第6章 フォース・オブ・ザ・デッド その惨

その1

 保健室から廊下に出ると、さっそくゾンビの唸り声が耳に入ってきた。さきほど人間を襲ったばかりなので、活発な状態にあるのだろう。


「カケル、ここからはどうするんだ? この廊下の先には何十体ものゾンビがいるんだぞ? さっきみたいな手はもう使えないし……」


「分かっているよ。安心しろ。策は考えてあるから」


 カケルの顔には何やら自信の色が浮いている。


「何か良い策でもあるのか?」


「やつらは今、新鮮な獲物にありつけて、それに夢中になっているはずだ。だから、足音を立てずに慎重に二階に続く階段に向かえば、やつらには気付かれないはずさ」


 新鮮な獲物というのは、言うまでもなく生き餌となった鹿水のことである。


「そういうことか」


「ここはキザムが先に行け。後方はオレが固めるから」


「分かった。頼むよ」


 キザムも自分の体のことがあるので無理はしない。無理をすれば、いたってカケルに迷惑をかけてしまうことになるのだ。


 二人は廊下と廊下が交わるところまで歩いてきた。ゾンビの唸り声がさらに大きく聞こえてくる。


 カケルが壁際からそっと顔を覗かせてゾンビの様子を伺う。


「予想通りだ。やつらは食事に夢中になっている。今なら階段までやつらに気付かれることなく歩いていけるぞ」


 キザムも顔を覗かせて廊下の先を確認した。何十体という数のゾンビが輪になっているのが見えた。耳に入ってくるゾンビたちの咀嚼音は敢えて気にしないことにした。


「キザム、焦ることはないからな。とにかく音を立てずにゆっくりと階段まで歩いていくんだ。オレはゾンビの様子を警戒するから。もしもやつらに気付かれたら、そのときは階段まで命を懸けた短距離走だ」


「うん、分かった。カケルも無理はしないでくれよ」


「ああ、もちろん。オレだって生き残りたいからな」


「それじゃ、ぼくは移動を始めるよ」


 キザムは改めてチラッとゾンビたちの方に一度視線を飛ばして安全を確認すると、するっと廊下に足を踏み出した。足音を消し、気配を消し、そして、ゾンビに気取られないように慎重に廊下を進んでいく。


 背後からゾンビたちのあげる唸り声が聞こえてくる。常に背筋に薄ら寒い氷の風を吹き付けられているような、ひどくおぞましい気分だった。


 階段まで半分ほどの距離まで歩いてきたところで、一度後方を振り向いて、カケルに合図を送った。カケルが無言で何度か頷いた。ここまでは作戦通りに順調にいっている。


 キザムはカケルに頷き返すと、再び階段へと向かって廊下を進みだした。


 普段は当たり前のように歩いている校内の廊下だが、今はまるで戦場を行くような緊張感があった。少しでも物音を立てたら、ゾンビと化した生徒たちに気付かれてしまう。しかし、分かってはいても、早く危険から遠ざかりたくて、つい早足になってしまいそうになる。



 落ち着くんだ。気持ちを平静に保って、落ち着いて前に進んでいくだけでいいんんだ。



 自分自身に対して、冷静になるように言い聞かせながら歩いていく。


 十分近い時間を掛けて、ようやく廊下の端までたどりついた。ゾンビの視界に入らない階段脇のスペースに素早く移動したところで、やっと一息付いた。



 よし、次はカケルの番だな。



 キザムは廊下に顔だけ出して、カケルに手を振って合図を送った。


 カケルが右手の指で輪を作って、OKサインを返してくる。すぐに廊下に身を乗り出して、キザムの方に向かって進み出す。キザムと違い、その足取りは軽やかで、一切の迷いがない。これならばすぐにでもカケルと合流出来そうだと思った。


 だがその矢先、事態を一転させる大声が校舎の外から聞こえてきた。


「おーい、誰かいるのか! 校内に残っている生徒はいるか! いたら返事をしてくれ!」


 廊下にまで響き渡る大声。その言葉の内容から、緊急通報を受けて学校に駆けつけて来た救助隊の声だと分かった。


 キザムは慌ててカケルの顔を見つめた。カケルは足を止めて、大きく首を振っている。今動くのは危険だということだ。


「おーい、誰かいるのか! みんな、逃げたのか!」


 再び大声が聞こえてきた。このまま何も返事がなければ、残された生徒たちの居所の確認の為に、救助隊は十中八九校内に入ってくるだろう。しかし、一階にいる生徒はただの生徒ではない。ゾンビと化した危険極まりない生徒なのだ。果たして、緊急通報でどの程度の情報がもたらされているのか分からないが、救助隊もまさか校内にゾンビがいるとは考えていないはずだ。


 だとしたら、このまま救助隊を校内に入れてしまうと、さらなる犠牲者を増やすことになりかねない。


 しかし、それを外にいる救助隊に伝える術がなかった。唯一の手段として、大声を出して危険を知らせる手がなくもないが、それは同時に、自分たちの居場所をゾンビに知らせる行為でもあるのだ。



 カケル、どうしたらいい? このままじゃ、救助隊が外から入ってきちゃうよ……。



 焦る気持ちだけで、一向に名案が浮かばない。そのとき、カケルが手にした拳銃を天井に向けた。



 えっ? カケルは何をする気なんだ──?



 キザムが疑問に思ったときには、もうカケルは拳銃の引き鉄を引いていた。



 バシュッーーーーーン!



 廊下に空気を切り裂くような鋭い銃声が木霊する。


「お、お、おい……今の音はなんだ……?」


「じゅ、じゅ、銃声のように聞こえたぞ……」


「ま、ま、まさか……そんな報告は受けていないぞ……」


 一瞬後、外から動揺するような幾つもの声が聞こえてきた。


 カケルがさらに続けざまに拳銃を発砲した。



 バシュッーーーーーン! バシュッーーーーーン!



「じゅ、じゅ、銃声だ! 校内から本物の銃声が聞こえたぞ!」


「お、お、おい……こんな話、聞いてないぞ! 銃を相手にどうするんだよ……?」


「た、た、退却だ! 隊員は一旦校庭まで下がるんだ! 急いで下がれ! 下がるんだっ!」


 隊長格と思われる男性の命令を下す大声が聞こえてきた。地面を駆けていく何人もの足音が聞こえる。


 これで校内に入ってきてゾンビに襲われるという二次被害は防げた。しかし、キザムたちにゆっくりしている暇はなかった。


 廊下に木霊する銃声を聞いたゾンビの群れが、カケルの存在に気が付いて、一斉に移動を始めたのである。

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