第五十二話 ツンデレハーフと失われたスコア ②

「まずは事情聴取かしら……」


 『スコア探し』とだけ書かれた手帳の白いページを眺めながら、わたしは呟いた。手がかりがなさすぎる……

 これでは捜索範囲が『日本中』なのと変わらない。藁の山から針を一本探し出すようなものだ。


 やっぱり断ろうかしら……


 そんな考えが頭をもたげるが、しかし断る間もなく代金を受け取ってしまったし、返すにもタイミングが早すぎるか。


「まあ……適当に探して、一週間ぐらいしてだめなら断りましょうか……」


 そう結論付けて、わたしは肘掛け椅子から重い腰を上げた。どうしてもだめなら鏡太が帰って来た後に全部押し付けてしまおう。


 慌てるか彼の姿を思い浮かべると、なんだか気が楽になった。

 まずは斉山が所属するバンドサークル『REVOLVER』の事情聴取から手をつけよう。



「よしッ! 今日はこの辺で引き上げるぞッ!」


 牛飲先輩は満足そうに大笑した。


「随分速くなったんじゃないすか?」

「始めた頃の倍速ですよ! やっぱりイカダを流線形にするのは正解でしたね」

「ううむ……科学も学べて体力もつく……なんと有意義な活動か……」

「流線形にするのは最初から考えてたんすけどね」


 単にイカダの四隅を削るとイカダっぽくなくなるから嫌だっただけである。


「勝利のため、ときに矜持を捨てることも必要なのだ舞鯛」

「そっすね」


 舞鯛君は感慨もなさそうに首肯した。このくらいのメンタルでないと探検部ではやっていけないのだろう。


「へっぶし!」


 達成感も束の間、俺は体の底から湧き上がる寒気に思わずくしゃみをした。


「だ、だめだ風邪ひく……」


 一応着替えは持ってきていたのだが、何度も川に落ちているうちにストックもなくなってしまった。


「さっさと片づけて大学戻るっすかね」

「体育会のシャワー室を借りるぞ!」


 俺たちはそそくさと粗末なイカダを川から引き上げると、三人でそれを担ぎ上げて足早に大学方面へ駆け出した。



 あれから三日が経った。


 斉山という人間がどういう人間で、普段どういう行動をしているのかを知るためにサークルメンバーに事情聴取をしていると、だんだんと斉山という人間の評価が固まって来た。


『天才』


 この二文字に尽きるという感じだ。


 サークル入りたての一年生の頃から作詞・作曲・演奏技能共に異才を放ち、ルックスも人当りも申し分ないためにサークル内では上級生下級生関わらず絶大なカリスマ性を発揮しているらしい。音楽に対する姿勢はかなりシビアかつストイックであり、一切の妥協を許さないこともサークル内では有名である。学祭にしろライブにしろ斉山が出演する回は他とは一線を画すほどに人気であり、去年の学祭では会場に入場制限がかかるほどだったという。


 そんな斉山にレコード会社から声が掛からないわけもなく、卒業後はプロのミュージシャンとしてデビューする予定だ。


 知らなかった……

 そんな有名人が大学にいるなんて……


 元禄大学はマンモス校なので斉山のような才能ある人間がまだ山ほどいるのだろうが、それでも自分と同世代にこれほど活躍をしている人間がいることは新鮮だった。


「問題は――」


 そんな斉山だから周囲には常に人だかりができており、わたしが本人に近づいて話を聞くとなると支障は大きそうだった。それになぜか宇津木さんからはスコア探しの件は斉山に知られないようにと釘を刺されている。


「天才ならパッと新曲を作れないのかしら……」


 『Hell』の部室でインタビュー結果をまとめながら、わたしは何度目かの溜息を吐いた。



「いやーすっきりしました」


 風呂上り、探検部の備品のレインコートを羽織った俺たちはゴウゴウと音を上げる洗濯機の前に並んで座っていた。


 あれから三日。

 俺たちは着実にタイムを縮めていた。大会までは一週間を切っている。この調子で頑張りたいものだ。


 さておき、毎度のことながら川に落ちて服を濡らしてしまったので、シャワーに入りつつ服はキャンパス内のランドリーで洗濯中だ。

 室内とはいえまだ寒いが、服の洗濯が終わるまではレインコートで我慢である。

 俺は手に持ったおでんの缶(牛飲先輩のおごり)を一口あおると、横に座った二人に言葉を投げかけた。


「キャンパス内にこんな立派なランドリーがあるなんて知りませんでしたよ」

「まあ普段ならあんまり縁がないっすからねぇ」


 舞鯛君がおしるこの缶を片手にそう答えた。


「これも学費から出とるんだ。使ってやらんと勿体ないぞ」


 ビール瓶をぐいっとあおってから、牛飲先輩は平手でバンバンと洗濯機を叩いた。

 こんな寒いのに冷たいビールにまったく抵抗がないようだ。先ほども全裸のままランドリーに向かいそうになって舞鯛君にむりやりレインコートを着させられていた。豪快過ぎる……


「ぬ。催してきた」


 大瓶を一人で空けてなお顔色一つ変えない牛飲先輩が、ぽつりとそんなことを言った。


「口に出さなくても……」

「誰も聞いとらんし構わんだろう」


 がははは! と相変わらず豪快に笑って、牛飲先輩は立ち上がった。


「あ、でも俺も行きたいかも……」

「よし、行こう。舞鯛、お前はどうだ」

「出そうと思えばって感じっすかね」

「うーむ……となれば久しぶりに『あそこ』でするか」

「『あそこ』?」


 牛飲先輩の言葉に、俺は首を傾げた。

 おしっこはトイレでするものだろう。


「そういえばそんな話あったっすねえ」


 舞鯛君も心当たりがありそうだった。探検部では共有されている事実なのだろうか。


「よしッ! 決まりだ!」


 牛飲先輩は心底楽しそうに、俺と舞鯛君を先導し始めた。



「どんな感じですか?」

「全然だめです」

「まじですか……」


 宇津木さんはがっくりと肩を落とした。

「お金払ったんですから頼みますよほんと」


 『Hell』部室のヒーターに手を当てつつ、宇津木さんは抗議の眼差しを向けてくる。この前とは違う色のカラーコンタクト。


「捜索難易度に対して報酬が少なすぎるわよ」

「ですか」

「です」


 はぁ~~~…………


 と、特に怒るわけでもなく、宇津木さんは溜息を吐いた。


「ねえ、ちょっと聞いていいかしら」

「なんです~?」


 あどけない様子で返答する宇津木さんを眺めて、わたしは依頼を受けてからずっと抱えていた疑問を投げかけた。


「あれだけ才能のある斉山先輩が、なんであなたをラストライブに抜擢したの? 宇津木さん、まだ一年生よね」

「もしかして、馬鹿にしてます?」

「ちょっとだけ」

「ですか」


 宇津木さんはのんびりとヒーターの赤い光を眺めている。


「自分、才能があるんですよ」

「そうなの?」

「斉山先輩が言ってたので多分そうです」


 斉山先輩が言ってたから、ね……

 心の中でもやもやする感情を抱えながら、わたしもヒーターに目を向けた。


「見つからなかったら、どうします?」

「……」


 宇津木さんはしばらく応えなかった。


「そのときは……悲しいですかねえ」


 そんな言葉が暗い部室に残った。

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