第5章 フォース・オブ・ザ・デッド その弐

その1

 廊下の左右に現われた人の姿をした人ならざる者たち。その数はかるく十人は越えている。俊敏とは程遠い動きだったが、キザムたちの方に向かって少しずつ着実に距離を詰めてくる。


 その顔に浮いているのは、紛れもない飢えた表情。キザムとカケルのことを飢えを満たす食料としか見ていないことが窺える。


「くそっ、廊下は完全に塞がれちまったみたいだな」


 カケルが左右に素早く目を走らせて、悔しげに顔を歪める。


「カケル……もうダメだよ……。こうなったらもうムリなんだから……」


 キザムが抱いていた感情は絶望というよりは、むしろ達観したといった思いだった。これまで何度も似たようなゾンビの襲撃を経験しているキザムは、この状況下を打破する術がないことを知っているのだ。


「さっきから泣き言ばかりじゃないかよ! いつものキザムはどうしたんだよ?」


 珍しくカケルがキザムに対して声を荒げた。


「カケルは何も事情を知らないから、そんなこと言えるんだよ……」


「知らないって、どういう意味だよ?」


「だって……ぼくはもう……これでゾンビに襲われるのは……四度目だから……」


「────!」


 キザムの顔に目に見えるほどの衝撃が走った。近付いてくるゾンビを警戒していた目が、キザムの顔にがっちりと固定されて、まじまじと凝視する。


「おい、キザム──それってどういう意味だよ?」


 カケルが今にも噛み付かんばかりの距離まで顔を近付けてきた。


「キザム、オレに何か隠していることはないか?」


 不意にカケルは低い声を出して、まるで威圧せんばかりの口調で訊いてきた。キザムが初めて目にするカケルの恐い表情。誰からも好かれる明るい性格のカケルが見せた、もうひとつの別の顔。あるいは、こちらの顔こそがカケルの本当の顔なのかもしれない。そう思わずにはいられないほど、カケルは真剣味に満ちた顔をしていた。


「ごめん……ぼくが話したら……カケルを巻き込むことになるから……」


 今この場でタイムループのことを話してしまうと、カケルもまた沙世理と同じようにタイムループ現象に巻き込む恐れがあった。


「オレのことなんかは気にしなくていい! だいたい、今だって十二分に巻き込まれているからな。これ以上の厄介事なんてあるのかよ!」


「ああ、カケルが想像もしないような、とんでもない厄介事があるんだよ──」


 そこでキザムは一旦言葉を切った。自分を見つめてくるカケルの眼差しを正面から受け止めて、強い瞳で見つめ返す。カケルを巻き込みたくないという思いは変わらないが、沙世理と二人では力不足であると今回まざまざと思い知らされた。


 しかも、バタフライエフェクトによって予期せぬ『変化』が世界に起きてしまった以上、ここで考え方を一旦見直して、体勢を再度整える必要があった。それにはカケルの協力が不可欠であると思っていた。



 もしも、カケルが力を貸してくれたら、これほど心強い存在はないけど……。



 それでもまだ決断が出来ずにいた。


「──キザム、迷っているぐらいならば、いいからオレに話してみるよ」


 キザムの内心を読んだかのように、カケルが話の先を促してきた。その声はキザムのよく知るいつものカケルの声だった。


「分かったよ、カケル。今から話すから驚かないで聞いてくれよ。──実はぼくは、何度もこのゾンビによる『大惨事』を経験しているんだ」


 キザムは意を決して話し始めた。


「どういうことなんだ?」


「ぼくは何度も同じ時間軸を繰り返しているんだ。その度にこのゾンビの『大惨事』にあって、何度も殺されて、そしてまた元の時間に戻って、生き返っているんだ! 分かるか、ぼくのこの気持ちが! 何度も何度もゾンビに喰い殺される、ぼくの気持ちが!」


 最後はカケルの両肩に手をやって、強い口調で訴えていた。沙世理の前では泣き言ひとつ言わなかったが、相手がカケルならばなぜかすらすらと口から言葉が出てきた。カケルならば、自分の気持ちをちゃんと受け止めてくれると思ったのだ。果たして、キザムの告白を聞いたカケルの反応はというと──。


