インターローグ

タイム・オブ・ザ・デッド ~死者の時間~

 思いもかけず早起きした朝のように、意識がまだぼんやりとしていた。


 思考が上手くまとまらない。何かを考えようとしても、すぐに頭の中が白い霧で閉ざされてしまう。


 しばらくの間そのままぼーっとしていた。


 すると何の前触れもなく白い霧がうそのように消えてなくなり、頭の中の世界が晴れ渡っていった。明るい光が頭の中を照らし出す。


 そこで意識がはっきりと目覚めた。



 そうだ!



 瞬間的に、最前に自分の身に起きた悲劇を思い出した。



 そうだ、ぼくは流玲さんといっしょに屋上から落ちたんだ! いや、落ちたというか、むしろ自ら望んで飛び降りたんだ!



 そこまで思い出したところで、自分のことながらも、自らがくだした決断に心が震えた。



 いや、でも、待てよ……。屋上から飛び降りたんだとしたら、ぼくは死んだはずじゃないのか……? だけど、こうして意識はあるし……? いや、そもそも、ここはいったいどこなんだ……?



 疑問はすぐに解決した。



 もしかしたら──ここは『死者の世界』みたいな所なのか……?



 考えられる中で、今の状況にもっとも合致する解答はそれ以外思いつかなかった。ここが『死者の世界』ならば、もはやキザムにはすべきことは何もない。あとは神様なり、仏様なりのお出ましを待つしかない。



 そうか……やっぱりぼくは……あのとき、死んだっていうことか……。



 改めてそう思ったが、どこか他人事のように感じられた。何度も死んで、その度に何度もタイムリープを経験したせいで、死というものに現実味を感じなくなってしまっているせいかもしれない。



 まあ、この際、自分のことはいいや。それよりも流玲さんはどうなったんだろう?



 こんなときでも、流玲のことの方が気になってしまう。



 ぼくと同じように、この『死者の世界』に連れて来られたのかな……?



 意識だけを感じる世界。しかし、流玲の精神を感じることは出来なかった。あるいは、ここはキザムの意識だけが存在する世界なのかもしれない。



 結局、ぼくは流玲さんを助けられたのだろうか? それとも助けられなかったのだろうか?



 そこが一番気になっていた。もちろん本当ならば、人間の姿のままの流玲を助けたかった。でも、流玲は完全にゾンビ化してしまった。助ける手立てはもうなかった。残された道は、ゾンビ化した流玲をなんとかするしかなかった。


 その判断が間違ってはいなかったとしても──キザムが自らの手で流玲を殺したことには変わりはなかった。


 そのこともまた重々承知していた。だから、もしも流玲を殺した罪で地獄に堕ちることになったとしても、それは甘んじて受け入れるつもりだった。


 ゾンビ化した流玲が悪いわけではない。屋上で流玲も言っていたが、これは誰のせいでもないのだ。ゾンビカタストロフィーが起きてしまったことが悪いのだ。


 とにもかくにも、キザムの行動により世界は平和に向かうはずだ。幸いにして、『スキップ細胞』を使った遺伝子治療を受けたのは流玲だけである。流玲が死んだ今、『スキップ細胞』を使った遺伝子治療による副作用で、患者がゾンビ化するという悲劇が起きる可能性はもう消えたはずだった。



 こうして世界はゾンビカタストロフィーの脅威から救われたのでした、めでたしめでたし──。



 今はそうなることを信じる他ない。



 でも流玲さん、きみに会えて本当に良かったよ。ゾンビカタストロフィーという未曾有の大惨事に見舞われた世界でも、きみがいてくれたおかげで、ぼくは前を向いて行動することが出来たんだから。



 ゾンビカタストロフィーが流玲から始まったのは間違いなかったが、流玲に対して負の感情はまったくなかった。むしろ、あの大惨事が起きたからこそ、自分の胸の内に密かにしまっていた流玲に対しての気持ちに気付かされたのだ。



 もっとも、もっと早くに流玲さんへの思いに気が付いていれば、告白ぐらいは出来たかもしれないけれど……。



 唯一、それだけが後悔として残った。



 あるいは、もっと早くに流玲さんと巡り会えていたら、世界は少しは変わっていたのだろうか──?



