第3話 あくま

 世の中はそうそう上手くいかない。



 次の日の朝、メルの携帯が鳴った。

 出てみると飯嶋の父親からだった。

「ごめんねメルちゃん。うちのバカ昨日交通事故にあっちゃってさ、今日から暫く練習できないから伝えておいてくれって」

 交通事故。

 嫌な予感がした。

「実はね……左手が全く動かなくなっちまって。医者からも絶対に動かないって言われちまってね。あいつ諦めきれていないみたいで」

 あの明るい父親が電話の向こうで泣いているのがはっきりと伝わってきた。

 お大事に、と言って電話を切ったメル。

 悔しかった。

 悲しかった。

 気が付くと無意識に外に出ていた。


 学校にも行かず街をさまよう。

 気づかないうちに飯嶋と初めて会った場所に来ていた。

(治って、飯嶋の腕)

 私の命を救った様に。

 祈る様に歌うメル。


「お困りですか?」

 突然声がして驚くメル。

 そこには燕尾服の若い男が立っていた。

 こんな街中で燕尾服?

 困惑するメル。

 しかし男は不思議な事を言った。

「あなたの願いは相当強いものですね。良かったら叶えてあげる事が出来ますが」

 何をバカげたことを。

「じゃあ私の……友達の動かなくなった腕を治す事もできる?」

 鼻で笑いながら言うメル。

「飯嶋君の事ですか? 出来ますとも」

 燕尾服の言葉に笑いが止まる。

「ただし、あなたの大切な物と引き換えです。あなたは一生楽器が弾けなくなります。それでも宜しければ治してみせますが」

「いいわ。そうして」

「おやおや。少しはお考えになった方が」

「いいから。早くして」

 彼の苦しみは少しでも救いたかった。

 自分がそうしてもらったこの場でそれを願うメル。

「そうですか。では早速」

 燕尾服の男はそう言っていなくなった。


 嘘には聞こえなかったがそんな事が実際できるとは思わなかったメル。

 飯嶋のお見舞いの為病院に行く事にした。

 

 病室の前まで行くと物凄い大声がした。

「動く、動くよ親父!」

 静かにドアを開けるメル。

「あっ、メル。俺、手が動くよ」

 泣きながら言う飯嶋。

 父親も泣いているのか外を見ている。

 良かった。

 泣きながら言う飯嶋を優しく抱きしめるメル。

 良かった。

 本当に良かった。


 病院を出るとベンチに燕尾服が座っていた。

「どうでしたか」

「ええ、あなたひょっとして天使?」

 問いかけてきた燕尾服にそう答えるメル。

 すると燕尾服はとてもおかしそうに笑いだした。

「私が天使ですか」

 お腹を抱えて笑う燕尾服。

「そのうち悪魔と呼ぶ事になるかもしれませんよ」

 意味深な事を言うと、その場から立ち去った。



 わずか数日で退院した飯嶋。

 軽音楽部の部室で集まる3人。

「おい大丈夫なのかよ」

 心配する中村に向かってギターを弾く飯嶋。

 全く問題は無かった。

 ホッとするメル。

 しかしメルは楽器が弾けなくなってしまった。

 1人ぼっちだった頃、なぜか家にあった楽器は全て使えていた。

 なのに。

 シンセは指が動かない。

 ギターも力が入らない。

 ベースを弾こうにも何度も落としてしまう。

「大丈夫?」

「どうしたんだ?」

 心配する飯嶋と中村。

 でも理由がわかっていたのでメルは笑っていた。

(さようなら)

 優しく楽器を撫でた。

 

 

 スーツの男と会う日が来た。

 飯嶋はメルを病院に連れて行ったが、医者も、

「書痙の様な物かな」

 と言って首を捻るばかり。

 それを飯嶋は正直に話した。

 だからもしデビューとかの話だったらメルの腕が治るまで待ってほしい、と。

 しかしスーツの男は、

「いや、彼女はいらない。君と隣の彼にだけ話がある」

 冷静に言う。

「いや……だったら3人呼ばなくても」

「私は呼んだ覚えは無いけど。君と隣の彼には名刺を渡したけどね」

 メルはその時すでにわかっていた。

 だから言った。

「2人を、どうか宜しくお願いします」



 2人はアイドルのバックバンドとして、数か月後のデビューが決まった。

 メルはとても嬉しかった。

「お疲れ様」 

 部室で練習している2人の様子を見に行くメル。

 2人の腕はどんどん上がっていった。

 そして楽器が弾けなくなったメルを邪険にする事無く、相変わらずメンバーの様に大事にしてくれた。

 それだけでメルは満足だった。



 やっぱり世の中は中々上手くいかない様で。



「久しぶりに家に来ないか? おごるからさ」

 飯嶋が中村とメルを誘った。

「よし、じゃあお言葉に甘えて」

 即答する中村。

「メルも来てよ。特大プリン用意してくれているからさ」

 本当に優しい飯嶋。

 一緒についていく事にした。

 

