第10話 転移2日目⑤

 


 リラックスしていた。

 優しい何かに全身を覆われているような、守られているような安心感が心を満たしていた。

 そして、この感覚は──


 成桐学園二年──釘宮征人。

 十七歳。高校生。サッカー部。

 彼女は……いたけど部活にかまけてたら振られた。

 お互いに外見は良いなと思ってたけど、お互いに内面が好きでは無かったから、別れたいならしょうがないと納得の上で破局した。

 勉強はバカにされない程度には出来て、友好関係は人並みに築いてきた。

 反りが合わないのは正義感を持ち合わせてない人。

 正義感の無い人が悪い事を考えるのは当たり前だから──でも、今はその考えに違和感を覚えている。

 なのに違和感を覚える理由が何か思い出せない。


 思えば、昨日この世界に召喚された時に何故か懐かしさを感じた。

 そこでも違和感があった。

 懐かしさを感じた事はもちろんの事、一緒に召喚されたのが御子柴さんと汐倉君だった事にもズレを感じた。女の子はもっと子供っぽくて、男の人はもっと大人の人だったような気がする。

 そんな事、あるはずが無いのに……。


『ようこそ御出でなさいました──勇者様方!』


 ああ、まただ。

 このもどかしい感覚……。


『ようこそいらっしゃいました! 異界の勇者様方!』


 違う言葉が脳裏を過ぎる。

 何か、大事な事を忘れているような……。

 王宮の造りも馬車を引いている魔物にも見覚えがある。元の世界では一度も触れた事すら無かった槍を握った時も懐かしい感覚に襲われた。

 この世界の全ては初見で見た事も、聞いた事も、触った事も無いはずなのに。


 ──この感覚は何だろう。




 ▽




 避難場所である村に到着した。

 ──メレルド村。

 村に唯一ある宿屋の食堂の飯が美味いと評判らしい。さっき村の人がそう言っていたから間違いない。

 こうして改めて見ると普通でのどかな村だ。

 さっきまでの危機感を忘れてしまいそうになるくらい平和で……でも、それが俺達には異常に感じてしまう要素の一つになっていた。

 平常で正常なのが俺達──異常で壊れてるのがこの世界の全て。

 信用できるのは同郷の人間しかいない。

 もはや気を抜く事すら困難になっている。力を抜く事はあるが、死にたくなければ気だけは抜いちゃいけないと自分に言い聞かせている。

 生きて、いつもの日常に帰る為には五体満足である必要があるから。だから俺は気を張り続ける。


「これからの予定ですが、勇者様方にはメレルド村で二日ほど待機して頂きます」


 テーブルに着いている俺と御子柴さんの傍らで佇んでいるメイドは釘宮を脇に抱えながらそう言った。

 俺達はメレルド村で唯一存在する宿屋の食堂にいる。

 すでにメニューをオーダー済みで、今は食事が送られてくるのを待っている状態だ。

 俺と御子柴さんは隣同士の席で、なるべく離れない為に椅子の距離を縮めている。俺達はお互いの肩、腕、指が相手の体温を感じて安心感を得ていた。


「本来は日帰りの予定でしたが、状況が変わりました。現場に急行した騎士達の証言によると今回遭遇した魔物はどうやら外来種のようで──何者かがこちらの大陸に持ち込んで悪意ありきで試しの森に放ったとの見解です」


