その2
耳に木霊するのは、何発もの銃声とゾンビのあげるうす気味悪い唸り声。
臭覚を刺激するのは、火薬のニオイとゾンビの体から漂う独特のニオイ。
視界に入ってくるのは、床に飛び散る真っ赤な鮮血と、吐き気を催す色彩を放つぐちゃぐちゃの脳みその破片。そして額を撃ち抜かれた後も、まだ体の一部をぴくぴくと不気味に動かすゾンビたち。
目に入ってくるのはゾンビだけではなかった。
ゾンビに襲われたと思われる、生徒たちの死体もそこかしこに散乱している。輪郭も分からないほど顔を喰われてしまった死体。手足を無惨に引き千切られた死体。抉られたように腹の中央にぽっかりと穴が開いている死体。人間としての形を失い、肉片と化した死体の数々。
ゾンビに噛まれた者はゾンビと化すが、ここまで肉体を喰われてしまうと、ゾンビとして復活することすら出来ないようだ。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。
キザムは何も出来ないまま、ただ心の中で謝りながら、カケルの後に付いていくしかなかった。
教室前の廊下にいたゾンビの群れをなんとか拳銃で倒して、二人は棟と棟を結ぶ廊下まで逃げてきた。幸い、こちらにはまだゾンビの姿は見えない。むろん見えないからといって、ゾンビの脅威が皆無というわけではない。もしかしたら、どこかの教室に潜んでいて、静かに『食事』をしている最中の可能性だってある。
「この廊下を渡って、教科棟まで逃げるしかないか。ドアのぶ厚い音楽室あたりに逃げ込めれば、ゾンビの進入も防げて一番安全なんだけどな」
どうやらカケルは校庭には逃げずに、校内で篭城する作戦を考えているらしい。
たしかに一階からは生徒たちの逃げ惑う喚声と悲鳴が間欠的に聞こえてくる。生徒たちの民族大移動が一気に起こったので、下駄箱も大混乱をおこしていただろうと容易に想像出来る。その大混乱の中でゾンビの襲撃が起きたのだとしたら、一溜まりもなかったはずだ。おそらく階下では今、収拾がつかないほどのパニックが起きているはずである。そこに向かうのは無謀以外の何物でもない。
「今から一階に逃げるのは余りにも危険過ぎる」
窓越しに一階の様子を見ていたキザムに気が付いたのか、カケルが声を掛けてきた。
「分かっている。でも、でも……」
危険なことはキザムも十二分に理解出来た。それでも一階に行きたかった。なぜならば──。
「ぼく、流玲さんに保健室にいるように言っちゃったんだ……。だから保健室に行って、流玲さんが無事なことを確認しないと……」
キザムが考えていたのは流玲のことだった。
「流玲さんのことだから、今もきっと保健室にいると思うんだ……」
流玲の性格からいって、校内放送を聞いても校庭には逃げずに、保健室に残っている可能性が高かった。あるいは、もしかしたらキザムが来るかもと思って、待っている可能性もある。だとしたら、自分だけ二階でのうのうとしているわけにはいかない。
「カケル、悪い……。危険は承知のうえで、ぼくは一階に向かうよ。保健室に行って流玲さんの無事を確認しないと、どうにも気持ちが落ち着かないんだ……」
「キザム……。本当に分かっているのか? ゾンビにやられる可能性の方が高いんだぜ?」
「ああ、分かっているよ……。大丈夫。ゾンビにやられるのはもう慣れているからどうってことないさ」
最後はわざと冗談っぽく言ってみせた。
「──分かった」
カケルが決断を下したキザムの顔をまっすぐ見つめてきた。それから、右手に持った拳銃に視線を移す。
「拳銃の弾はまだ残っているな。──よし、そういうことならオレもキザムと一緒に行くよ」
「──ありがとう、カケル。カケルならばきっとそう言ってくれると思っていたよ」
キザムは笑みを浮かべて返した。
「それじゃ、まずは保健室までのルートを考えないといけないな。下駄箱を迂回して、大回りで保健室に向かおう。もしも一階にゾンビが溢れていたら、一旦外に出て、保健室の窓から入り込むのもいいかもしれないな」
カケルがさっそく幾つかの案をてきぱきと出していく。
大丈夫、流玲さんは保健室で待っているはずだから。きっと無事でいるはずだから。
キザムは祈りにも似た思いで、そう自分に言い聞かせた。
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