その2

柚石ゆずいしさん、何度も言うようだけど、詳しい説明をしている暇はないんだ。君だって、今この学校内で異常事態が起きていることぐらいは分かっているだろう? このバリケードはそれを拡大させないための処置なんだ」


 村咲が女子生徒──柚石の説得をなんとか試みている。


「だから、なんで怪我人がいる教室を封鎖する必要があるのかって、あたしは聞いているの?」


 柚石も負けずに言い返している。


「悪いけど、今は言えないんだ……」


「そんな言えないって、絶対におかしいでしょ!」


「おかしいことは分かっているさ。でも、これ以上の危険を防ぐ為には、どうしても必要な処置なんだ」


「だったら、それをちゃんと説明してよ!」


「それは……だから……」


 村咲と柚石の会話には、永久に着地点が見付からないと察せられた。柚石のような生徒が出ることは事前にキザムたちも想像していたが、いざ目の前にすると、どう説得したらよいのか頭を抱えるしかないのが現状だった。


「──村咲さん、とにかく早く逃げないと。このバリケードだって簡易的なものだから、いつまで保つか分からないですよ」


 キザムは無言のままにらみ合いに突入した二人の間に割って入った。


「分かっている……。でも、ここにいる生徒全員を助けるのが、生徒会長としての僕の仕事なんだ」


 村咲は三組の教室内にいた生徒が全滅してしまった責任を、まだ深く感じているのだろう。生徒会長らしい立派な意見だが、それも時と場合による。今は一刻も早く三階から避難することを優先しないとならないのだ。


 村咲と柚石が言い合いをしている間に、他の生徒たちの避難はほぼほぼ終わっていた。これで残っているのは、柚石と避難せずに四組の教室内に居残っている生徒たちだけとなった。


 三組の前に築かれたバリケードは天井近くまで積み上がっているが、それでも三階にこのまま留まるのが危険であることに何ら変わりはない。


「──分かったわよ。もういいわよ! 素直に避難すればいいんでしょ!」


 まだまだ続くかと思われた二人のにらみ合いは、しかし、柚石の方が唐突に折れたことで終わった。


「良かった。それじゃ、一緒に避難を始めよう」


 村咲がほっと息を付いた瞬間、柚石が突然バリケードに両手を掛けた。


「えっ? 急にどうしたっていうんだよ?」


 あっけにとられて驚く村咲をよそに、柚石はそこに積み重ねられたイスと机のバリケードを掴むと、猛然とどかし始めたのだった。


「おい……冗談だろう……」


 せっかく作ったバリケードが見る見るうちに崩されていく。


「村咲さん、早くあの女子生徒を止めないと!」


「なんで僕の話をきいてくれないんだ!」


 キザムと村咲は柚石の強行を止めるべく、柚石の身体に左右からとって掛かった。両手を押さえられた柚石はそれでももがき続けるが、さすがに二人の男の捕縛からは逃れることは出来ない。


 これで柚石の強行を止められたかと思ったが、柚石は意外な方法に打って出た。


「誰かー! 誰か助けてー! あたしのことを襲おうとしているの! 誰か早く助けてー!」


 廊下に轟く女性の悲鳴。襲われているのを助けてくれというSOSである。その効果のほどは抜群だった。


 四組の教室内に残っていた生徒たちが、何事かと廊下に出てきたのである。キザムと村咲に押さえ込まれている柚石の姿を見てどう思ったのか、さっそく次の行動に移る。当然のように、キザムと村咲を悪者だと認識して、柚石を助けに来たのである。


 四人の男子生徒がキザムたちのもとにやってきた。


「おいおい、他の生徒は非難させておいて、自分たちは楽しもうっていう魂胆なのか? この学校の生徒会長も随分と堕ちたもんだな」


 先頭に立った男子生徒がキザムと村咲のことを剣呑な目付きで睨んできた。柚石を助けるためというよりは、面白いことが起きたからやってきたという感じである。


「良かった。ねえ、この二人を捕まえておいて」


 柚石は唖然としているキザムと村咲の手を払いのけて、再びイスと机との格闘を始める。


「なあ、郷力ごうりき、僕の話も聞いてくれよ。僕たちはこのバリケードを守りたいだけなんだ。考えてもみろよ。こんなときに柚石さんのことを襲うわけがないだろう?」


 村咲が必死に説明するが、果たして男子生徒──郷力が納得しているとは言い辛かった。


「バリケード? そんな話は後回しだ。お前は自分のしたことが分かっているのか? か弱き女子生徒を襲おうとしたんだぜ? これは見過ごすわけにはいかないだろう」


 郷力が両拳を組んで、パキポキと子気味いい関節の音を鳴らす。すでに臨戦態勢に入ってしまっている。



 こんな大事なときに、ヤバイ展開になったぞ……。



 キザムは無言で隣に立つ村咲に目で合図を送った。村咲は力なく首を振るのみ。この急場をしのぐ策は無いということらしい。


「ここはオレが正義の鉄槌を食らわすしかないよな。オレだって生徒会長様を殴るなんて、本当はイヤなんだけどな。でも言っても分からないやつには、拳で言い聞かせるしかないからな」


