その2
「カケル! 走るんだ! ここまで走るんだ!」
キザムは廊下に全身を出して、カケルに声を掛けた。
カケルはすでに廊下を走り出している。手には拳銃を握り締めているが、カケルの後方から追ってくるゾンビの数は数十体にのぼる。とてもじゃないが、一丁の拳銃で太刀打ち出来る数ではない。逃げる術は、もはや走るしかないのだ。
カケルの後方から山のようにゾンビの群れが追いかけてくる。捕まったら最後、そのままゾンビの中に引きずり込まれて、あとは生きながら喰われるしかない。まさに生き地獄が待っている。
「カケル、もう少しだ!」
カケルに必死に声を送るキザムの目が、壁にある四角いパネルを捉えた。
そうか、『コレ』を使おう! このままじゃ、ゾンビにずっと追われ続けることになるからな。『コレ』でゾンビの道を塞ぐんだ。
カケルのわずか数メートル後ろまでゾンビは迫っていた。
「カケル、頭に注意するんだ!」
キザムは天井を指差しながら声を張り上げると、壁のパネルのスイッチを迷うことなく強く押し込んだ。
グギィィィーーーン!
重い音があがったかと思うと、天井から廊下の幅と同じ長さの壁が床に向かって下降してきた。火災の際に延焼を防ぐ為に設けられている防火シャッターを、キザムは手動で作動させたのである。
防火シャッターが徐々に降りていく。完全に下まで降りきってしまえば、ゾンビの進入を防げるはずだ。だが、その前にカケルが通り抜けなくてはならない。
「カケル、ここまで来れば、ゾンビから逃げられるから!」
キザムの必死の声援が届いたのか、床まで数十センチの位置まで降りていた防火シャッターの隙間にカケルが身体を滑り込ませて、キザムのいる側に逃げ込んできた。
「ふぅーっ、ギリギリだったぜ。でも、キザムにしてはこれはナイスアイデアだったな」
気を抜いて床に座り込んでいたカケルが、閉まった防火シャッターの表面を軽く叩いてみせた。
「咄嗟の判断だったんだけど、上手くいって良かったよ」
キザムは今度は自分の番とばかりに、カケルの手を取り、カケルが立つのを手伝おうとした。
「うぐっ……」
キザムの出した手を取ろうとしたカケルが低い呻き声をあげた。
「おい、どうしたんだ、カケル?」
「足に痛みが走った……」
キザムは思わずカケルの足に目をやった。右足のくるぶしのあたりに蒼白い手が巻き付いている。その手は防火シャッターと床の間に出来た僅かな隙間から伸びていた。
「くそっ! ゾンビが隙間から手を出しているぞ!」
キザムはカケルの足首を掴むゾンビの手を、自分の足で何度も強く踏み付けた。だが、なかなかゾンビの手はカケルの足首から離れない。
カケルも自由な左足を使って、ゾンビの手を蹴り付ける。それでもゾンビの束縛は一向に緩まない。
ギィジィィィーーーー。
歪なきしみ音が聞こえてきた。キザムは音の出所を目で確認した。途端に全身に震えが走った。
床と防火シャッターの隙間に、何十本という数のゾンビの蒼白い手が差し込まれていたのである。そして、ゾンビたちが完全に閉まりきっていない防火シャッターを、力尽くで持ち上げようとしていたのだ。
「これはヤバイぞ……。このままシャッターが持ち上がったら、逃げ場がなくなる……」
キザムはカケルの足首を掴んだゾンビの手にさらに攻撃を加えた。
「くそっ! 離せ、離せ、離しやがれ!」
キザムとカケルが同時にゾンビの手を蹴り付けていると、ゾンビの手が一瞬緩んだ。その隙を逃すことなく、カケルが足を手前に引っ張った。
「よし、足が抜けたぞ!」
カケルが歓声を上げた。
しかし、喜ぶのはまだ早かった。シャッターの下から蠢くように覗く無数のゾンビの蒼白い手が残っている。
「これじゃ、防火シャッターを完全に防ぐのはもう無理だな」
「どうする、カケル? この防火シャッターを開けられたら、またゾンビが追ってくるよ」
ゾンビの手の数からいって、キザムたちの力で無理やり防火シャッターを下まで押し下げることはもう出来そうにない。それどころか、いずれゾンビの手によって、防火シャッターは押し上げられてしまう可能性の方が高い。この場に留まるのは危険であった。
「仕方がない。オレたちはこのまま三階を目指そう」
カケルが階段に向かいかけたが、ゾンビに掴まれた右足が痛むのか顔を大袈裟にしかめた。
「カケル、大丈夫なのか? ぼくも一度ゾンビに足首を掴まれたことがあるから分かるよ」
キザムは保健室でゾンビ化した喜田藤に足首の骨を粉砕されたのを思い出した。あのときは、のた打ち回るほどの激痛だった。
「痛みはあるけど、歩けないほどじゃないから大丈夫だ」
カケルはそれでも右足を引き摺るような格好で階段を上り始めた。
「うん、分かったよ。それじゃ、三階を目指そうか」
口ではそう言いつつも、キザムは頭の隅に不安が立ち昇ってくるのを消すことが出来なかった。
後方からは防火シャッターを持ち上げようとするゾンビの群れ。前方には足首を痛めたカケル。加えて、カケルの足首には、それと分かるくらいの噛み傷がしっかりと見えていたのだ。
おそらく、ゾンビに足首を掴まれたときに、同時に噛み付かれたのだろう。
その傷が意味しているものが分からないキザムではない。しかし、そのことを口に出してカケルに問い質す勇気はなかった。
カケル、本当に大丈夫だよな……?
大きな不安を抱え込んだまま、キザムはカケルの背中を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます