第39話 ナガト、陥落?
前回のあらすじ
・シャオミン&ジュヒ来る。
・マコのたくらみ。
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ということで、午後一時。
駿河家の玄関先に一同は集合した。
「てか、なんでおじいちゃんいるの?」
ツトムの疑問に、ナガトは両眼で見事なバタフライ泳法を描きながら答えた。
「うむ……マコが、”のちるうす”を出してほしいと言うのでな」
「えー? 一回海に出ると、物凄くお金かかるんでしょ?」
電池の交換や補充、点検整備など、調査用潜水艇は金食い虫だ。潤沢な依頼料が入る調査航海でもなければ、おいそれとレジャーで出せるものではない。
「まっかせなさい!」
マコが胸を叩くとプルンと揺れる。
「母さん、太っ腹だねぇ」
実際は「ツトムのためならOK」の某資金源からチョチョッとな。ミセス・フクシマは、ほんの何日かで莫大な利益確定をしていたのだった。
おかげで、金融市場は大混乱だったが。
その札束で父親の顔をピタピタして、”のちるうす”をレンタルしたわけだ。
「では、中央エレベータへ行くわよ!」
マコの号令で、一同はぞろぞろと歩きだす。
「つーかさ、その格好、なんとかならなかったの?」
ツトムはメイリンの顔を見てそれ以外を見ないという、なかなか高難易度の視線を向けながら言った。
「えー? 仕事場からそのままなんだけど」
限りなく裸エプロンに近い姿だ。その場でくるんと回って見せる。ビキニだけより刺激的なのはなぜだろう?
「うわっ、だ、だからちゃんと服着てよ!」
真っ赤になるツトムが面白いのか、さらにすりすりとすり寄ったりしたせいで、タリアが虎のスタンドを召喚しかける。
「ほらそこ! イチャイチャしない!」
マコが吠える。
……してないよ。少なくとも、僕は。
ツトムの抗議は、空しく消えていく。
「それじゃ行くわよ! 出発進行!」
マコの号令で、一同はぞろぞろとコアタワー目指して歩き出した。
* * *
「おじいちゃん、これちょっと定員オーバーじゃないの?」
ツトムは”のちるうす”の後部を眺めて言った。
一番前の操縦室には、ナガトとツトムが正副操縦席、間の長椅子にタリアとマコ。その後ろのキャビンには、折りたたみ寝台の下段を出して、右側にメイリンとジュヒ、左側にシャオミンとシャオウェンが座っている。
「まぁ、四日間だしな」
すでに”のちるうす”はドックを出て、港に係留された船の間を抜けているところだ。半球形の全面ガラスの展望窓は、上部が僅かに海面に出ていて、そこで押し分けられる波から陽光が降り注ぐ。
「わー、きれいねぇ」
メイリンがツトムの後ろに立って声を上げた。
「あー、お客様、出航中は座席を離れないように願います」
とのツトムの忠告に、メイリンは反発した。
「いいじゃない、ちょっとくらい」
タリアだけがそばにいられるのが悔しいらしい。
「はいはい、じゃ、あたしと交代しましょ」
マコがタリアの隣から立ち上がって、メイリンを長椅子に座らせた。
「ちょっとキャビン・アテンダントしてくるわね」
そう言いおいて、マコは後ろのハッチをくぐった。
「アテンション・プリーズ。本船はただ今、港の湾内を航行中です。外洋に出次第、潜航を開始します。それまで多少は揺れますが、なにとぞご辛抱下さい」
船客の少年少女に告げるマコ。最後の部分はもっぱら、真っ青な顔でえずいているジュヒに向けたものだ。波静かな港の中だが、他の船が起こした波に乗りあげると結構揺れる。
「大丈夫、ジュヒ? 酔い止めの薬あると良いんだけど」
マコは赤十字マークの戸棚から、医療キットを引っ張り出した。
「あったわ。即効性だって。飲む?」
「……お願いします」
隅のキッチンでマグカップに水を汲み、錠剤と一緒にジュヒに渡す。薬を飲み干すと、じきにジュヒの顔色が良くなってきた。
ハッチから首を突っ込んで、ツトムが呼びかけた。
「港を出たよ。潜航するから、一人ずつ前に来て観てみる? 一度に来ると、重みで艇首が下がっちゃうから」
ジュヒが手を上げた。
「わたし、見てみたいです!」
船酔いが落ち着いたせいか、いつに無く積極的だ。
シャオミンがうなづく。孫兄妹は以前、”のちるうす”に
「じゃあ、君からね。タリアと代わって」
ジュヒがハッチから操縦室に入ってきた。代わりにタリアがキャビンに移る。
「すごい……」
南洋の海水は紺碧に澄みわたり、その中に降り注ぐ陽光が透明なカーテンのようにそよいでいた。
「あ、何か今」
灰色の影が視界の隅をよぎった。
「イルカの”タロウ”だよ。人懐っこいんだ」
初めて”のちるうす”で海に出てから、ツトムもすっかりなじみになっていた。
展望窓のすぐ横を、船に合わせて泳いでいる。
