その3

 蔵口の顔の左半分は皮膚がぺろりとめくれ上がっており、真っ赤な血で彩られた組織が丸見えだった。右目は抉り取られており、底なしの黒い空洞がぽっかりと出来ている。首筋に通った太い血管が切れているのか、絶えず赤い血飛沫が噴き出している。腹部は縦に一直線に切り裂かれており、白い肋骨が何本か見えている。何の臓器か分からないが、赤黒い色をした細長い内臓の一部が外にはみ出している。まるで理科室にある人体模型がそのまま現われたかのような有様だった。立っているのさえ不思議な状態に見えたが、蔵口の形をしたゾンビはたしかに教室の外に出ようと足を動かしていた。


「村咲さん、彼女の右手を持って下さい!」


 キザムは指示を飛ばした。はっとしたように村咲が茫然自失状態の柚石の右手を掴んだ。


「このまま防火シャッターまで連れて行きます!」


「よし、分かった! 郷力たちもあいつらに襲われたくなかったら全力で逃げるんだ! これは最後通告だからな!」


 キザムと村咲は柚石を連れて走り出した。



 ガダガラガゴガガギーーーーーーーーッ!



 後方から再びバリケードが崩れる音がした。せっかく築き上げたバリケードだが、完全に崩れさってしまった。


「うわああっ! なんだ、こいつら! 何体いるんだよ! 教室からどんどん出てくるぞっ!」


 男子生徒の怯えきった声が聞こえる。キザムはいちいち振り返らずとも、今何が起きているのかはっきりと分かった。教室内から他のゾンビたちがいっせいに這い出てきたのだろう。


「おーい、早くしろ! 後ろからやつらが追いかけてきているぞ!」


 防火シャッターの前にいたカケルが大声で叫んでいる。


 前方を見ると、防火シャッターが徐々に降りてきていた。カケルがキザムたちの後方から迫っているゾンビたちの姿を見て、防火シャッターを降ろす判断をしたのだろう。


「村咲さん、あの防火シャッターが降りる前に潜り抜けないとアウトですよ!」


「分かっている!」


「蔵口くんが……蔵口くんが……蔵口くんが……」


 二人に両手を掴まれた柚石は思考停止してしまったみたいで、ただただ蔵口の名前をつぶやき続けている。


「よし、先に君が柚石さんを連れて、防火シャッターを潜るんだ!」


「分かりました!」


 ここでどちらが先か議論している猶予はないので、キザムは村咲に言われるがままに、柚石と一緒に防火シャッターを潜り抜けた。


 数瞬遅れて、豪力たちが次々に防火シャッターを潜り抜ける。


「よし、これで全員潜ったな?」


 村咲が確認の声をあげたとき──。


「お、お、おーい!。おれを置いてかないでくれよー! こんな連中に捕まるのはイヤだあ! 頼むよ! 助けてくれよ!」


 恥も外聞もかなぐり捨てて、必死に助けを求める声が廊下から聞こえてきた。


 キザムは焦ったように振り返った。廊下に倒れこむ一人の男子生徒の姿がある。おそらく恐怖のあまり、足をつまずかせて転んでしまったのだろう。男子生徒の背後からはゾンビの群れが迫っている。


「彼を助けに行かないと! このままじゃ、ゾンビに喰い殺されちゃうよ!」


「ダメだ! 今助けに行ったら、君まで喰い殺されるぞ!」


 キザムが助けに向かおうとしたところ、村咲に無理やり身体を押さえつけられた。


「あのバカが! こんな大事なときにドジりやがって」


 郷力が悔しげに口元を歪めている。


「郷力、お前の友達なのか?」


綿旗わたはただよ!」


「名前なんていいです! それよりもどうするんですか? このまま彼が喰い殺されるのを黙って見ているんですか?」


 キザムは誰に訊くでもなく声高に言った。


「──僕が助けにいく」


 重い声で村咲がつぶやいた。


「村咲……お前、マジで言っているのか? あの連中をなんとかしないことにはどうにもならないんだぜ?」


「そんなことは分かっているさ。僕は生徒会長なんだ。助けに行く義務があるんだ」


「──だったら、オレも行くぜ」


「郷力、お前……」


「友達をむざむざと見捨てるわけにはいかないからな」


「いったい、いつからそんなに人道的な生徒になったんだ?」


「最初からオレは人道的だぜ」


「僕のことを殴ろうとしたのはどこのどいつだよ」


「生憎と過去は振り返らないことにしているんでね」


「まったく都合のいいことだな」


 皮肉の応酬に見えて、意外と気が合いそうに見える村咲と郷力であった。


「そういうことなら、オレも少しだけ助太刀するぜ」


 カケルはその場で片膝を付くと、いつの間に取り出したのか、手に持った拳銃をゾンビの群れに向けた。


「お前、いったいソレはなんなんだよ? まさか本物の拳銃なんじゃ──」


 村咲の疑問の声を掻き消すように、カケルの持った拳銃から続けざまに銃声が轟いた。


 綿旗に迫っていたゾンビたちに、ものの見事に銃弾は命中した。先頭を歩いていた三体のゾンビがゆらりと傾いたかと思うと、そのまま廊下に倒れこんだ。


「悪いがこれで弾切れだ。あとはそっちでなんとかしてくれ。イスを盾代わりに使えば、なんとかなると思う。それからキザムは大至急机を一台持ってきてくれ」


 カケルがてきぱきと指示を飛ばす。拳銃のことを知らなかった村咲と郷力は呆気に取られたようにしていたが、すぐに我に返り、近くの教室からイスを取ってくると、それを盾のように構えて、綿旗救出に向かって走っていく。


 キザムもカケルに言われた通り、教室から机を運んできた。何に使うかはカケルに訊かずともすぐに分かった。降りかけている防火シャッターの下に机を置く。これで防火シャッターが床まで降りることはない。


「それじゃ、ぼくも二人の手助けに行ってくるよ。カケルは防火シャッターを頼む」


「ああ、任せておけ」


 キザムは村咲たちと同じようにイスを手に取ると、綿旗救出に向かった。

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