 今さら考えたところで仕方ないのに、ついそんな希望めいたことを考えてしまう。そして、そこまで考えたところで、突然、脳裏を稲妻が貫いた。



 いや、待てよ。それは違うぞ! ぼくはもっと早くに流玲さんと会っていたんだ! 高校に入学にして出会うよりもはるか以前に、ぼくは流玲さんに会っているんだ!



 なぜか唐突にそう確信した。記憶として思い出すよりも前に、直感が意識にそう訴えかけていた。



 ぼくはいったい、いつ、どこで、流玲さんと初めて会ったんだろう?  



 膨大な記憶が渦となって頭の中でぐるぐると回り始める。やがて、その渦の表面に、忘れかけていた記憶の断片が浮かび上がってきた。


 それは今から数年以上も前の記憶──。辛い記憶だったので、あえて心の奥深くに封印していた思い出──。



 そうか、思い出した! 今やっと思い出したよ! だから、流玲さんは何度もそれとなくぼくに覚えていないのかと尋ねてきたんだ。でも、ぼくはそれにまったく気が付かなかった……。



 そう、ぼくと流玲さんはあの病院の中で出会っていたんだ!



 キザムは子供の頃、難病の為、病院の院内学級に通っていた。そこにはキザムと同じように難病のせいで学校に通えない子供たちの姿が幾つもあった。キザムはその中の一人の少女に淡い恋心を抱いていた。キザムにとっては初恋ともいえる恋だった。その相手こそが──まだ小学生の頃の今宮流玲、その人であった。



 流玲さん、きみもあの病院に入院していたんだね。あのときからぼくらの関係は始まっていたんだね。



 もうすぐ命の灯火が消えかけようとしている最後のこの瞬間に、流玲との出会いをしっかりと思い出した。



 本来ならば、もっと早くに思い出さないといけない事柄だった。流玲が『スキップ細胞』を使った遺伝子治療を受けたという話を聞いたときに気が付かなければいけなかったが、あのときは切羽詰った状況だっただけに、そこまで頭が回らなかった。



 でも、こうして最後に流玲さんとの始まりを思い出せて良かったよ。これでぼくも心置きなく静かに眠りに付けるから……。



 そう思った。しかし──肝心の眠りがいっかな訪れない。



 まだ、ぼくにこの『死者の世界』に留まれということなのか? それとも、ぼくの魂を連れて行くのに遅れが生じているだけなのか? 



 永遠の眠りに付くはずが、逆に頭が冴えてきてしまい、忙しなく思考が巡り始めてしまった。



 もしかしたら、ぼくにはまだ遣り残していることがあるということなのか? もしもそうならば、このまま眠りに付くわけにはいかないぞ!



 再度意識を集中させて、思考を研ぎ澄ませてみる。頭の隅っこの方に、まだ明確な形にはなっていないが、妙に気になる引っ掛かりがあるのに気が付いた。


 流玲との始まりを思い出したことで、この引っ掛かりが浮かんできたのだとしたら、解答もまた同じところにあるはずだった。



 流玲さんとの始まりに何か隠されているのかも……? 流玲さんとの始まり……始まり……始まり……………………いや、始まりは始まりでも、ゾンビカタストロフィーの始まりが問題だったんだ!



 解答の輪郭がぼんやりと姿を見せ始めた。



 考えてもみれば、なぜあの日にゾンビカタストロフィーは始まったんだろう?



 流玲は半年前に『スキップ細胞』を使った遺伝子治療を受けたと紗世理は言っていた。だとしたら、ゾンビカタストロフィーはもっと前に起きていてもおかしくなかったはずである。しかし、実際は遺伝子治療の半年後というタイミングでゾンビカタストロフィーは起きた。



 それはなぜなのか? 『スキップ細胞』を使った遺伝子治療の副作用が、たまたまあの日に起きたということなのだろうか?