「遊んで欲しいのかしら?」
「かもね」
しばらく船と一緒に泳ぎ、船内から手を振るジュヒを見たりしていたが、やがて”タロウ”はどこかに泳ぎ去った。
ツトムはジュヒに声をかけた。
「さっきはつらそうだったけど、大丈夫?」
ジュヒはにっこりとほほ笑んだ。
「ええ、マコさんのくれた薬が効いたみたいです」
「良かった。フローティアに住んでいて海が嫌いになっちゃったら、もったいないものね」
よその土地との移動には”はまつばめ”のような地面効果水上機がよく使われるので、ほとんど船に乗ったことのない住民もいる。ジュヒもその家族も、そうだったようだ。
「はーい、そろそろ時間よ」
ハッチからマコの声が響いた。
「メイリンちゃんこっちいらっしゃい。シャオミンと交替ね」
「えー、もう?」
残念そうだが、すごすごと奥に引っ込み、タリアの隣に座った。
「あーあ、海中の光景に見とれていて、ツトムとろくに話せなかったわ」
「まだこれからよ。四日間もあるんだもの」
タリアが諭すように話した。
そんな二人の会話を聞いて微笑んでいたマコだが、シャオウェンが静かなのに気がついた。見ると、少年はタブレットで何かを読んでいた。
「それは? ああ、海の生物図鑑ね」
そこには色鮮やかな魚や貝類などの画像や動画が表示されていた。
「今回、海に入るって聞いたから、危険な生物とか見ておこうと思って」
妹を守りたいということだろう。
「兄たる者の鑑ね。関心、関心」
うなずきながらマコ。
「おっと、交替の時間ね。シャオウェン、前に出てみる?」
タブレットをしまって、少年は立ちあがった。
「そうだね、行ってみるよ」
ハッチをくぐり、ジュヒと交替する。そのまま、シャオミンが腰掛ける長椅子の後ろ側に座った。
「兄さん、前の方にどうぞ」
シャオミンが立ちあがったが、シャオウェンは首を振った。
「いや、俺はここでいいよ。ツトムに話がある」
「え、僕に?」
ちょっと意外だった。
「ツトムは……将来、何になりたいんだ? やりたい事とか」
「将来かぁ……」
目の前を、細身の長大な魚が銀の鱗をひらめかせて泳ぎ去った。
「あと十年。どんな世の中になってるだろうね。母さんが言うには、僕が産まれたころから比べて、たいして変わってない所と、大きく変わったところがあるって」
「なるほどな。日本はきっと、そうなんだろう」
ツトムは孫兄妹をかわるがわる見た。
「そうか、君たちの祖国って……」
「ああ。絶賛崩壊中さ」
そして彼らの父親は生死不明、母親とも一緒に暮らせなくなったのだった。その挙句が、先日の襲撃だ。
「それでも俺は、せめて妹だけは幸せにしてやりたい。だから、お前に期待している」
「ええと……」
戸惑うツトムに、再び苦笑い。
「今すぐどうしろとか言わないさ。でも、日本人と結婚すれば、日本に帰化するのも簡単になるだろ?」
「……そうらしいね」
結婚なんて考えたこともない。なんせ、まだ思春期前だから。
不意に、シャオミンと目があってしまった。なぜか頬から耳にかけて熱くなって目をそらす。
すごく気まずいので、逆に聞いてみた。
「シャオウェンはどうしたいの? 何になりたいとか」
「ない」
聞き損ねたかと思って、シャオウェンの方を見る。ツトムのその目を見返して、彼は言った。
「なりたいものも、したい事もない。俺はこの世にいなくていい人間だ」
「兄さん……」
シャオミンが悲痛な表情で兄を見る。
「ごめんよシャオミン。でも、そうなんだ。俺は今まで、人の上に立つ事しか学んで来なかった。でも、気が付いたら、俺の下に付くはずの者に裏切られていた」
ツトムに向きなおって続ける。
「今はもう、お前の下に付くべき立場なのに。何をどうしていいか分からない。シャオミンが人並みの幸せを手にできたら、俺はもうどうでもいい。無人島で世捨て人にでもなるかな」
別に、僕の下に付かなくていいんだよ、とかなんとか、言うべき言葉を探していると。
不意に、副操縦席の背中にかけておいたリュックから”くもすけ”が頭を突き出した。
深度が浅い間は、海面まで届くアンテナ・ブイを曳航しているので、電波が届くのだった。
「ほな、自分。ナガトはんからぎょうさん勉強できまっせ。なんせ、元海上自衛隊やからな。サバイバルの特訓や」
いきなり話を振られたナガトがこちらを向いた。が、見開かれた双眸はすぐに緩む。
「知ってることならなんでも教えてやろう。ところでツトム、最初のポイントが近づいたぞ。マコに教えてくれ」
青一色だった前方の海中に、うっすらと岩礁が見えてきた。
「わかった」
ツトムは席を立って、キャビンへのハッチに首を突っ込む。
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