第五十三話 ツンデレハーフと失われたスコア ③

「ここだ!」

「ここっすね」

「ここって……」


 俺は探検部の二人に連れられてキャンパスの隅にある大講堂の裏の雑木林までやって来ていた。電気設備やら水道設備やらがまとめられていて、冬だというのに雑木林の入口は機械のせいで暖かかった。


「よし、するぞ」

「するっすか」

「いやいやいやいや! 立ちションじゃないですか!?」

「「?」」


 なんの抵抗もなくズボンをずり下ろそうとする二人を慌てて止めて、俺は当然の抗議を行った。二人はきょとんとしている。


「頭おかしいんですかッ!?」

「「?」」


 俺の抗議が一ミリたりとも心に響いていないようで、二人は己の暴れん棒を引っ張り出すとそのまま――


「ちょちょちょストップストップ!! ……ってもう出してるし!」


 ジョボボボボボ…………


 湯気を立てながら地面に注がれる二条の小水……

 俺はそれを冷めた目で眺めることしかできなかった。


「いやあ爽快爽快! たまらんな!」

「悪くないっすね」

「えぇ……」


 キャンパスで放尿って……


「学費を払っとるんだ。立ちションくらいしなくては損だろう」

「いやその理屈はおかしいです」

「ぬ? それもそうだな!」


 がははは!

 笑いながらも放尿は止まらない牛飲先輩だった。どんだけ出るねん。


「別に訳もなくここで立ちションしてるわけじゃないんすよ?」


 一方で用を足し終えてそそくさとズボンを引き上げた舞鯛くんが今まさに自分が『致した』場所を指さした。


「これも『活動』なんすよ」

「『活動』? 探検部のですか?」

「おうよ。十年くらい前の代から連綿と続く活動の一環でな。この場所で放尿するように言われているのだ」

「は……?」


 意味が分からな過ぎて反応ができない。


「大講堂の裏で立ちションするのが、活動なんですか? なんで?」

「「さあ?」」


 二人はそろって首を傾げた。というか牛飲先輩のおしっこ長すぎるんですけど。シシオドシかなんかですか?


「よくわからんが先輩方のお達しだ。『壮大なイタズラ』だとも言っていたな」

「真意までは掴めなかったっすね」

「うーん……」


 いずれにしろ、俺はついて行けそうになかった。



 服の洗濯を終えて、俺たちはそのまま解散することになった。牛飲先輩は地方の出身で、キャンパスの近くで一人暮らしをしているから、帰り道は俺と舞鯛くんの二人になる。


 着替えやら装備やらで大きく膨らんだ重そうなリュックをひょいっと肩にかけて、舞鯛くんはひょうひょうと駅までの道のりを歩いていく。口笛でも吹きそうな気楽さだ。


「舞鯛くんさ」

「? なんすか?」


 少し前を行く舞鯛くんに呼びかけると、彼は首だけをくいっとこちらに向けた。細い輪郭に気だるげな眼はそのままだ。


「なんで探検部に入ったの?」


 出会ってからずっと気になっていたことだ。牛飲先輩はイメージ通りっていうか、柔道部やアメフト部にいてもおかしくないけど、まあでも探検部にぴったりだ。

 でも舞鯛くんはなんとなくそうじゃない。体が特別大きいわけでもないし(むしろ痩せてる)、豪放磊落な性格でもない。正直イカダで川を下るような行為を冷笑しこそすれ、自ら実行するような人間には見えない。