 今は騎士がしらみ潰しに外来種を見つけては殺してるらしい。だから今日と明日、もしくは明後日までは王宮に戻れないのだそうだ。


「現場の騎士から駆除完了の知らせが届き次第、馬車に乗って王宮に帰投して頂きます」

「了解しました」

「分かりました」


 俺達は理解したと返事した。


「では、私はセイト様を部屋に届けてまいりますので、御用の場合は遠慮無くお申し付け下さい」


 メイドは奥にある階段を上がっていき、やがて釘宮諸共姿が見えなくなった。

 その後すぐに注文の品がテーブルの上に届けられた。

 俺達はいただきますと一言述べて黙々と食べた。それから十数分経った頃に食べ終わった。

 ご馳走様でしたと食事を終えた後、俺達は割り振られた部屋に歩いて行った。


「ここですね。七番部屋」

「早く入りましょう」

「はい」


 御子柴さんに急かされた俺は焦る訳でも無く、冷静にポケットから鍵を取り出して解錠した。

 俺達二人は同室の為、二人で部屋に入った。

 そしてドアを閉じて施錠した後、部屋を見渡した。


「部屋、狭いですね」

「私は丁度良いわよ。自分の部屋と同じくらいだから」

「御子柴さんの部屋って四畳半くらいなんですか。何だか意外ですね」

「意外って私にどんなイメージ持ってるのよ……」

「そりゃいいとこのお嬢様です」

「えー、何でよ……?」


 御子柴さんは心外だとジト目を向けてきた。

 けど、俺は気にせず答えた。


「外見と言動にお嬢様感が出てます」

「それって例えばだけど黒髪ロングとかなのよ口調も含まれる?」

「むしろって感じですね」

「それ、初対面の人によく言われるのよね……」


 私の家2LDKアパートだし、父はサラリーマンで母は専業主婦っていう普通の両親だし、全然お嬢様じゃないのだけど……とボソボソ呟いていたけど正直本当かよって気持ちが強い。


「っていうか、汐倉君」

「はい。何です? 改まって」


 御子柴さんは真面目な目をしてズイッと綺麗な顔を近付けてきた。

 けど、不思議だ。

 先の魔物の一件以来、御子柴さん相手にドキドキしなくなった。代わりにこの身に溢れ出てくるのは圧倒的な安心感。


「学年差一年だけだし、この世界じゃそのくらいは年齢差考えてなさそうな感じだし、だから……」

「だから?」

「その、敬語……外さない?」

「え」


 思わず声が漏れてしまった。


「タメ口利けって事ですか?」

「そう……敬語で喋られると何となく距離感感じるから、ね?」


 そういう経験が無い訳じゃないから御子柴さんの気持ちはよく分かる。


「別にいいですけど、ある程度の分別は必要じゃないですか?」

「その分別が私達の間に距離感を作ってる原因だと思うんだけど」


 ああ言えばこう言う人だな。

 意外と子供っぽいというかなんというか……。


「それに今の私達の立場は同じはず、そうでしょ?」

「口が上手い人ですね……分かりました──いや、分かった。これからは同じ志を持つ者同士、同じ視点で事を語り合おう。俺達の未来の為に」


 そういうと彼女は頬を赤くした。

 どうしたのだろう。風邪だろうか。

 そうだとすると危険だ。俺達はこの世界の菌に対する免疫を一切持っていない。

 それに俺達は三人ともただの高校生だ。

 医療知識なんて持ってないし、持っていたとしてもこっちの世界に元の世界の常識が通用するか分からない。とか考えていたら御子柴さんはかぶりを振って俺に向かい直った。


「──いや、そうね。私達の未来……元の世界に無事帰還する為にね」

「ああ……でも少し放心してたみたいだけど、慣れない事の連続で疲れが溜まったとか?」

「それは忘れてて! ……ちょっと勘違いしただけだから」

「勘違い? それって……」

「いいから忘れて! アンダスタァン!?」


 御子柴さんは俺の肩を掴んでガクガク揺らしながら猛抗議してきた。

 それに、さっきより顔が赤くなってる。


「分かったから揺らすの止めてくれ! 脳が揺れる!」

「ふ、ふん! 分かればいいのよ」


 御子柴さんは肩から手を話した後、腕を組んで何で小声で喋ったのにばっちり聞こえてるのよ……と呟いていたが、それもがっつり聞こえている。

 もしかしてこれも聞かない方がいい独り言だったか?


「とりあえず、当面の問題を処理しましょう」

「そうだな。まず俺達の立場だが、このままこっちからアクションを起こさなければ確実に王国の飼い殺しになる事は言うまでも無いだろう。それに、レベルが上がらなければ抗う事すら無駄な抵抗になる」

