第2話 「25分後」
≪でも、どうしておとうちゃんだとわかったんだ? ぜんぜんちがうかおやすがたなのに?≫
俺たちは1列に並んで、草原を歩いていた。2人の愛娘は俺の後に付いて来ている。時々、俺は後ろを振り返る。特に変化は無い。
方向は、森から離れる様に西に向いている。
異世界も地球と同じ様に東から太陽が出て、南天を通って西に沈む。この事から自転が逆で南半球という可能性は有るが、多分『召喚』先は北半球だと推測されている。
太陽の高さから大体の時間を推測は可能だし、棒を地面に差して動く方向も確認した。
今向かっているのは西で間違いない。
西に向かって歩いている最大の理由は、小冊子に載っていた危険生物は森の中に居る方が多いからだ。
万が一の為にも離れた方が良い。
≪だって、おおきなねごとで、ずっとかえでとみずきのなまえをよんでたもん≫
≪うん、ずっと。あと、おか・・・≫
≪そうか、おぼえてないけど、ずっとおまえたちのなまえをよんでたのか・・・≫
水木が言い掛けた言葉はきっと『お母ちゃん』だろう。
妻が召喚に巻き込まれた当時の事は、今でも鮮明に覚えている。
最初に警察から連絡が有った時に、『何言ってんだ、こいつ?』と思った事も鮮明に覚えている。
その後、妻がレジのパートで働いていたホームセンターの店長からも電話が入って、初めて妻が超常現象に巻き込まれたんだと実感した事も鮮明に覚えている。仕事で昔付き合いが有ったその店長は絶対にふざけた事を言わない人だと知っていたからだ。
娘たちが通っていた小学校に連絡を入れた時に、最初に対応した知らない先生がイタズラ電話だと思ったせいで、何度も同じ事を説明していた時に突然怒りが込み上げて来て、声を荒げて今すぐにテレビを付けろ、と言った事も鮮明に覚えている。
あちこちに連絡を入れて、小学校まで車を運転している最中、ラジオで流されていた緊急特番のアナウンサーが読み上げていた内容も鮮明に覚えている。
だが、校長室で俺の出迎えを待っていた楓と水木を見た瞬間の2人の顔は覚えていない。
気が付けば俺にしがみ付く2人を抱き締めて、同じ言葉を繰り返していた事は覚えている。
『お母ちゃんは大丈夫だ。きっと還って来る。きっとまた会える』
なんだ・・・
これはチャンスなんだ・・・
よく考えたら、還って来ないのなら迎えに行けばよかったんだ・・・
何故、『「召喚」されてしまった時に注意すべき10項目』を暗記する程熟読したのかは、きっとチャンスを無駄にしない様にと無意識に考えていたからだ・・・
俺は『召喚』された事に心から感謝を捧げた。
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何故、『「召喚」されてしまった時に注意すべき10項目』の最初の項目に【01:周りに危険が無いかを確認しましょう】が来ているか? を正確に理解している日本人は少ないと思う。
俺なりに考えたが、答えは『日本人は平和ボケしているから』という理由だと思う。
いきなり『召喚』されて、見知らぬ土地に放り込まれれば、誰だって呆然としてしまうのも当然だ。
日本でなら動かずに救助を待つ方が正解の場合が多いだろう。移動する事で体力を消耗するし、探す方も手掛かりを失うかもしれないからだ。
だが、ここでは、自衛隊も消防隊も警察も来てくれない。
自分の身は自分で守る必要が有る。
『覚悟を決めろ・・・・・』
それを端的に示す為の第1項だと思っていたが、どうやら正解だった様だ。
今、俺たちは1匹の『草食動物』に襲われている。
たまたま何となく気配を感じて視線を送った先にヤツが居たから、俺の方が先に発見出来たおかげで3人とも最初の突進を躱せた。
だが、気付くのがヤツの方が先だったら確実に娘のどちらかが大怪我をしていたと断言出来る。
外見はどでかいハムスターと言っても良いと思う。体長は多分だが60㌢は有る。
愛くるしい目や耳や胴体はハムスターそっくりだが、左右の目の上に2本の角が20㌢ほど伸びている。
強いて言うならハムスターと恐竜のトリケラトプスを掛け合わせた感じに近いか?
