その3

 いったい、いつからぼくはそのことに気が付いていたのか?


 キザムは自分自身の胸に問い質してみた。 


 最初は保健室に流玲の姿がなかったときに、かすかな違和感が心に生じた。でも、そのときは流玲を捜すことで頭がいっぱいで深く考えずにいた。


 決定的だったのは、三階で村咲から流玲の話を聞いたときだった。あのときに心の奥の方にしまい込んでいた流玲に対しての違和感が表面に浮き上がってきた。


 流玲が危険を冒してまで一人で屋上に逃げたというのは、どうしても理解出来なかったのである。


 だが、それでもまだキザムは流玲のことを信じていた。流玲とゾンビカタストロフィーとを直接的に結ぶ付ける材料がなかったからである。


 しかし今、こうして顔の左半分だけゾンビ化した流玲を前にしていると、流玲の言葉を否定することは出来なかった。


「流玲さんが、元凶って……どういうことなのさ……?」


 キザムは言葉を詰まらせながらも、核心を突く質問をした。本当は聞きたくなった。耳をふさいでいたかった。でも、その一方で流玲が打ち明けようとしている話の内容を、どうしても知りたかったのも事実だった。いや、聞かなくてはいけない気がした。


 なぜならば、キザムも自分がこのゾンビカタストロフィーという大惨事の中心にいると自覚していたからである。中心にいるからこそ、理不尽なタイムループ現象に巻き込まれてしまったのだ。だからこそ、逃げずに流玲の話を聞かなくてはいけないと思った。何度もタイムループを重ねて、こうして今の状況にたどり着いたのだとしたら、なにかしらの意味があるに違いないのだ。


 だが、流玲の話はキザムの想像をはるかに越していた。


「あのね、キザムくん……。わたしが……わたしが……最初のゾンビを作ったんだよ……」


 衝撃的な言葉が流玲の口から発せられた。


「最初のゾンビ……? それって、つまり流玲さんが……」


「──正直なところ、今でもよく分からないの……。わたし、キザムくんに言われた通りに保健室にいたんだけど、急に空腹感にとらわれて……。狂おしいほどの飢餓感にとらわれてしまって、頭がおかしくなりそうになって、もうどうしようもないくらいになって……。それで保健室の奥のベッドで寝ていた男子生徒のことを襲いそうになって……。ううん、それは正確じゃないわ。はっきり言うと──その男子生徒のことを食べたくなったの……。これって、とんでもなく異常なことでしょ? だからわたし、急いで保健室を飛び出したんだけど、いつの間にか飢餓感の波に心も身体も乗っ取られて……。次に気が付いたときには、廊下にいた見ず知らずの生徒の首に噛み付いていたの……」


 おそらく、その生徒が最初にゾンビ化したのだろう。そして、その生徒によって保健室にいた喜田藤は喰い殺されてしまったに違いない。流玲が喜田藤を殺したわけではないのは良かったが、間接的に流玲のせいで喜田藤が喰い殺されたことに変わりはなかった。


「今もね、わたしの口の中には、そのときの感触がしっかりと残っているの……。ねえ、キザムくんは知っている? 人間の皮膚って、思っていた以上に柔らかくて、簡単に噛み千切れるんだよ……。皮膚を噛み千切ると、すぐに口の中に熱い血が流れ込んでくるの……。わたし、その血をごくごくと飲み込んだの……。砂漠でオアシスを見付けたときみたいに……喉の渇きを必死に癒すように……ごくごく飲み込んだの……。本当は飲みたくなかった……。人間の血なんて絶対に飲みたくなかった……。でも、身体が勝手に反応して……。どうしても押さえられなかった……」


「…………」


 これ以上ないほど生々しい表現で言葉を続ける流玲に対して、なんと声を掛けてあげればいいのか分からなかった。言葉が見付からないとは、まさにこういうことをいうのだと思った。


「でもね、キザムくんには信じて欲しいんだけど……。わたし、すぐに正常な精神に戻ったんだよ……。すぐに噛み付いてしまった生徒を介抱したんだよ……。だけど、その生徒が突然震え出したかと思ったら、びくりと起き上がって……。そのときにはもう……人間ではないものになっていたの……。だからわたし……すごく怖くなって……その場から逃げ出しちゃったの……」


 今までたくさんのゾンビに遭遇してきたが、ゾンビがゾンビを襲うことはなかった。ゾンビが襲うのは人間だけだった。流玲が襲われなかったのは、流玲自身がそのときすでに半ゾンビ化していたからであろう。流玲がゾンビに襲われることなく、こうして屋上まで無事に逃げてこられたのには、そういう訳があったのだ。


 流玲の心情の変化や身体の異常について、キザムにも同じような苦い記憶があった。キザム自身、二度目のタイムループの際に、ゾンビに噛まれて似たような飢餓感にとらわれたのだ。しかし、その後の記憶はなかった。おそらく、キザムが完全にゾンビ化すると同時に時間がループして、元の昼休みの時間に戻ってしまったのだと、今なら分かる。


 だが、流玲の場合は違う。流玲は飢餓感に苛まれて生徒に喰らいついてしまった後に、しっかりと人間としての精神を取り戻し、その状態で逃げ続けてきたのだ。それがどれほど精神的にきつく辛いことか、どれほど苦痛だったのか余人には計り知れない。

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