「抗う……」


 やはり恐いのだろうか。

 御子柴さんは言った。私はただ虚勢を張ってるだけで、本当は強くないから……と。


「御子柴さんが無理そうなら、何もせず俺について来るだけでも構わない」


 御子柴さんの瞳が揺れた。

 それから数秒の沈黙の後、彼女は決意を持った表情で俺に言った。


「私も抗う。汐倉君も不安に思ってるのに私だけ安全なところから見てるだけなんて嫌よ。だから私も!」


 凛とした佇まい。

 どうやら今までと同じではいけないと覚悟したのだろう。彼女からは、これまでと違う意志の強さを感じる。


「それに、汐倉君と一緒なら私は何でもできる気がするのよ」

「むっ」


 随分と小っ恥ずかしい事を言ってくれる。

 俺はぽりぽりと頬をかいて気を紛らわす。


「それでだ。抵抗するにも冒険者レベルで考えてランクA以上は力を付けたい」

「それはあの魔物にランクCの冒険者達は手も足も出ずに殺されたのに、あの魔物を一掃する力を王宮の騎士達が持っていたからね?」

「イグザクトリー。その通りだ。騎士の中にランクSクラスがいないとも限らないけど、力と実績を兼ねる事ができたなら発言権くらいは獲られるかもしれない」


 確かにと頷いた後、御子柴さんが話を繋げた。


「でもそこまでする前に私達の望みを叶える事もそう難しい話じゃないはず──例えば、遠征と称して賢者を探すとか。もしくはある程度戦うすべを手に入れた後ギルナクス帝国に行って偉い人に謁見を求めるとか」


 それなりの手土産を持参してと御子柴さんは言葉を切った。


「なるほど。大きな賭けにはなるだろうが、悪くない案だ。となると手土産はカルメロルツの王族、もしくは爵位が高く影響力のある貴族の首という事になるか」

「その辺りは情報が入り次第また議論を重ねましょう」

「ああ……」


 考え込む俺に御子柴さんはどうかした? と訊いてきた。


「いや、釘宮の奴は俺達側に立ってくれるかと思って」

「今回の件で懲りてくれたらいいんだけど……うーん。懲りてくれるかなぁ……」

「分かりやすいくらい面倒な性格してるんだな。あいつ」

「善悪が絡まなければ基本良い子だから」

「その時点で地雷なのは変わらないんだよなぁ……」


 俺達の口からあははと乾いた笑い声が漏れ出た。


「───あ」


 大事な事を忘れていた。

 大前提に考えるべきだったやばい事を、よりによってたった今思い出してしまった。

 突然顔を青くした俺を見て御子柴さんは真剣な顔に戻った。


「御子柴さん。この国を占める思想が何か分かりますか?」

「え? えっと……ごめんなさい。分からないわ」


 突然の問いに御子柴さんは何故そんな事を? と疑問顔だった。

 でもそんな事が今後俺にどんな不利益をもたらすのかが堪らなく不安だから、掴んだ情報は今ここで聞いてもらわなければならない。


「行きの馬車の中で釘宮とアトゥリエが話していた内容がヒントでした──ルーシェル王女の騎士、シンクレシオ=アレイアード卿の話題が」

「それって、急にアトゥリエさん達の態度が変わった時の……?」

「そう、魔術適性の無いアレイアード卿に対して冒険者達は嫌悪感を隠そうともしなかった。この国は王族の専任騎士相手を侮辱するのは許されてる事なのか? 絶対にそれは無いはずだ。見たところカルメロルツ王国は絶対君主制の国家だ──ならば、王族やそれに纏わる者に不敬を働けば罰を受けるなんて事は考えるまでも無い」