「逆に聞くっすけど、なんで八咫野くんは『Hell』なんかにいるんすか?」

「? 女装がバレて脅されたからだけど……」


 断言できる。辞められるなら今すぐ辞めたい。


「女装……?」


 舞鯛くんが怪訝な表情になった。


「わ、忘れて……」

「……まあ深くは追及しないほうがよさそうっすね」


 と、舞鯛くんはそう呟いてからまた前を向いて歩き始める。俺の問いに対する答えを用意しているようだ。数歩歩いてから、舞鯛くんは口を開いた。


「特に理由はないっすかねえ。申し訳ないっすけど」

「そうか……」


 その返答も予想はしていたから、別に落胆はしない。俺もただ興味本位で聞いただけだし。


「でも、迷ったんすよ、他のサークルと」

「へえ。どこなの?」

「『REVOLVER』っつうとこっす」


 舞鯛君はそう言った。

 『REVOLVER』? 確かテレシアが依頼を受けているサークルだった。なんだかスコアがなんとかって愚痴ってたような……


「そこって確かバンドサークルだよね」

「そっすよ。元禄大学ウチで一番デカいとこっす」


 俺は舞鯛くんがリュックではなくギターケースを背負っている姿を想像した。


「絶対そっちのほうが似合うよ」

「そっすか?」


 舞鯛くんは少しだけ微笑んだ。


「じゃあ、自分もまだまだっすね」

「?」


『まだまだ』

 そう言った舞鯛くんは微笑みを少し歪ませる。


「去年の四月っすかねえ。新歓の時期、自分は『REVOLVER』か『探検部』かで迷ってたんすよ」

「なんでそのチョイスだったの……?」


 バンドサークル=イケてるキャンパスライフ。そんなイメージを持っている人間は多いし、間違ってもないとも思う。それに比べて探検部は……


「そこなんすよね」


 舞鯛くんはどこか他人事のようにつぶやいた。


「中学受験して、高校でも勉強ばっかして、ようやく大学入って、そんで急に選択肢が広がるじゃないすか」

「確かに」

「でもそれって嘘なんすよ」

「?」


 嘘? 

 舞鯛くんの言ってる意味が分からなくて、俺は何も言葉を返せなかった。


「自分は一人っ子で、親にも期待されてるんすよ。言葉には出さないっすけど、まあ分かるっすよね、そういうの」


 なんともない表情で、舞鯛くんは話を続ける。話しながら答えを模索している風だった。


「まだ先の話っすけど、自分らは就職しなきゃいけないっすよね? そこでも無限の選択肢があるんすよ。でもそれも嘘っす」

「さっきから言ってる嘘って、どういうこと?」

「んーっとっすねえ」


 舞鯛くんはゆっくりと瞬きをした。


「未来は無限っすけど、『喜ばれる』未来は有限、ってこと……っすかね」



『喜ばれる』未来。

そんなこと考えもしなかった。


それがどういうものなのか俺は考えようとしたが、どんな未来であれ俺のことを見守ってくれる親はもういなかった。じゃあ......


脳裏に浮かぶのは幼馴染の顔だ。あと、お姉さんとか冷華さんとか。でも、違う。彼女たちは決定的に親とは違う。

俺の喜ばれる未来って、なんだろう。

しかしそんな問いに対する答えがキャンパスから駅までの数分で出るわけもなく、俺は舞鯛くんの言葉に耳を傾けることにした。


「自分には安定した生活を投げ打って探検家になる気概もないっすし、ミュージシャンとして食っていく才能もないっす。せいぜい頑張って大企業に就職して、あとは成り行き」


さして未練もなさそうな口調だった。


「だけどそれでも、『自分が特別』だって思いたいんすよねえ。どう頑張っても平凡なんすけど」


舞鯛くんはそこまで言ってから、振り向いて俺の目を見た。気怠げな目の奥に迷いはないようだった。


「だからまあ、強いて探検部に入った理由を探すなら、『欺瞞』ってとこっすか」

「欺瞞?」

「そっす。何者にもなれない自分が、期間限定で特別になるために入部したっすね。バンドサークルなんてありきたりっすから」


まあ、その手段が立ちションってのが悲しいっすけど。

舞鯛くんは苦笑した。


「随分清々しく言うんだね......」

「迷ったら死ぬっすからねえ、探検部は」


怖いことを呟いてから、彼は


「『ほの暗い欺瞞とは明るいお付き合い』っすよ」


と意味深な言葉を口にした。


「あ、ただ部長は別っすよ? あの人は『本物』っす」

「牛飲先輩が?」

「あの人に欺瞞はないっすよ。いるとこにはいるもんっす、ああいう人間」


 舞鯛くんは羨望を滲ませたあと、ふと思い出したように空を見上げた。


「そういえば『REVOLVER』のほうにもいたっすね。確か斉山って名前だったすけど」


 それって……

 確かテレシアが調査してる人じゃなかったっけ?


「あの人も『本物』っぽかったすけど、どっすかねえ」

「ねえ、舞鯛くん。その人について知ってること、なんかない?」

「といっても自分は結局『REVOLVER』に入ってないっすから、詳しいことは知らないっすよ?」


 そう前置きをしてから、舞鯛くんは気だるげな眼を持ち上げて思案した。


「そういえば、なんとなくサークル内でタブーぽかった噂なんすけど、斉山って人には妹がいるらしいっすよ」

「妹がいるっていうことを話題にしちゃいけないの?」


 俺の問いを受けて、舞鯛くんは補足を付け加えた。


「いや、その妹が難病で入院してるらしいんすよ」


 噂っすけどね。

 

 その日はそこで駅に着いて、そのまま解散になった。


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