 そんな飯嶋の家の前にパトカーが何台も停まっていた。

「なんだありゃ?」

 声を上げる中村。

 信じられない物が3人の目に飛び込んでくるまでそう時間はかからなかった。

 手錠をかけられているのは何と飯嶋の両親だった。



 覚せい剤所持、営利販売。

 それが飯嶋の両親の罪状。

 執行猶予なんてつかない大罪。

 勿論デビューの話は無くなった。

 学校でも噂が広まってしまい、飯嶋は登校できない。

 仕方がないので貸しスタジオに集まる3人。

「まぁこんな事もあるわな」

 中村はそんなに怒っていなかった。

 ホッとするメル。

 しかし飯嶋は真白な顔をしていた。

 まるで初めて会った時の自分の顔の様な。

 そして無言。

 終始無言。

「まぁあんまり気を落とすなよ」

 そう言って軽く飯嶋の肩を叩いてスタジオから出て行った中村の顔も、全然元気が無かった。

 静寂の中、

「メル、俺……」

 泣き崩れる飯嶋。

 どこか遠くに行ってしまいそうな感覚が伝わる。

 そんな飯嶋の手を行かせるものか、という風に握りしめるメル。

「バカね、何とかするから待っていて」

 すがる子供の様な目でメルを見る飯嶋。

 そんな顔しないで、大丈夫だから。

 その愛おしい唇に軽くキスをしてメルもスタジオから出た。



 貸しスタジオの屋上。

 ほとんど人は来ない。

 そこで祈りを込めて歌うメル。

 すると後ろから声がした。

「相変わらず良い声で」

 来た。

 燕尾服の男が拍手をしながら立っていた。

「またお願いごとですか?」

 ニヤニヤしながらメルに聞く。

「ええ、今度は飯嶋の家族を救ってほしいの」

 燕尾服に願いを言う。

「ご両親ですよね。これはちょっと難しいですね」

 少し考えこむ燕尾服。

「飯嶋君のご両親が覚せい剤を知ったのが5年前。その時の売人との出会いを無かった事にすればいけるかな?」

 独り言の様に言って大きく頷く。

「それでお願い」

 頼み込むメル。

「でもそれをするにはあなたの大事な物、この場合は大事な出会いを頂く事になりますが」

 伺う様にメルを見る燕尾服。

「いいわ」

「少しはお考えになった方が」

「別にいいから」

「いえ……でも」

「何? 早くして」

「ですから……」

「だから、何よ?」

「飯嶋様との出会いが無かった事になってしまいますが」

 えっ。

 一番大事な物を指定してきた燕尾服。

 メルの動きが止まった。

「飯嶋様とは出会わなかった事になり、中村様とも出会わなかった事になり、勿論飯嶋様のご両親とも出会わなかった状態での人生を送って頂く事になります。当然向こうもあなたの事は知る由もありません。それでも宜しかったら」

 固まっているメルの顔を覗き込む燕尾服。

「それ以外の条件はダメなの?」

 震えながら聞くメル。

「ダメですねぇ」

 肩をすくめ少し笑う燕尾服。

「この悪魔」

 小声で言ったつもりが燕尾服に聞こえたらしい。

「やっぱり言いましたか」

 とても上機嫌になってメルの後ろに回り込む。

「やっぱり人間を作ったのは失敗だったなぁ」

 頭をかきながら去ろうとするその後ろ姿に向かって、

「いいわ。それでお願い」

 大きく声をかけるメル。

 振り向き目を見開いて驚く燕尾服。

 物凄い笑顔になりながらメルに近づく。

 そして語りかけてきた。

「では、ゆっくり目を閉じてください」

 言う通りに目を閉じた瞬間、


 パンッ


 手を叩く音と共に意識が無くなった。



 目が覚めると家のベッドの上だった。

 机の上を何気なく見てみると一番大切な物が無かった。

 飯嶋と中村、3人で撮った写真。

 それですべて理解したメルは泣き崩れた。



 学校に行ったが飯嶋も中村もいなかった。

 教室の後ろにある掲示板には2人がメジャーデビューして全国ツアーをしている写真が飾ってあった。

(私と出会わない世界だとこうなるのね)

 またひとりぼっちになったメル。

(さようなら)

 心の中で小さく呟いた。



 2人は瞬く間に芸能界の住人になった。

 テレビにラジオにたくさん出る様になった。

 そんな2人をメルは遠くから見ているだけ。

 ラジオの公開収録のある日、久しぶりに見た飯嶋の姿。

「飯嶋」

 そう言って近づき窓ガラスを思い切り叩き続けたメル。

 困惑する厚いガラスの向こうにいる飯嶋。

 その目は知らない人間を見る目だった。

 すぐに係員が来て、メルは連れていかれてしまった。

(本当に忘れられているんだな)

 泣きながら家に帰るしかなかった。



 そんなある日、家でテレビを見ていると飯嶋が倒れたとのニュースが流れた。

 心配なメル。

 しかしお見舞いに行けるわけも無く。

 せめて届く様に、と歌うメル。

「いや本当にきれいな歌声で」

 ひとりぼっちの室内に声がした。

 驚いて声の下方向を見ると燕尾服が立っていた。

「飯嶋様の様態ですが」

「何? 悪いの?」

「悪いどころか寿命です」

「えっ?」

「あんまり体が丈夫ではない様ですな。あと2日です」

「そんな」

「まぁ一応ご報告まで」

「……何とか出来ないの?」

「寿命はいじれません。誰かほかの人の命があればできるかもしれませんが」

「じゃあ」

「はい?」

「私の命で」

「えっ……いや、しかし……」

「いいから、早くして」

 


 こうしてメルは燕尾服達の住んでいる異世界の住人となった。

 メル アイウ゛ィーが新しい名前。

 ここはどうやら人間を作った神様達の住まいの様だ。

 喜び、悲しみ、怒り、笑い。

 様々な人々の感情を見ている神々と思われる創生者達。

「人間を作ったのは失敗だったかもなぁ」

 そんな嫌な声がメルの耳をかすめる。

 そんな人間ばっかりじゃない。

 声を大きくして言いたかったが自分の周りには、そういう人間しかいなかったかもしれないと思うと口を噤むしかなかった。

 ここで燕尾服の手伝いをして毎日を過ごす。

 天使も悪魔もそんなに変わらないものね、と思いつつ。

  

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