第3話 海王の真実

海王の部屋の天井は海を突き抜けてしまうのでないかと思うほど高く、壁には大きな斧や盾がいくつも飾ってあった。

 部屋の正面の大きな椅子で海王は幸之助を睨みつけている。まだ怒っているに違いない。

 海坊主ではないにしろこれは描かねばならない。幸之助はそう決意して恐る恐る聞いた。

「海王様、済みませんが、海王様を描かしていただけませんでしょうか」

「なに」その声の圧力だけで幸之助は後ずさった。

「話せば長いのですが、私は修行の旅をしている江戸の絵師でして、もし宜しければその神々しいお姿を描かせて頂きたいのですが」

 海王が椅子から立ち上がり幸之助の前まで歩いてきた。

 逃げようと思っても足が動かない。

 すると海王は幸之助におじぎをして「この王冠をとってくれ」と言うのであった。

 幾つもの宝石が並んでいる大きな王冠である。

「そう、怯えるな。いいから取ってみろ」

 王冠は見た目と違い布か紙で作られかのように軽かった。

 それより、王冠を外したとたんに大男は中年の小太りのおじさんに縮んでしまった。太い眉と白が混じった髯だけはそのまま小さくなって残っていた。そのおじさんは椅子によじ登って「で、なにかい、幸之助さんは絵師かい」と人の良さそうな笑顔で言うのであった。

「あ、驚いたかね。その王冠を被ると如何にもそれらしい姿になるのさ。この見た目じゃ、王としての威厳がないからなあ。けど疲れるんだよな王の体は。そのうえ自分で王冠は外せないようなっているし。いやあ、これでゆっくり話せる」

「海王が…」

 これでは絵は書けない。小太りの普通の親父では絵にはならない。

「で、海王様、私はこれからどうなるのでしょうか」

「伊右衛門。俺の名前は伊右衛門っていうんだよ」

「で、伊右衛様、私はこれからどうなるのでしょうか」

「伊右衛門さんでいいよ。王になる。それだけ。人間同士、気楽にいこうじゃないかい。そうかい絵師かい。俺は物書きだったんだよ。元は武士だけどな、藩が取り潰されてブラブラしてたんだが、国中の面白い話を集めて江戸で一旗あげようと思って旅してたら、捕まっちまった。あんたも旅をしているのかい」

「お師匠様の使いで京まで。その道中、魑魅魍魎を描いて京の円山様にお見せするという旅の途中です」

「へえ、魑魅魍魎をねえ。せっかく修行中だったのに、残念だったねえ。けど、絵はここでも描ける。まあ、ここも魑魅魍魎の棲家って言えばそうだしな」

「絵を描いても京にいけないとなると困ります。王になったら、二度と地上には戻れないのですか」

「まあ、行けないこともないが、人間を騒がすことになるから俺は控えてたね。そんなことより、幸之助さんあんた男前だね。セイラは性格はああだが、人魚の中でもとびきりの美人だし、きっと仲良くやっていけるよ。ここにいりゃあ、毎日おいしいものを食べて長生きできるしな」

 幸之助は、ふと、そんな生活もいいかと頭をよぎったが、いかんいかんとこの思いを振りきった。

「私はなんとしても絵が描きたいのです。海坊主が出ると聞いたのですが、このお城のどこかにいるのでしょうか」

「海坊主ねえ。いると言えばいるし、いないと言えばいないってとこかなあ。それより明日の式までは暇だろう。ちょっとこの城を見て回ってきな」

 伊右衛門が椅子の横にある綱を引くと小さな笛の音が流れた。

 しばらくすると、「お父様なーに」というかわいらしい声ととともに部屋の中にエバが走りこんできた。

 エバは、伊右衛門の膝の上に飛び乗った。

「だめよ、人間の姿にもどったら。私はいいけど、お婆様がお怒りになるわよ」

「わかった。わかった」

「幸之助さん。末っ子のエバだよ。なんていうかね、末っ子というのはかわいくてねえ」

 伊右衛門は満面の笑みである。

「ねえ、エバちゃん、この城の中を幸之助兄さんにご案内してくれないかい」

「はい、お父様」

 そういうとエバは幸之助のもとに走りより抱きついてきた。

 端正なお人形のようなエバであったが、まるで男のあしらいを知っている遊女に抱きつかれたような気持ちに幸之助は一瞬なるのであった。

「お兄さん、行きましょう。お城の中のとっても面白いものを見せてあげるわ」

 エバは幸之助の手を握り走り始めた。幸之助もエバに引っ張られるように走る。

 二人が部屋をでるのを見ると、伊右衛門はぶるぶると身体を震わせて天井に向かって大きく叫んだ。

「やったあ。これで俺も自由になるぞお。この日が来たああ」

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