第3話 「1時間10分後」
彼女は『召喚』後はさっきまで隠れていた茂みの奥の方から一歩も動かなかったそうだ。
理由は単純かつ複雑だ。
単純な理由は怖かったから。
まあ、自分の身体がいきなり毛深くなるなんて経験をしたんだ。女の子には恐怖だろう。
しかも、顔に手を伸ばせば、そこも毛が有るし。耳なんか場所も大きさも変わっているし。
そう言えば、楓も
どうしてだろう?
≪そういえば、かえでもみずきも、ねこみたいなにんげんになったのに、いやじゃないのか?≫
2人は互いに顔を見合わせた後、俺の方を向いて同時に答えた。
≪いやじゃないよ。ねこかわいいし。すきだし≫
偶に娘たちは双子ならではのシンクロを見せる。
最近は個性が出て来ていたから、ちょっと減ったので久し振りのシンクロだ。
≪あいてのかおをみたら、どんなかおかわかったし。わたしたちかわいいよね、おとうちゃん?≫
楓が笑顔で訊いて来る。
返事は両手で2人の頭を撫でて上げる事だった。
うん、2人とも可愛い。
京香ちゃんが隠れたまま動かなかった複雑な理由とは、母親が極度の犬嫌いだと言う事だ。
それこそ、道端で散歩に連れられている犬を見ただけで顔をしかめる程嫌いだそうだ。
どうやら小さい頃に犬に噛まれた事が有った様で、動物が出て来るテレビ番組で犬の話題になるとチャンネルを変える程に徹底しているそうだ。
京香ちゃんは、携帯電話のコマーシャルに出て来る様なまっ白な毛色をしたポメラニアンもどきに転生している(俺は猫派だが、小動物的な可愛いさが有ると素直に思う)。
彼女は授業参観前に使った後、ポケットに忍ばせていた小さな鏡を見て、自分の顔が犬になっている事を知った。
授業参観に来ていて『召喚』に巻き込まれた筈の母親と再会した時の事を考えると、心配になって動けなくなったそうだ。母親に嫌われたらどうしようと思ったら怖くなったらしい。
だから、孝志君とトリケラハムスターと戦った事は音から分かったそうだが、音が聞こえなくなっても恐怖心と心配のあまりに動けなくなっていたそうだ。
そんな彼女が動こうと思ったのは、日本語が聞こえたからだそうだ。
その動く気配に俺の本能が反応したと言う事だろう。
そう言えば、『召喚』されてから1時間が経っていた。
小冊子の第4項目の『自分の能力を確認しましょう』が可能な時間になっていた。
1回目の『召喚』時も、2回目の『召喚』時も、『被災者』は1時間前後で、転生先の種族の能力が段々と使える様になったそうだ。
ポメラニアンもどきはパワー型と言ったが、実は俺たちの猫もどきは小冊子に載っていない種族だ。
身体は小さいが、さっきの気配察知や顔の前に発生した『力』から考えると、意外と強力な能力を持っていてもおかしくない。
すぐにでも検証を始めたいところだが、今は為すべき事が有る。
孝志君の遺体を埋め終ったのは、30分後だった。
大水で流されない様に、河原を避けて平地に埋めて上げた。
彼が眠っている事を示すのは、河原から運んだ石を積んで作った墓標代わりの石の山だけだった・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
俺たちは孝志君の墓にもう一度手を合わせてから、河原に戻った。
実はその頃には隠しようも無い問題が持ち上がっていた。
4人ともかなり空腹だったのだ。
転生時点ではお腹に何も食べ物が入っていなかったのだと思う。
トリケラハムスターの血抜きは小川に沈めて終わっているし、火を付ける為の手段も持っている。
俺のズボンのポケットにはスイスの有名なメーカーが出しているマルチツールも入っている。
河原に戻る途中で薪になりそうな枝を確保したし、河原にもそこそこの量の薪が転がっている。増水した時に上流から流されて来たのだろう。
だが、ここで食事に取り掛かる事は出来ない。
第二の孝志君を生まない為にも、周囲の探索を進めるべきだ。
第二、第三の京香ちゃんを発見すべきだ。
俺たちが『召喚』に巻き込まれた教室には小学3年生の子供たちが29人居た。教室の後ろから数えたから確かだ。参観に来ていた親が20人といったところか? それと担任の佐藤郁恵先生も巻き込まれている可能性が有る。
妻の時と同じ様にムラの有る『召喚』なら、この4人だけが召喚された可能性は有るが、万遍なく召喚された事例も多い。
大人ならば、小冊子を真剣に読んでいれば、多少は落ち着いて行動をしていると思うが、子供たちはパニックになっているか、無警戒な状態で呆然としているか、親を探そうとして短慮を起こして危険な状態に陥っているかもしれない。
「みんな、済まないけど、お肉は後回しだ。他の子どもや親や先生を探しに行こうと思う」
2時間近く経って、やっと、まともな日本語を喋られる様になってくれた。人間以外の生物の喉では日本語の発音が難しいと初めて知った。役に立たない知識だ。
3人とも、俺を見詰めている。
「早くみんなを探して一緒に居た方が良いからね」
本当の理由は『安心』、いや違うな。『安全』という言葉が一番正解に近い。
この状況では、数は安全に繋がり易い。
「でも、今のままだと危ないかも知れない。さっきのハムスターのでかいのと出遭ったら、危険だしね。だから自分達が出来る事を知る必要が有る」
楓と水木は首を傾げた後で爪を見て、それから指先を摘まんだ。猫と言えば爪と猫パンチだよね・・・
でも、残念ながら、2人の爪は猫みたいに伸びなかった。
だが、俺自身は多分、何とかなると推測していた。
本能が教えてくれるままに、意識を指の根本に集中した。
京香ちゃんの気配を感じて、咄嗟に取った行動がヒントになっている。
あの時は、俺はほぼ本能に従って動いた。
楓と水木は何も行動出来なかった。
その差は何か?
俺の猫もどきの腕には、ふさふさで、毛並みが良い毛が生えている。
ただ、掌に近付くにつれて短くて細い毛になっている。
毛が生えていない指は人間のそれとそっくりだ。
その指の根本に『力』が満ちて来る。本能が「出来る」と教えてくれる通りに刃物の様な不可視の爪が生えたのは5秒後だった。
グー・パーをして、爪が指の動きと干渉しない事を確認してから、地面を引っ掻いてみた。
驚くほど抵抗を感じずに地面に溝を刻んだ。
やはり、俺は、楓と水木と違って、大人の猫もどきに転生している。
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