その4

 しかし、流玲の衝撃的な告白にはまだ続きがあった。


「でもね、それだけじゃないの……。こんな話をしても、信じてもらえないかもしれないけれど──」


 流玲はそう前置きをしたうえで話を続けた。


「わたしね、なんだか、何度も同じようなことを繰り返している気がするの……。何度も誰かに噛み付いたような気がするの……。記憶が曖昧ではっきり分からないんだけど……トイレでも女子生徒に噛み付いたような記憶があるの……。もしも、わたしの記憶が正しいのだとしたら、わたしは何回も何回も誰かを傷付けているってことで……。ねえ、これってどういうことなのかな……?」


「流玲さん、それは……」


 キザムがそうであるように、流玲もまた世界がタイムループしていることに薄々気が付き始めているのだろう。だから敢えてキザムに訊いてきたのだ。流玲はキザムに答えを求めているのだ。流玲はキザムが答えを知っているのではないかと考えているのだ。


 そして事実、キザムはその答えを知っていた。


 ここまで流玲の話を聞けば、もう疑いようがなかった。タイムループのたびに何度も繰り返し起きたゾンビカタストロフィーの始まりは、すべて流玲に原因があったのは間違いない。流玲が二階の女子トイレで友里美に噛み付くことで、ゾンビカタストロフィーは始まっていたのだ。


 しかし、今回だけはキザムが沙世理にタイムループの事情を話したことで、バタフライエフェクトが起こってしまい、結果として、流玲は友里美ではなく見ず知らずの生徒を襲い、そこからゾンビカタストロフィーが始まったのだ。だから、キザムたちの行動はすべて後手に回ってしまったのである。


 ここにきて、ようやく一連のゾンビカタストロフィーの発生の流れがつかめた。だが同時に、ゾンビカタストロフィーの発生の原因が流玲にあることも分かってしまった。



 ぼくはこの事実を流玲さんにちゃんと伝えるべきなのだろうか?



 キザムは流玲の訴えるような眼差しを受け止めつつ、自分の内心に問い掛けた。


 流玲は今見ず知らずの生徒を傷つけたことで深く後悔している。そんな流玲にゾンビカタストロフィーの事実を伝えることは、さらなる追い討ちを掛けるのも同じである。これ以上、流玲の心を傷付けるわけにはいかない。


 キザムの判断基準は明白だった。流玲を傷付けないことこそが重要なのだ。事実は二の次で良かった。


 だから今はこう言うことにした──。


「──分かったよ、流玲さん。それじゃ、一緒に校庭に避難しよう」


 キザムは先ほどと同じ言葉を繰り返した。出来るだけ優しい口調で。


「キザムくん……」


 流玲の顔に淋しそうな笑顔が一瞬浮かんだかに見えたが、すぐにその笑顔は消えていた。


「キザムくん……ありがとう……。でも、やっぱりダメだよ……。だって、今のわたしの身体は──」


「そんなの関係ないから」


「無理だよ……。もう無理だよ……。自分の身体のことは……自分が一番よく知っているから……」


 流玲の顔に浮かぶのは決して絶望ではなかった。あきらめにも似た妙に冷静な表情が浮いていた。流玲は自分の身に起きた不幸を、自分だけで背負い込む決心をしたのだ。


 流玲がキザムの方に顔を向けたまま、少しずつ後ろ足で後退していく。キザムから少しずつ離れていく。


「流玲さん、あきらめちゃダメだ!」


 キザムは一歩前に足を踏み出した。


「…………」


 キザムの足を止めさせるように、無言で左右に首を振り続ける流玲。


「ぼくが……ぼくが……なんとかするから!」


 届かないと分かっているにも関わらず、右手を流玲の方に伸ばしていた。指先のさらに向こうに流玲の身体がある。流玲の身体をこの手で掴みたかった。でも届かなかった。


「…………」


 後退する流玲の足は止まらない。流玲の背後の先には、屋上を取り囲むように設置されている手摺りがある。


 キザムは流玲が考えていることを察した。自分の身に起きた悲劇を、自分自身の手で止めるつもりなのだ。



 そうか、あのときの涙の意味は『このこと』を示していたんだ……。



 保健室の前の廊下で流玲とキスをしたとき、流玲はなぜか目に涙を浮かべていた。流玲は大事な話があると言っていたが、キザムはゾンビカタストロフィーのことで頭がいっぱいで、結局話をしないまま流玲と分かれてしまった。



 あのとき、すでに流玲さんは『こうすること』を決断していたんだ。だから最後に別れの言葉を言うために、わざわざ保健室まで来てくれたんだ。



 ようやく知ることが出来た流玲の涙の意味。



 もしも、ぼくがあのときそのことに気が付いていれば、もしかしたら、悲劇は未然に防げたかもしれないのに……。



 今さら悔やんで悔やみきれない自分の痛恨の判断ミスを嘆いた。



 でも、でも……だからといって、このまま終わらせるわけにはいかない……。流玲さんひとりに責任を背負わせるわけにはいかないんだ!



「──流玲さん、まだ全部が終わったわけじゃないんだから……。絶対に何か方法があるはずだから……」


 キザムは必死に流玲を引きとめようとした。今ここで流玲を止めなかったら、取り返しのつかない最悪な事態になってしまう。大切なものが手の届かない遠くに行ってしまいそうな気がして、怖くて怖くてしょうがなかった。


「ううん、もうダメだから……。きっとわたしも、そのうちにあのゾンビみたいになっちゃうから……。そうなったら正常な心を失って、キザムくんのことも襲ってしまうかもしれないし……。これ以上の迷惑は掛けられないから……。だって、これ以上誰かを襲いたくないから! わたし、もう噛み付きたくないから!」


 流玲の悲痛な訴え。


「流玲さんはゾンビにはならないよ! 絶対にゾンビなんかにはならないから!」


「そんなの分からないでしょ? わたし、今も空腹感があるんだよ? 苦しいくらい飢餓感に満ちているんだよ! キザムくんのことをいつ襲うか分からないんだよ?」


「大丈夫、流玲さんはゾンビにならないから……。だって……だって……ぼくが守ってみせるから! ぼくが流玲さんのことを守ってみせるから!」


 思いのたけをのせて放ったキザムの絶叫が屋上に響き渡る。


「…………!」


 後退していた流玲の足がぴたりと止まった。身体を震わせたまま、でもその目をしっかりとキザムの方に向けてくる。


「ぼくのことを信じて。流玲さんのことはぼくが守るから──」


 愚直なまでの一途で真っ直ぐな気持ちを込めて、はっきりとその言葉を言い切った。


「キザムくん……」


 その瞬間、流玲の目から涙が零れ落ちた。右目からも、そしてゾンビ化している左目からも──。


 今度こそ流玲を説得出来たようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る