 いや、ゾンビカタストロフィーはあの日に起こるべくして起こったんだ。じゃないと説明が付かない。そして、それにはちゃんとした『原因』があったはずなんだ。



 その『原因』をしっかりと解明しないと!



 キザムの思考回路が一段と回転数を増した。ゾンビカタストロフィーが起きた当日の記憶を、こと細かく思い返してみる。そこにキザムが見落としている『何か』が絶対にあるはずなのだ。



 あの日は普通に午前中の授業を終えて、いつも通りにカケルと昼食をとって、それから薬を飲んで──そういえば、あの薬は免疫を高めるものではなかったんだけど……。



 紗世理に聞かされた話を思い出した。キザムが受けた『ステップ細胞』を使った遺伝子治療には、命に関わるような重大な欠陥があったのだ。その欠陥を抑える為の薬だった。



 でも、あの薬は毎日飲んでいたから関係はないか……。あの日に限って起こったことが、必ず何かあるはずなんだけど……。



 そこである記憶を思い出した。青春時代を彩る淡い思い出のひとつと思っていたが、今改めて思い返してみると、妙に意識に引っ掛かった。


 キザムはあの日、今まで経験したことがない『あること』をした。それは一人では出来ないこと。相手がいて初めて成立すること。


 ゾンビカタストロフィーが起きた当日、キザムは流玲と唇を重ねたのだ。それはキザムにとって初めてのキスだった。


 タイムループによって何度も繰り返された世界で、その度にキザムは流玲とキスをしていた。


 あるときは昼食後に保健室のベッドで横になっていたときに、流玲からキスをされた。またあるときは、保健室から出て行こうとした流玲から振り向きざまにキスをされた。最後のタイムループの世界では、今度はキザムから積極的に流玲にキスをした。


 そう、どの世界でもキザムと流玲は、まさに『ゾンビカタストロフィーが起きた当日』に、初めてキスを交わしていたのである。



 いや、でも待てよ……。たしかタイムループが起こる前の世界──一番最初の世界では、ぼくは流玲さんとキスをした覚えはないけど……。



 ふと疑問に感じたが、あるワンシーンの記憶を思い出したことで、その疑問はたちまちのうちに氷解した。



 いや、ぼくは最初の世界でも流玲さんとキスをしている! ぼくがそれに気付かなかっただけなんだ! 



 あの日、キザムが保健室のベッドでうとうとしていたとき、キザムの顔の上を柔らかい風が駆け抜けていった。キザムはてっきり窓から風が吹き込んできたのかと思っていたが、あれは横になっていたキザムに流玲がキスした瞬間だったのだ。



 それじゃ、まさか──まさか──ぼくと流玲さんがキスをしたのが原因で……この一連のゾンビカタストロフィーという大惨事が起きたんじゃ……。



 不意に、今まで気負っていた気持ちがすっと抜け落ちていくのを感じた。なぜならば、キザムが導き出した解答がもしも合っていたとしたら──。



 キザムと流玲は『絶対に結ばれてはいけない運命』にあったという結論になってしまうからだった。



 人間の唇は言うまでもなく、『粘膜』が露わになっている身体の部位である。その粘膜を通して感染する病気は、地球上に数多く存在している。



 もしも──もしも──共に遺伝子治療を受けた経験があるキザムと流玲の粘膜が混ざり合うことで、何らかの現象が起きたのだとしたら……。それこそが流玲の身に起きたゾンビ化現象の原因だったとしたら……。



 お互いに惹かれ合っていたとしても、絶対に結ばれてはならない関係。なぜならば、キスをしたら相手をゾンビ化させてしまうから──。



 やっと導き出した解答は、余りにも無情で悲し過ぎるものだった。



 つまり──ゾンビカタストロフィーの原因は……ぼくの身体にもあったということだったんだ……。



 自らが導き出した解答に、心を打ちのめされるキザムだった。



 そして、キザムの意識は再び白い霧でゆっくりと覆われ始めた──。

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