第五十四話 ツンデレハーフと失われたスコア ④
わたしは大学付属の病院の前に立っていた。まだ夕方とも言えないような時間だけど、季節柄かもう病院の建物は橙色に染まっている。
鏡太から斉山の妹がここに入院しているという噂があるということを教えてもらってから二日経って、わたしは悩んだ結果ここまで来ていた。
そして今、病院に入れないでいる。
「はぁ……わたし、何してんだろ」
スコア探しは難航している。まあダメ元だから仕方がないとはいえ、手がかりすらつかめていないのはさすがに虚無感を覚える。なにか有意義だと思えるような成果が欲しい。
とはいえ。
「人が隠したがっているような家庭の事情をわざわざ詮索するなんて……」
我ながらどうにかしている。ここまですることは誰も望んでいない。身内の病気、それも周りに隠したがるほどの重病なんだから、無理に押しかけるのはどう考えても倫理的に正しい行動ではない。
このまま行っても誰も幸せにならないことは目に見えている。
「この辺にして引き上げよう」
自分に言い聞かせて、わたしは病院に背を向けた。
お金は宇津木さんに返して、このまま依頼はキャンセルしよう。元から無理な依頼だったし、宇津木さんも諦めてくれるだろう。
そうして背負っていた重荷から解放されたような心地で歩き出そうとした矢先、それは起こった。
「やあ、キミが来栖宮さんだね?」
突然名前を呼ばれてそちらを振り向くと、そこには長身で茶髪の男が立っていた。
「オレ、斉山って言うんだけど、知ってるよね?」
「……」
病院の前に置いてきた重荷が10倍になってわたしの背中に舞い戻って来た。
♡
(なんでこんなことに……)
病院の廊下を歩きながら、わたしは暗澹たる気持ちでそう思った。
少し前には斉山が歩いている。
「オレのこと色々調べてるんだって?」
「……人に頼まれて」
「誰?」
「それは言えません」
「ふーん」
斉山は笑った。嫌味なぐらい笑顔が決まっている。
「ロックじゃん。オレ好きだぜ、そういうの」
「はぁ……」
ビシッとわたしを指さして『ロックじゃん』と言われたが、あいにく何がロックなのかはよくわからなかったので、わたしは曖昧に返答をした。
歩くたびに腰からぶら下げたウォレットチェーンがジャラジャラと揺れる。
ダメージジーンズと言い、奇怪な構造のブーツと言い、『いかにもバンドマン』な風体だ。悪く言えば型通り。
「なんでわたしも病室まで連れて行ってくれるんですか?」
「キミがファンじゃないから、かな」
「はぁ……?」
「たまにいるんだよね、オレのファンだからって病院まで押しかけるヤツ」
「なるほど……」
「オレのファンになるのはまあ当然だから仕方がないとはいえ、そーゆーの、さすがに困っちゃうんだよね、ショージキ」
「ですよね」
話し方ウッザ……
「だから、『REVOLVER』でも妹の病気のことはタブーにしたのさ」
「そうだったんですか」
斉山は大仰に振り返ると、もともと高い身長にさらに厚底ブーツで底上げされたその背中をぐっと丸めて、その顔をわたしの顔に近づけた。
カラコンを入れた目がわたしの目を覗く。
「まあ、これからキミがオレの虜になるのも確定なんだけどね」
「いや、すいません。生理的に無理なので……」
「ふーん」
斉山は姿勢を戻し、再びビシッとわたしを指さした。
「おもしれー女!」
★
立ちションするのが日課になってしまっていた。
本番まであと三日だというのに、こんなことをしていていいのだろうか。いやまあタイムの方は順調に縮まっているんだけど。
「よし、そろそろまた『耕す』か!」
体感2リットルは放尿したであろう牛飲先輩がいきなりそう宣言した。
「久しぶりっすねえ。自分、シャベル取ってくるっす」
「気が利くな舞鯛。頼むぞ」
フラッとどこかへと消えていった舞鯛くんの背中を見送ってから、自分が牛飲先輩と二人きりになるのが初めてだということに気が付いて俺は身を縮めた。この人と何を話せばいいんだ。
「ううむ迷いのない男よ」
「舞鯛くんですか?」
「そうだ」
俺と同じく舞鯛くんの背中を見ていた牛飲先輩が、満足そうにうなずいていた。
「入部した当初はまだ目に迷いがあったんだがな。富士樹海で一晩明かしたあとは目から迷いが消えた」
「そりゃそうでしょうよ」
なにしてんの?