コイツの事は小冊子に載っていたが、草食動物の癖に縄張り意識が強くて、縄張りに入った動物に突進して来る為に、習性を知らない頃の「被災者」は警戒せずに突進を受けてしまって、かなりの人数が怪我をしたと書いてあった。
弱点は正面以外の攻撃に弱いと有ったが、この子供の様な身体で相手にするには強敵だ。
肉は焼いただけで美味しく食べられるらしい。ほぼ全ての転生先の種族で食べる事が出来るそうだ。
俺の転生先の種族の猫もどき人の本能は生肉でもご馳走だと認識している。
気になるのは、角に赤い血がべっとりと付いている事だ。
覚悟を決めて、両手で持った棒を上に構えてから目を逸らす。ヤツは好機とばかりに突っ込んで来た。
予想通りの速度で、予想通りのコースで・・・
狙うのは鼻だ。剥き出しの感覚器官を痛打すれば、さすがに動きが止まる事に期待を賭けて上に構えた木の棒を思いっ切り振り下ろした。振り下ろしている途中で軌道が左にずれたのを必死で修正する。ほぼ狙った所を叩く事が出来た。衝撃でヤツの顔が下を向いた。2本の角が踏み込んだ俺の左足数㌢前の地面に突き刺さった。
もう一度木の棒を振り上げて叩き付ける。今度は角の根元の間だ。完全に動きが止まった事を確認して後ろを振り返った。
5㍍後ろで見守っていた娘たちと目が有ったが、何というか、目が爛々と輝いている。
遭遇前にコイツらの肉が美味しいと言った事を覚えているのだろう。
俺も空腹が我慢出来なくなりつつある。
だが、解体も焼いて食べるのも後回しだ。
角を濡らしていた血の主を探すのが先だ。
100㍍先の小川の河原で、俺たち猫もどきとは別の種別に転生した「被災者」を発見した。
ただし、息はもうなかった・・・・・
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≪おとうちゃん、もういい?≫
俺は死んでいた『被災者』の顔に残っていた涙の跡を拭き終ってから返事をした。
≪ああ。ふたりとも、たかしくんにおわかれをしてあげなさい≫
楓と
彼は、顔がポメラニアンに似た種族に転生していた。小冊子に載っていた種別で、それなりの数の被災者が転生した種族だ。
俺たちと同じ様に身体は毛深くなっていたが、構造は余り人間と変わっていない。
特殊能力は少なく、どちらかと言えばパワー型に分類される種族だ。
俺たちよりもちょっと大きくなっていて、着ていた服やズボンなんかが小さくなって邪魔だったのだろう。すぐ傍に脱いだ青いポロシャツとジーパン、白いジョギングシューズが落ちていた。
脱ぎ終わったところを襲われたのだろう。ポロシャツとジーパン両方ともに穴は開いていなかった。今は俺が折りたたんで重ねて置いてある。
どうして彼の服か分かったかと言えば、水木の前の席が彼だったから覚えていたそうだ。
ちなみに彼の親は授業参観に来ていなかった。
こんな異世界で、誰にも看取られる事無く涙を流しながら孤独に死んでいったのだ。
最後に思った事を考えると、何とも言えない気持ちになる。
≪このままにしておくのもかわいそうだから、うめてあげよう。そのあいだ、ふたりにはみはりをしてもらうけど、いいね?≫
≪うん≫
答えたのは水木だった。手を合わせていた時には涙を流していたが、今は収まった様だ。楓も目が潤んではいたが気丈にも涙は流さなかった。
そう言えば、彼女たちのおばあちゃん、すなわち俺の母親を見送った時も同じ反応をしていたな。
立ち上った時に、何かの気配を感じて、気が付けばそちらに向けて自然と警戒の構えを取っていた。
娘たちはそんな俺をポカンとした目で見上げている。
自分でも訳が分からないが、何かがそこに居る事はこの身体の本能が知らせている。
もう1つ訳が分からないのは、顔の前に目に見えない『力』が満ちている事だ。
それも本能的に俺がやっている事だと知らせて来ている。
足元に置いておいた木の棒を拾い上げ、出来るだけ落ち着いた声が出る様に心掛けながら声を掛けた。
≪だれかいるのか?≫
反応は泣き声だった。
動物が上げる鳴き声では無く、人間が泣く声だ。
しばらく相手が落ち着くまでそのままの姿勢で待つ。
楓と水木にも動かない様に囁く。
2分ほど経ってから姿を現したのは、膝上までの薄いピンク色のスカートを穿いたポメラニアン顔の種族だった。
≪きょうかちゃん? わたし、かえでだよ!≫
2人目の「被災者」とは生きて再会出来た・・・・・
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