その7

「──仕方ないわね。そういうことならば、その薬については私がちゃんと理路整然と説明するしかないわね」


 キザムたち二人しかいないはずの屋上に、大人の女性の声が朗々と響いた。


「ちょっと、先生。今出て行くのはダメです! 二人の良いシーンが始まっちゃっているから!」


 さらに慌てふためくような少年の声が続いた。



 果たして、声とともに屋上に姿を現したのは──。



「えっ? あれ? なんで……二人がここにいるの……?」


 キザムは流玲と密着していた身体を急いで離して、何事もなかったという風な自然体を装うと、声のした方に顔を振り向けた。


 そこにいたのは、良く見知った顔の二人だった。前の世界で生死を掛けた数々の困難を一緒にかい潜ってきた二人──。


「私たちはここにきたから、ここにいるのよ」


 説明になっているようにみえて、まるで説明になっていない説明を、当たり前でしょと言わんばかりの口調で発したのは、この学校の養護教諭にして、『ステップ細胞』と『スキップ細胞』の生みの親である馳蔵の婚約者でもあった──白鳥河沙世理だった。


「悪いな、キザム。先生のことを止めようと思ったんだけど、先生の方が行動が素早くて間に合わなかったよ」


 申し訳なさそうに軽く頭を掻きながらキザムたちの方に歩いてきたのは、未来の世界からゾンビカタストロフィーの発生を防ぐ為に、この世界にタイムトラベルしてきた──風上カケルだった。


「ん? もしかして、二人とも記憶を取り戻したの……?」


 キザムは二人の話し振りから、すぐにそう見極めた。


「まあ、キザム、そういうことなんだよ」


「でも、なんで突然記憶を取り戻したの?」


「その点については、どう説明したらいいのか分からないけど……」


 そう言いつつも、カケルが説明を始めてくれた。


「──いつも通り昼ご飯を食べた後に、どうしてかは分からないけれど、屋上のことが妙に頭に思い浮かんできて離れなくてさ。それで、とりあえず屋上に行くことにしたんだ。そうしたら、屋上に向かって階段を登っている先生と偶然に会って、先生と話をしたら、先生もオレと同じようなことを感じたらしくて、それじゃ一緒に屋上に向かいましょうって話になって、ここまで登ってきたんだよ。でも屋上のドアを開ける前に、キザムと流玲さんの話し声が聞こえてきたから、なんとはなしに二人の会話を聞くことになってさ。そこでタイムループの話が出てきて、その単語を聞いた途端、オレも先生も前の世界の記憶をいっぺんに取り戻していたんだ」


 カケルの話は詳細さに欠けていて、ぼんやりとした説明に終始した。おそらくカケル自身も自分の身に起きた事態をよく分かっていないのだろう。あるいは運命めいた力が、カケルと沙世理を屋上まで導いたのかもしれないと、キザムは思ったりもした。しかし、話がそこまで飛躍してしまうと、キザムの理解を遙に超えてしまっているので、結局、それ以上深く考えることは止めにした。


 とにかく、二人が記憶を取り戻したということは、また前の世界のように気軽に話が出来るということで、それだけで幸せなことなのだから──。


「さあ、私たちのことはこれで分かったでしょ? 次は、私からその薬について説明するわよ。今はキスなんかよりも、ちゃんとした説明をする方が先決でしょ? だいたい高校生なんて、放っておいてもキスぐらいいつでもどこでも出来るんだから」


 学校の教諭としては甚だ説得力と道徳力に欠ける言葉で力説する沙世理だった。


「あっ、あの……さ、さ、沙世理先生……な、な、なんだったら、もう今すぐにでも、この瞬間からでも、さっそく説明してもらって一向に構いませんから──」


 キザムとしてもこれ以上沙世理に変な話をされて、面前で恥ずかしい思いをさせられるくらいならば、先に説明をしてもらったほうが良かった。


「それじゃ、説明するわよ。──いい、土岐野くん、前の世界でも話したけれど、その薬は『ステップ細胞』の働きを抑制する為の薬なのよ。ということは、おそらく『スキップ細胞』に対しても、同じような働きをする可能性があるということよ。そして、ここからが一番重要なポイントになるんだけど──土岐野くんの体内では、その薬の方が『ステップ細胞』の力を上回ったわけだけど、今宮さんの体内ではどうだったのかしら? その薬と『スキップ細胞』とが戦い合って、もしも『スキップ細胞』の方が勝ったとしたらどうかしら? その結果、勢いのついた『スキップ細胞』そのものが、今度は体内で暴走してしまったとは考えられないかしら?」


「つまり沙世理先生は、その暴走がゾンビ化という現象を引き起こしたと考えているんですか?」


 キザムは頭の中でなんとか沙世理の説明を整理して、自分なりの言葉で口に出して確認してみた。


「まあ、この場合、そう考えるのが妥当だと思うわ」


 沙世理がキザムの意見に同意を示すように大きく一回頷いた。


「じゃあ、これですべての謎は解けたということね。私の説明は以上よ。二人ともキスをするならお好きにどうぞ」


「だから沙世理先生、別にぼくらはそういうことをしようとしてたんじゃなくて──」


「青春時代は一度しかないのよ。あとから後悔しても遅いんだから。二人とも、今この瞬間を精一杯満喫しなさい!」


 なんとも沙世理らしい応援の仕方だった。


「私もこれでこの学校にいる理由がなくなったことだし、いつまでも過去に縛られていないで、養護教諭を辞めて、新しい恋でも探そうかしら。でもその前に、ちゃんと馳蔵に許可を取らないとね」