 言葉とは裏腹に、早く殴りたくてうずうずしている表情を浮かべている。正義の味方とはかけ離れた容姿をした郷力が右拳を固めた。瓦なら十枚ぐらいいとも容易くぶち割りそうなゴツイ拳である。


「村咲、覚悟を決めろよ」


 郷力が右手を振りかぶった。


 だが、郷力の拳が村咲の顔に届くことはなかった。キザムたちのすぐ間近で絶叫が上がったのである。


「きゃああああああああーーーっ!」


 三組の教室の前に築かれたバリケードの一部から、蒼白い手が伸びていた。そして、その手は柚石の制服の上からがっちりと柚石の身体を掴んでいた。



 くそっ……間に合わなかったか……。



 キザムは心中で悔しげに吐き捨てたが、すぐに自分のすべきことを思い出して、いち早く身体を動かし柚石の救出に入る。柚石の右手を掴むと、力を加減することなく思い切り強く廊下側に引っ張る。しかし、柚石の身体は万力で捕まれたかようにまったく動かない。それだけゾンビの力が強いということの現われでもある。


「ダメだ! ぼくひとりじゃビクともしない! 誰でもいいから、早くこっちに手を貸してください!」


「やだああああああーーーっ! やめて! 離してよ! 離してって言ってるでしょ!」


 キザムの指示する声が聞こえたのか、それとも柚石の悲鳴で目が覚めたのか、村咲と郷力が次々に柚石の身体を掴んでキザムの加勢をしてくれた。


「おい、これは何なんだよ? 何が起きているんだよ?」


 村咲を殴る寸前だったのがウソのように、今は隣で必死に柚石の身体を引っ張る村咲に説明を求める郷力である。


「だから、僕たちは『コレ』が廊下に出るのを防ぎたかったんだよ!」


「はあ? 意味がわからねえよ。『コレ』って、だから何なんだよ?」


「その説明は後回しだ! ともかく今は柚石さんを助けるんだ!」


「そんなこといちいち言われなくともオレだって分かってる!」


 両者は口々に罵りあいとも聞こえる口調で言い合いをしつつ、柚石の身体を全力で引っ張る。


 そして、次の瞬間──。


 男子生徒三人の力の前では、さすがのゾンビも敵わなかったらしく、柚石の身体が勢い良く廊下側に引き戻された。キザムたちはいきなり消えた力のせいで、廊下に転がる羽目になった。


 だが、その代償は余りにも大きかった。



 ガダガラガゴガガギーーーーーーーーッ!



 無造作に天井まで積みあがっていたバリケードが、一斉に床の上に崩れ落ちていったのである。


 隠れていた三組の教室の窓ガラスが見えた。一ヶ所だけガラスが割れている窓がある。おそらく、そこからゾンビは手を伸ばしてきたのだろう。


「村咲さん、ヤバイですよ。これじゃ、簡単にやつらが外に出てきます。急いで逃げないと」


 キザムはすぐさま立ち上がった。


「中に、中に、いるんだから……。蔵口くんが……蔵口くんが……中にいるんだから……」


 さっきまでゾンビに捕まえられていたというのに、柚石は三組の教室のドアにふらふらと近付いて行こうとしている。


「ダメです! それ以上近付くのは危険です!」


 キザムは柚石の手を取った。


「離して! 離してよ!」


 柚石の気持ちだって痛いほど分かる。ここまで執着するということは、それだけ強く思っている人が、この教室内にいるのだろう。だが、今この教室内にいるのは、残念ながらゾンビ化した生徒と喰われた生徒だけである。柚石の思い人である蔵口は、すでにこの世にはいないのだ。


「逃げるんです! とにかく逃げるしかないんです!」


「いや、離してよ! 蔵口くんを助けるまで、わたしはわたしは──」


 柚石の身体から不意に力が抜け落ちた。てっきり逃げる決心が付いたのかと思ったが、それはキザムの思い違いだった。


 教室のドアからゆらりと姿を見せたものがいた。


「蔵口くん……蔵口くん……蔵口く……ち、ち、違う……違う……蔵口くんじゃない! こんなの蔵口くんじゃないっ!」


 柚石はドアから姿を現わした蔵口を見て、あまりの衝撃に身体から力が抜け落ちてしまったのである。それほどまでに目の前に現われた蔵口の姿は、余りにも凄惨極まりないものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る