のポメラニアン顔の事を言っているのか、俺には分からなかった。
ただ、包帯を持っているという事は朗報だ。
出来れば、その他の医療器具も持っていてくれれば嬉しいのだが。
「それは助かります。他にも何か持っていますか?」
「後は消毒液、バンソウコウ、それと、ピンセットくらいやな」
「十分です。では、室井さんの事を頼みます」
保護出来た『被災者』は赤い服を着たポメラニアンもどきの女の子だった。
擦り傷は負っていたが、元気だった。
そして、名前は黒田結愛(くろだゆあ)ちゃんと言った。
黒田氏の行方不明だった娘さんだった。
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