 それだけ言うと、沙世理は足早に屋上のドアに向かって歩いていく。


「沙世理先生……」


 キザムの目には、沙世理の背中から今まで背負っていた重しが消えて無くなったように見えた。もしかしたら、それはキザムの思い違いだったかもしれないが、沙世理もまた今回の出来事を通して、馳蔵へ新たな思いを抱いたんだと考えたかった。後ろ向きにしか考えられなった過去の思い出を、今は前向きに捉えることが出来るようになったに違いない。そう信じたかった。


「沙世理先生、きっとこの後、馳蔵先生の墓前に挨拶に行くのかもしれないわね」


 キザムと同じように沙世理の背中を見つめていた流玲が感慨深げにつぶやいた。流玲もまた沙世理に対して、キザムと同様の思いを抱いたのだろう。


「まあ、沙世理先生のことだから、本当に新しい恋人を作るかもしれないよ」


 キザムは口ではそう言いながらも、心の中は沙世理への感謝の気持ちでいっぱいだった。前の世界では最後にひやっとさせられもしたが、沙世理がいたお陰で助けられたことは多々あった。沙世理がいなければ、ゾンビカタストロフィーという未曾有の大惨事を防ぐことは絶対に出来なかったのだ。



 ありがとうございました、沙世理先生──。



 キザムは胸中で沙世理に謝意を述べた。


「それじゃ、オレもそろそろ戻るとするよ──」


 カケルが普段通りの友達口調でキザムに声を掛けてきた。


「えっ? カケルも帰っちゃうの?」


「ああ、そうだけど」


「それじゃ、もう会えないんだ……」


 キザムはカケルの返事を聞いて、両肩をがっくりと落とした。カケルの記憶も戻って、また元通りの友達関係のまま学校生活を送れると嬉しく思ったばかりなのだ。


「おいおい、キザム。おまえ、ひょっとして、何か大きな勘違いしていないか? なんでもう会えなくなるんだよ?」


 カケルが目を大きくさせて驚いている。


「だって、カケルは今から未来の世界に帰るんじゃ──」


「いや、オレは未来には帰らないから。というよりも、二度と帰れないから、未来には──」


「えっ? それってどう意味なんだよ? だって、カケルは未来の世界を変える為に、この時代に来たんだろう?」


 カケルの言葉に対して、今度はキザムが目を大きくさせて驚いてしまった。


「ああ、そういえば、キザムには言っていなかったかな? オレが使ったタイムトラベルの手法は、はじめから片道切符だったんだよ」


 この場面で、カケルは更なる衝撃の告白をさらっと言い放った。


「でも、今戻るって言ったから……てっきりそういうことだとばかり──」


「だから、それは教室に戻るっていう意味だよ」


「教室に……戻る……? それじゃ、これからもぼくとの関係は、今まで通り変わらずに続くってことなんだよね?」


 キザムは勢い込んで確認する。


「ああ、変わるわけがないだろう」


「良かった。それを聞いてひと安心したよ」


 カケルの言葉を聞いて、やっとキザムは落ち着きを取り戻した。


「でも、カケルくんは本当にそれでいいの? だって、未来の世界では恋人さんと親友さんが待っているんじゃ……」


 流玲の指摘ももっともだった。


「オレはタイムトラベルを決行したときに、すべての思い出は未来に置いてきたからさ。元の世界にも、元の生活にも、二度と戻れないと分かっていたからな」


「カケルくん……」


「カケル……」


 キザムと流玲の言葉が思いがけず重なった。


「二人ともそんな悲しそうな顔をするなよ。オレとしては当初の計画通りに、こうしてゾンビカタストロフィーの脅威を防ぐことが出来て大満足しているんだからさ。きっとオレたちの働きが実って、未来は平和を取り戻しているさ。それで十分なんだよ。なによりも、おれはこの時代で『新しい大切な存在』を見付けたからな──」


 カケルが眩しいものでも見つめるかのように、キザムと流玲の顔に交互に視線を向けた。


「──ということで、オレは先に教室に戻っているからさ。これ以上二人の邪魔はしたくないしな。キスの続きはオレがいなくなってからにしてくれよな。二人とも気持ちが高揚し過ぎて、午後からの授業に遅れないように、くれぐれも気をつけるんだぞ」


 カケルは最後になんともカケルらしい明るい冗談で締めくくると、キザムたちが抗議の声を発する前に、その場でくるっと振り返って、背中越しに手を振りながら屋上のドアに走っていった。


「──まったく、カケルまでぼくらのことを勘違いしているよ」


 遠ざかるカケルの背中に向かってつぶやくキザムだったが、その顔にはなんとも言えない晴れ晴れとした表情が浮いていた。


 この先もずっと親友と一緒にいられる喜びが胸の底からこみ上げてきて、キザムの心は暖かい気持ちで満たされていたのだった。

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