「──タイムループか……」


 カケルの口から当たり前のようにタイムループという単語が出てきた。


「もしかしたらと思っていたが、やっぱり少なからず『影響』が出ちまったみたいだな……」


 続けてキザムには意味が分からない謎のつぶやきをカケルは漏らした。


「キザム、お前のつらい気持ちはよく分かった。でも、まだあきらめるときじゃない。オレがこの場をなんとかしてみせるから」


 カケルがニコッとキザムに微笑みかけてきた。人懐っこいカケルの笑顔。キザムの胸の内に湧いていた暗い感情が一掃された。少しだけ希望の火が灯るのを感じた。


「カケル……」


「キザム、歩けるか?」


 カケルが訊いてきた。


「──うん、大丈夫……歩けるよ」


 キザムは軽く頷いた。隣にカケルがいてくれると思うだけで勇気が湧いてきた。


「よし、まずはこのゾンビ化した連中をなんとかして、どこかに逃げないとな」


「でもカケル、ゾンビを相手にして戦えるのか? ぼくは何度も喰い殺さ──」


「任せておけって。こうなるかもしれないと思って準備してきたからな」


「えっ? それってどういう意味だよ? まるでゾンビが現われるのを始めから知っていたみたいじゃ──」


「キザム、その話はあとにしよう。オレもキザムに話すことがあるんだけど、今はここから逃げるのが先決だろう?」


「あっ、うん……それはそうだけど……。分かった。ここはカケルに任せるよ」


「よし。そうと決まったら、いよいよ『コイツ』の出番ってところだな」


 カケルがブレザーの内ポケットから、細長い筒状の黒い物体を取り出した。キザムもよく知る物体である。ただし、実際に肉眼で見るのはこれが初めてだった。テレビやゲームの中でしか見たことがなかったのだ。


「まさか、本物なのか『ソレ』……?」


 思わず口に出して訊いていた。


 カケルが取り出したのは、正式な名称は知らないが、総じて『拳銃』と呼ばれている携帯用の武器である。


「ああ、正真正銘、本物の銃だよ。もっと強力な武器を用意してきてもよかったんだけど、この時代にそぐわない武器を使うのは危険だと思ってな。後々に『オーパーツ』発見なんてニュースが流れたら大変だしな。なによりも、歴史が変わることがないように注意しないといけなかったから、この時代以外の物を持ち込むのは止めにしたんだ」


 キザムの頭ではまるで理解不能な話をするカケルだった。唯一、『オーパーツ』という単語だけは知っていた。その時代に存在するはずのない不可思議な物品を現わす言葉である。


「この時代では、校内で銃の乱射事件がよくあるのは普通なんだろう? 図書館の映像資料で見たぜ。だからゾンビ対策用として、この拳銃を使っても影響はないはずだと思ってな」


「いや、カケル……それって、たぶんアメリカの学校の話だよ……。そもそも、日本は銃の所持事態が禁止されているんだから……」


「えっ、そうなのか? オレ、間違った資料を見ていたのかな? せっかく古道具屋を何軒も回って探してきたのに……」


 カケルが話す内容はチグハグしていて、最初は意味がよく分からなかったが、どうやら、カケルはこの時代に合っている武器として拳銃を古道具屋で購入してきたらしい。そして残念なことに、日本の学校で銃の乱射事件が頻繁に起きていると勘違いしていたらしい。



 でも、それじゃ……いったい、カケルは何者なんだ……? 話の内容からすると、この時代の人間じゃないみたいだけど……それってつまり……。



 当然の疑問がキザムの頭に思い浮かんだ。


「カケルの話を聞いていると、カケルは未来から──」


 キザムが疑問の声をあげかけた、まさにそのとき、カケルが手にした拳銃を素早く構えて、躊躇することなく一発放った。


キュイィィィーン!


 空気を切り裂くような甲高い音が廊下に木霊する。ほぼ同時に──。


 ギュビュジュッ!


 柔らかい粘液質の物体が弾け飛ぶ音があがった。そして、ズザリという重みのある物体が廊下に崩れ落ちる音が最後に聞こえてきた。


 キザムたちに一番近寄ってきていたゾンビが廊下に倒れたのだった。


「今の状況じゃ、この拳銃を使うしかないからな。この程度の『矛盾』で歴史が改変されることはないと願うしかないな」


 カケルは手にした銃と、銃で撃たれて倒れたゾンビとを見比べている。


「カケルは銃を扱えるの?」


 こんなときだというのに、そのことが気になってしまった。


「一応、ここに来る前に練習してきたからな。ゾンビの弱点もしっかりと把握済みだぜ」


 カケルが自慢げに言い放つ通り、倒れたゾンビは額の中央を一発で撃ち抜かれていた。キザムも映画やゲームの中でゾンビの弱点をよく見て知っていた。ゾンビは頭──脳みそを破壊されると行動不能に陥るのだ。


 一瞬、撃たれたゾンビも元はと言えば自分と同じ生徒だったんだと思ったが、今は情けは禁物であると思い直した。キザムはゾンビと化した生徒に何度も喰い殺されているのだ。申し訳ないが、今は心を鬼にして、ゾンビ化した生徒を撃退して逃げ道を確保するしかない。


「キザム、ゾンビはオレが片付けるから、おまえはオレの後にちゃんとついてこいよ」


 カケルが廊下の先にいるゾンビ目掛けて、続けざまに銃を連射した。ゾンビがドミノ倒しのように倒れていく様子を確認するまでもなく、廊下を突き進んでいく。


 キザムはカケルの背中に隠れるようにしつつ、傍から絶対に離れないように注意しながらしっかりと後から付いていった。

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