第2話 許嫁は京都にあり


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「ハル、あんた許嫁に会って来な」


玄関から顔を出した祖母が、そう言った。


りんりん。真夏の熱風に吹かれて、風鈴の音が鳴っている。

僕の家は茨城県にある。周囲を田んぼに囲まれたいわゆる「田舎」だ。その日はお盆参りで線香を上げに、父方の実家に遊びに来ていた。この家も同じく茨城県の田舎である。うちの親戚はみんな田舎に密集している。


僕は祖母の行った言葉の意味が分からず、ガリガリ君を食べ続けた。


「夏だからってボーッとして、そんなんじゃ脳みそバカになっちまうよ」


「僕の脳みそ、今が人生で一番冴え渡ってるから大丈夫だと思うけど」


地元ではそれなりの進学校、特進クラス在籍、成績は上の中くらい。今の僕はそこそこ良い調子で、このまま順当に行けば希望校への合格はほぼ間違いなしの判定をもらっている。自分で言うのもアレだが、かなりノリに乗っている。


「父さんが何か言ってた?」


「ハルは夜遅くまで勉強してるみたいだって褒めてた」


「ああ、そう。じゃあそういう事だから、ばあちゃんも心配無用だよ」


「あたしゃあんたがどんな学校に行こうがどんな会社に勤めようが構わないんだ。世の中には頭が良くたってバカな連中ってのがごまんと居る、そういうバカにならずに健康なら満点。そういうもんさ」


祖母はそう言ってこちらへやって来た。

向かいの竹林をボーッと眺めていたぼくの前に立ち、こちらをじっと見下ろしている。縁台に腰掛けていた僕は、祖母を見上げながらガリガリ君最後の一口を食べた。


祖母は何も言わずに右手を差し出して来た。

その掌の上には、小さな木箱が乗っかっている。

正方形型のキューブは、祖母の小さな手にすっぽり収まってしまう程度の大きさだ。


「何?この箱」


「持って行きな」


僕は左手でそれを受け取った。思いの外、軽かった。

動かすとカラカラと音がする。

中に何かが入ってるようだ。


「持って行けって、くれるってこと?」


「違うよ、それはあんたのじゃない」


「はあ・・・」


全く意味が分からなかった。

木箱には確実に何かが入っている。しかし、開け口は見当たらない。

完全に密封されている上に、恐ろしく堅牢だ。

力を込めてみてもビクともしない。


「早速だけど来週、行ってきな」


祖母は竹林の方を向きながらそう言った。


「だから、行くってどこに?」


「許嫁に会いにだよ。それ以外に何があるってんだい」


許嫁。いいなずけ。

言葉の意味は知っているが、それは漫画や映画や小説の中でしか登場しないような言葉だ。少なくとも僕はこれまでの人生の中で「許嫁」なんて言葉を日常生活に用いたことはない。


「ばあちゃん、暑さで脳みそバカになったの?なんだよ許嫁って」


「許嫁ってのは婚約者のことだよ」


「いや、それは知ってる」


「今時は「ふぃあんせ」って言うんだっけか?」


言い方の問題じゃないし、発音が完全に年寄りのソレだった。


「許嫁なんているわけないじゃん。何言ってんだよ」


こちとら彼女いない歴2年、乾ききった青春を満喫中の受験生だ。

そんな都合よく結婚相手が登場してたまるか。

この世はラノベじゃねえんだぞ。


「こーんなにちいちゃかったハルも、もうすぐ18歳になるだろ」


祖母はこちらを振り向き、右手の人差し指と親指で小ささを表現して見せた。僕は来週で18歳、確かに大きくはなったがそんな空豆みたいなサイズだったことはないはずだ。


「知ってるかい、18歳になったら結婚できるんだ」


「ひ孫を抱きたいって気持ちは分かるけど、申し訳ないことに相手がいないから」


「いるんだよ、それを許嫁ってんだ」


どうやら祖母は完全にボケてしまったらしい。

今年は特に猛暑日が続いたので、きっと頭をやられてしまったのだろう。

そういえば老人が倒れまくっているというニュースを見た気がする。

うちの祖母も暑さにあてられて脳みそがショートしてしまったみたいだ。

・・・悲しいことだが、孫の僕の手で祖母を葬ってやろう。


「HeySiri,近くの老人ホームを調べて」


「おい、こら、バカ、ばあちゃんはボケてねえ」


「ボケ老人はみんな自分ではボケてないって言うんだよ。だいたい、うちみたいな平凡を絵に描いたような家系に許嫁なんているわけないだろ。ばあちゃんはボケているか、或いは寝ぼけているかのどちらかだ。つまりボケていることに変わりはない」


「うるせえ、バカ孫。いいから黙って行ってこい、行けば全部分かるから」


「だからどこに行けってんだよ」


「決まってるだろ、許嫁の家だよ。婚前挨拶してこいってんだ、バカ」


「受験生にバカバカ言うんじゃねえ、受験に落ちたらどうするんだ」


祖母は許嫁がいると言ってきかない。

「許嫁がいる」「いるわけがない」

この押し問答はこの後3分ほど続き、痺れを切らした祖母は家の中に引っ込んでいった。


と思いきや、一枚の茶封筒を握りしめて再度僕の前に現れた。

渡された封筒の中には、京都行きのチケットが入っていた。


茨城県の平凡な家庭に生まれた僕には許嫁がいて、そのことが18歳を目前とした夏に発覚し、そのまま京都へと挨拶へと向かわせられる。こんなふざけた展開がありえるだろうか。こちとら大学受験を半年後に控えた受験生だぞ、勝負の夏に京都に出掛けるなんて・・・。


「しかもこれ、夜行バスのチケットじゃん。どうしてだよ、せめて新幹線のチケットを用意しておくべきだろ」


「新幹線は高いから無理」


「ふざけんなよ!ただでさえ貴重な受験生の時間を思いっきり奪うなよ!」


「うるせえ、年金暮らしなめんなよ!サマージャンボ買っちゃったから余裕がないんだよ!」


「無駄使いしてんじゃねえよ!」


「年寄りの楽しみに口を出すな!」



こうして、僕の京都行きが確定した。


父も母も既に祖母に丸め込まれており、僕の反論は意味をなさなかった。

「勉強の息抜きにちょうどいいんじゃない?」というお気楽な両親の言葉を背に受け、僕は茨城の田舎を旅立った次第である。

ちなみに両親に許嫁の件を尋ねたところ「よく分からない」と言われた。

なにこれ、不安しかないんですけど・・・。


ぼくは今は亡き祖父に線香をあげながら思った。

(じいちゃん、あんたの嫁はとんでもねえババアになったよ)

いや、思えば昔からとんでもねえババアだった気もする。いまに始まったことではなかった。


翌週、ぼくはリュックを背にして家を出た。

ちなみに家から最寄りの駅までは車で送ってもらっても40分かかる。

そういうレベルの田舎だ。最寄り駅がそもそも最寄りではない。ぼくは未だに電車の乗り方がよく分からない。


1人で東京に出掛けるのもこれが初めてだった。

夜行バス乗り場がある新宿に辿り着けた時点で、既に大業を成し遂げたような達成感に包まれた。


「先が思いやられる」とは、この時のためにあった言葉かもしれない。


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