「それって……」


 御子柴さんは俺の言いたい事に何となく当たりを付けたみたいだ。


「カルメロルツが魔術師優遇の社会環境であるって事?」

「少し違うな。その程度の問題なら俺は懸念すらしていない。問題のカルメロルツの思想は魔術士至上主義であるという事だ」

「魔術士至上主義……でも、それの何が問題なの?」


 御子柴さんは首を傾げた。

 確かに一見問題無さそうに見えるのがこの思想だ。

 魔力があって多少なりとも魔術を扱えるなら問題視すらしないだろう。

 だが、俺には──


「御子柴さん。これから話す事は俺の生死に関わる可能性が高い。だから……」

「うん。分かった。誰にも言わない」


 御子柴さんは信用に足る存在だ。

 そんな彼女が分かったと言ったんだ。なら俺はそれを信じる他無い。


「俺には魔力が無い。だからどう足掻いても魔術士にはなれない」

「え? え? という事は……」

「俺はカルメロルツでは排他される側の人間になるという事だ」

「私達の見聞きした中ですらすでに前例があるし、例え勇者という大役であったとしても侮蔑の対象になる可能性が高いわね……」

「下手すれば殺される事も視野に入れるべきだ」


 御子柴さんは息を飲んだ。

 そして今日の記憶を想起した。

 死が迫ってきたあの時の事。

 キリスとアトゥリエが目の前で魔物に食い殺された。マリネルはメイドに囮として捨てられ、私達の代わりに食べられた。

 この世界は簡単に命が散る。簡単に命を犠牲にできる。命を大切に扱わず粗雑に扱う。

 だから国是に相反する存在には容赦が無いだろう事は想像に難くなかった。


「そん、な……考え過ぎって事は……」

「この世界が地獄である事は、もう充分理解しているはずだ」

「諦めないで! 何か方法があるはずよ! 汐倉君がいないと、私は……!」

 

 ああ、そうか。

 何かがおかしいと思っていた。

 普段の俺なら絶対にしない行動、絶対にしない言動。言語化できないもどかしい感覚がずっとへばりついていた。だが焦った御子柴さんを見てついぞ俺は冷静になった。

 ──そして理解した。

 俺と御子柴さんは寄り掛かれるのがお互いしかいないし共通の価値観を持つのもお互いしかいない。

 第一に、安心感を得られるのはお互いしかいない。

 俺達はお互いに依存して精神を保っているんだ。

 でもそれを理解したところで何かが変わる訳じゃない──何も変わらない。


「俺にはこの後に起こりうる理不尽を打開する案が浮かばない」

「汐倉君っ!?」

「でも──生きる事は諦めない」

「ッ……!」


 そう、生きてさえいれば帰れるんだ。

 死んでしまえば帰る事すらできない。言うだけなら簡単な話だが、極論事実なのだから仕方が無い。


「魔力が無い事に加えて俺のステータスはメレルド村にいた人達とそう違いがなかった」

「それってもしかして勇者の恩恵の莫大な力が無いって事よね……っていうか、何でそんな事分かるのよ!?」


 最もな質問だ。

 ステータスウィンドウを開発していないのに自分のステータスを把握してる事が腑に落ちないのは当たり前だからな。それに自分以外のステータスを把握してる事についても同様に。


「俺の技能に鑑定眼という技能があったんだ」

「鑑定眼?」

「そう、人や物を問わずに情報を読み取る事が可能な技能だ」

「基準が分からないから何とも言えないけど、すごい技能って事よね……」


 その後御子柴さんは鑑定眼で私のステータスを教えてほしいと言ってきたので言われた通り彼女のステータスを見た。

 彼女のステータスは──




 御子柴撫子 レベル2

 職業『勇者』


 ステータス

 体力D

 筋力C

 俊敏D

 耐久D

 魔力C

 幸運E


 技能『成長促進』『ステータス強化』『魔術補正』『他言語理解』




 レベルの割にすごい高ステータスだ。

 やっぱり基本値が違うんだな。EやFばかりの俺のステータスとは比べる事すら烏滸がましい。


「平均値が分からないから程度が分からないわね」

「恐らくだけどランクCの冒険者より少し低いくらいじゃないか?」

「自信無さそうな言い方だけど、あの冒険者達のステータスは見なかったの?」

「見ようと思いはしたけど止めた」

「プライバシーの倫理観念?」


 御子柴さんは勿体無い事したわねと呟く。

 それからは鑑定眼は他に何ができるのか検証を続けた。カメラみたいに視認距離を操れたり、健康状態を読み取る事で成立した擬似的な嘘発見器のような使い方もできた。

 二人で色々調べるのは楽しかったけど今日はもう疲れたから寝る事にした。途中から欠伸が止まらなかったからね。しょうがないね。

 俺は灯りを消して布団に潜り込んだ。御子柴さんと同じ布団に──


「狭い」

「そうかもしれないけど、私は温かくて安心する」

「同意見。ていうかもう一人じゃ安眠できないかもしれない」

「それは私もそうよ」


 ぽつりぽつりとスローペースで喋っていたら、心地良い眠気が襲ってきた。

 段々瞬きの回数も減り、次第に目蓋を下ろした。

 おやすみと言ったかは覚えてない──けど、昨日一人で寝た時より気持ちの良い眠りだった事はお互い確認するまでもなかった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無能勇者の烙印 八月の夏季 @natsuto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