第8章 フォース・オブ・ザ・デッド その誤

その1

 もう会えないと思っていた流玲とやっとこうして再会することができた。ここまで来るのに、なんだかひどく時間がかかった気がする。しかし実際のところは、保健室の前の廊下で流玲と別れてから、たかだか数時間しかたっていないのである。それだけ濃密な時間を過ごしたということなのだろう。


 急いで流玲のもとに駆け寄って行きそうになったが、そこでカケルのことを支えていることを思い出した。


「……キザム……オレはここで座って待つから……おまえは早くいってやれよ……」


 キザムの気持ちを察したのか、それともこれ以上歩くのが辛いのか、カケルがその場でしゃがみ込んだ。呼吸は荒く、肩を大きく上下させている。


「──カケル……。身体は本当に大丈夫なのか?」


 キザムとしても流玲のもとに早く行きたかったが、カケルの容態も非常に気になった。せっかく苦労して流玲を捜し出したのだから、このまま誰一人欠けることなく三人で無事に校庭に避難したかった。


「ああ……大丈夫だ……。流玲さんの元気な……姿さえ確認出来れば……オレの目的は……済むはずだから……」


 カケルは相変わらずゾンビカタストロフィーの原因究明を一番に考えているようだった。


「いいか……キザム……何があっても……絶対に、驚くなよ……」


 カケルがこのタイミングでなぜか意味深で不可解な言い回しをしてきた。


「えっ? どういうことだよ? 何に驚くっていう──」


「いいか、オレの意思が……もっている間なら……なんとかなる……。だから、キザムも……意思を……強くもつんだ……。何が一番……大事なのか……決して、見失うんじゃないぞ……」


 カケルはキザムの質問に答えることなく一気に言うと、そこで一回深く息を吐いた。右手を自分の胸元に当てて、体内で暴れている悪しきモノを必死に押さえようとしている。


「お、お、おい……カ、カ、カケル……?」


 思わずカケルに近寄ろうとしたが、カケルの放つ声の方が先だった。


「は、は、早く……早く……い、い、行くんだ……!」


 カケルがうわ言のようにキザムに言ってくる。


「でも……カケル、その様子じゃ──」


「は、は、早くしろ! オレの身体は……も、も、もう長くは……もちそうに、ない……」 


 カケルの言葉には意味が分からない点が多々あったが、今はもう問い直している猶予がなかった。カケルがいつまで正常を保てるか、正直微妙なところなのだ。


「──う、う、うん……分かったよ……。とにかくぼくは流玲さんと話して、流玲さんを連れてくるから。そうしたら三人ですぐに校庭に避難しよう──」


 今のカケルから目を離したくなかったが、必死で戦っているカケルの意思を無駄にはしたくなかった。キザムは後ろ髪引かれる思いを断ち切って、流玲のもとに向かうことにした。


 ほんの数メートルほど先にいる流玲。幾度となく、このときが来るのを待ち望んでいた。だが、その度にゾンビカタストロフィーに巻き込まれて助けることが出来なかった。


 ゾンビに喰い殺されたときもあった。キザム自身がゾンビ化してしまったときもあった。でも、そんな惨劇もこれで終わりを迎えられそうだった。


 今回ばかりは違うのだ。今キザムの目の前には、たしかに流玲がいるのだ。


 ゾンビカタストロフィーが起きるのを止めることは出来なかった。その結果、たくさんの犠牲者も出てしまった。


 でも──流玲はゾンビカタストロフィーに巻き込まれることなく、こうして生き延びている。


 キザムとしては流玲さえ生きていてくれたらならば、それで良かった。犠牲者には申し訳ないが、それがキザムの偽らざる気持ちだった。


 どうして流玲に対してこんな感情を抱くようになったのか自分でも不思議だった。ゾンビカタストロフィーが起きる前は、いちクラスメートであり、優しいクラス委員長という認識でしかなかった。


 それがタイムリープを繰り返すうちに、なぜか流玲の存在がキザムの心の中で徐々に大きくなっていった。


 タイムリープの中で命を懸けたやり取りを何度もしているうちに、流玲の存在の大きさに気が付いたということなのだろうか?


 あるいは、この一連の事態が起きる前から流玲のことが気になっていて、そのことに今さらながらに気が付いたということなのだろうか?


 正直、キザム自身、目まぐるしい自分の感情の変化についていけなかった。


 ただ──今、キザムの心の中心に流玲がいることだけは間違いなかった。揺るぎない事実だった。それだけで十分だった。


 その気持ちを失くすことなく持ち続けてきたからこそ、こうして流玲と再会することが出来たのだ。


「流玲さん──」


 キザムは流玲の背中に向かって声を掛けた。


「流玲さん、遅くなったけれど、助けに来たよ──」


 これまで言えずにいた言葉を、ようやく言うことが出来た。


「…………」


 だが、流玲はなぜかこちらに振り向いてくれない。この距離ならば絶対にキザムの声は聞こえているはずだった。


 不意に、先ほどのカケルの言葉が頭の中に蘇ってきた。カケルがなぜあのようなことを言ってきたのか理解できなかったが、今、唐突に思い当たる節が浮かんだ。



 まさか、カケルが言いたかったことは……。



 心中に暗い雲がわきたつ。その雲がキザムの心を完全に覆い尽くす前に、流玲の身体がぴくっと動いた。


 心に出来た暗い雲がたちまちのうちに消え失せていく。


「流玲さん!」


 明るい希望に満ちたキザムの声。


 流玲が身体ごとゆっくりとこちらに振り向く。身体の動きとともに、流玲の顔が少しずつこちら側に見えてきた。長い黒髪がばさっと風にたなびく。髪の下に隠れていた形の良い耳が見えた。続いて、ツルンとしたすべすべの頬が見えた。ツンと尖った可愛らしい鼻の頭も見えてくる。さらに涼しげな目元が見えてきた。


 待ちに待った瞬間が訪れようとしていた。


「流玲さん、いっしょに逃げ──」


 キザムの声は、だが途中で消えていた。言葉を失ってしまったのである。


 完全にこちらに顔を向けた流玲。顔の右半分はたしかにキザムのよく知るキレイな流玲の顔をしていた。



 しかし、顔の左半分は──。



「そ、そ、そんなあ……。う、う、うそだあ……。こんなのうそだあ……うそに決まっている……」


 キザムは茫然自失のまま、絶望的な言葉を漏らした。



 流玲の顔の左半分は、驚くほど様変わりしていたのである。



 顔の左側の皮膚だけ真っ青で血の気が一切感じられなかった。頬には青白い血管が何本もうねるようにして不気味に浮かび上がっていた。左の鼻の穴からは真っ赤な血が流れるままになっていた。


 そして──左目の眼球は一片の感情すら読み取れないほど白く濁っており、白目の部分には赤い血の筋が幾筋も浮かんでいた。



 それはこれまで幾度となく見てきた『あの顔』と同じだった。



 そう──流玲は顔の左半分だけ、ゾンビ化していたのである。

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