「舞鯛のやつは賢い。キャンパス内を漫然とそぞろ歩く大体の連中よりはな」
だからこそ悩む。
と、牛飲先輩は表情を和らげた。
「それはおれのような人間には共有できない悩みだ。だから、矢野」
「八咫野です」
「ぬ? すまんすまん」
バンバンと俺の背中を叩いてから、大柄な探検部部長は大いに笑った。
「活動が終わっても、舞鯛のやつとは仲良くしてやってくれ」
そんなことを言っていると、向こうから舞鯛くんがシャベルを担いでやって来た。俺はもう連日の川下りで筋肉痛バリバリだというのに、舞鯛くんは随分タフだ。
「三人分、持ってきたっす」
「助かる」
ひょいとシャベルを受け取ると、牛飲先輩は立ちションをしたそのポイントにざっくりとシャベルを突き立てた。
舞鯛くんと俺もそれに続く。
「なんで耕す必要があるんですか?」
「それもわかんないんすよ」
「また……」
これも探検部のOBの言う『活動』の一環なのだろう。
黙々と土を掘り返していると、なにか土に混ざって白いものが出てきた。
「なにこれ……灰?」
「ぽいっすね」
「なんで灰なんて埋めてるんです……って、どうせ分からないのか」
「その通りだ八咫野」
(考えてもしかたないか……)
俺は考えることをやめて地面を耕すことにした。
(でも、なんか引っかかるんだよなあ……)
尿、灰、常に暖かい場所、土、水、枯れ葉……
なにかのレシピだったような……でもなんだったっけ? 理科とかじゃなくて、そう、確か日本史で習ったような……習ってないような……
うーーーーーーん思い出せない!
やっぱり諦めて、俺はシャベルに力を込めることに集中した。
♡
「だれなのその女」
一言目がそれだった。
ベッドの上に座ったその細身の少女は、斉山を見て笑顔を浮かべた直後、その後ろにいるわたしを見て露骨に嫌悪感を示した。
「もしかして、彼女?」
「そんなわけないだろう。マイスウィートシスター」
光を失った目で斉山に詰問する妹さんに、斉山はすらりと笑った。
「じゃあだれなの」
「ファンでも何でもない人さ」
「はぁ?」
妹さんの反応に共感する。だってわたしもなんで連れて来られたかわかんないもん。
「でも花蓮ちゃんに会いたくて病院に来てたみたいだし、連れてきたのさ」
「別にわたしは――」
斉山に直接会えて話せればそれでよかったので、もう妹に頼る意味はなかったのだが、それを言おうとするとベッドの上から刺々しい言葉が投げかけられた。
「ちょっと、そこの女の人」
すさまじい形相でこちらを睨みながら、花蓮と呼ばれたその少女は吠えた。
「お兄ちゃんはアタシの物だから、奪おうとしても無駄だよ」
「いらないわよ、あなたのお兄さんなんて」
「はあ? お兄ちゃんが欲しくないなんて頭おかしいんじゃないの? それともなに? レズビアン?」
「いいえ、単純にタイプではないというだけよ」
「おいおい二人とも、一番傷ついているのはオレだぞ~?」
目元に涙をにじませた斉山が割って入ると、妹さんはぷくっと顔を膨らませた。
「だって!」
「まあまあ、来栖宮さんも用事を済ませたらもう来ないから。それに、お兄ちゃんはいつでも花蓮ちゃんだけに夢中さ」
「お兄ちゃん……!」
「……」
キラキラと目を輝かせる妹さんと斉山の応酬に、わたしは閉口した。
なにこの兄妹。
「そんなわけで、バイビ~! 明日また来るよ花蓮ちゃん」
「え、もう帰るの!?」
「今日は来栖宮さんとお話しておくんだぞ~」
「ちょ、ちょっと……!」
そんな予定はない。
言葉通り病室を出て行こうとする斉山に追いすがろうとするも、わたしが部屋を出る前に病室の扉が閉められてしまった。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が夕暮れ時の病室に漂う。
「…………」
「…………」
諦めてベッドの上の少女に向き合うと、相も変わらず嫌悪感丸出しの表情で彼女はこちらを見ていた。
(なんでわたしがこんなことしなきゃいけないのよ……)
内心宇津木さんを恨みながら、わたしは口を開いた。
「その、斉山先輩のことで聞きたいことがあるのだけど」
「……(ツーン)」
ぷいっとそっぽを向いた妹さんに、わたしも取り繕うことをやめた。バカバカしいもの。
「あなたのお兄さん、ラストライブを控えてるでしょ? 知ってる?」
「……当たり前じゃん」
「そう、それなら話が早くてよかったわ」
さっさと終わらせて帰ろう。
そう思って、わたしは本題を切り出した。
「そのライブのためのスコアを、あなたのお兄さんはなくしてしまったそうなの」
「え!?」
その瞬間、めざましい反応が起こった。
妹さんはまるでバケツ一杯の氷水をぶっかけられたかのようなリアクションで驚愕の表情を作ると、わたしを見つめた。
「う、うそ……失くしたって……そんなこと一言も……」
わたしは彼女の取り乱しように逆に混乱した。
重度のブラコンっぽいけど、そこまで? そしてスコアを失くしたという話を知らない?
「斉山先輩はよくここに来るようだから、もしかして妹さんならスコアの在処を知ってるんじゃないかしらと思――」
「……てって」
「はい?」
「出てって!!」
小さな体を思いきり震わせて、彼女はそう叫んだ。
「いきなりなによ――」
「いいから出てって! 人を呼ぶわよ!」
「わかった、わかったから落ち着いて……」
手早く荷物をまとめると、わたしは席を立った。
わなわなと震えながら絞り出すようにわたしを拒絶する少女から逃げるように、わたしは病室を抜け出した。
その刹那、病室の廊下の曲がり角の所に、一瞬銀色のウォレットチェーンが見えた気がした。
「なんなのよ、もう……」
改めて自分が巻き込まれた面倒事の深さを思い知り、わたしは頭を抱えた。
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