第四十七話 引きこもりと戦慄の朝

 真冬の土曜の冷たい朝のことだった。

 布団からはみ出た右腕がキンキンに冷えている。厳しい季節だ。


 伸びをしながら今日の予定を確認していると、ふと昨日の夕方のことを思い出した。


 やけに夏南とお姉さんがやさしかった気がする……


 人の善意を疑うなんて最低だけど、なんというか、いつもと違って目が笑ってないというか……笑顔の裏になにか別の感情があるというか……


「いけないいけない……」


 俺は首を振って邪念も振り払うようにした。

 元茶会とバロックの一件が少しトラウマになっているようだ。俺がしっかりしなくては……



「おはよう」


 階段を降りると、夏南とお姉さんはすでに朝食の準備を始めていた。


「お姉さん、今日は早いんですね」

「たまにはそげな気分ん日もあるんばい」

「? なんで博多弁?」


 ソファでテレビを見ていたお姉さんがにっこりと笑顔を張り付かせたまま振り向いた。

 テレビでは朝のワイドショーが映っている。


『博多の絶品グルメ特集!!』


 そう題された企画で、芸能人たちが博多の名物料理を楽しんでいる。

 あ、なるほど、それで博多弁なのか。御伽さんを連想してしまった。


 疑問が払拭された俺は安心して食卓についた。


「おはよう、きょーくん」

「おは――」


 挨拶を返しかけて、俺は固まった。

 夏南がお姉さんとまったく同じ笑顔だった。

 昨日からずっとこれだ……


「あの……夏南? なんかあった?」

「なんかって?」

「いや、別に……」


 一ミリも表情を変化させないまま小首をかしげる夏南に恐怖を覚えて、俺は追及をやめた。


「さ、さあて今日の朝食は……」


 誤魔化すように食卓に目を向けると、目に飛び込んできたのは異様な光景だった。


「今日はね、パスタと錦糸卵とトウモロコシのサラダ。デザートにマンゴーを用意したの」

「へ、へぇ……金色で統一したんだね……」

「そう、金色」


 心までもが凍り付くような冷たい声音で夏南がそう言った。き、金色? 

 一瞬脳裏にテレシアの綺麗な金髪が浮かんだが、気の迷いだろう。


「いただきま~す……」


 配膳を終えて尚も席に座って一緒に食事を始めるでもなく、夏南は俺のそばに張り付いたように立っている。


「な、なにかな? 一緒に食べないの……?」

「いいから食べて」

「はい……」


 謎の圧力を感じながらも夏南の料理を口にする。うん、やっぱり美味しい。


「どう? 美味しい?」

「うん。いつも通り美味しいよ」

「そうだよね。きょーくんは金色が好きだもんね」

「へ? 別にそういうわけじゃ……」

「金色、好きなんでしょ?」

「いや……あの……夏南さん?」

「なあに?」

「怒……ってたり……します…………?」

「なんで?」

「なんでって……」

「なんであたしが怒ってると思うの? それとも、きょーくんはなにかあたしが怒るようなことをしたの?」

「してません……」


 こえぇよ! ぜってー怒ってるよ! 怒ってるときの夏南だよ! 小学生の時に夏南のお気に入りの服に俺が給食のカレー飛ばしたときの夏南だよ! 気付いたら家で俺が三日くらい昏睡してたときの夏南だよ!!


 なんだ!? なにをやらかした……!?


 全く味がしない料理をかき込みながら俺は思考する。


 思い当たる節がないぞ……

 奇妙なのはどうもお姉さんも怒っているらしいことだった。

 夏南とお姉さんを同時に怒らせる理由……全く思い浮かばない!


 ヒントを求めてリビングに視線を巡らせていると、キッチンの陰の方に俺は人影を認めた。

 あれは……冷華さん?


 冷華さんは俺の方を気だるげに見遣ると、手に持った白い棒状の物を口に咥えた。

 こ、ココアシガレット……?


 なぜココアシガレット? 

 咥えタバコのその姿はまさか……冥子さん?


「はっ!?」


 まさか!?


 『Hell』!?


 なんか誤解されてたりしない!?


「あ、あのう……もしかして……」


 ここは慎重に、慎重に誤解を解かなければならない場面だ。

 そう、確かにいつかこの時が来るとは予想していたんだ。


 『Hell』の構成員はとびきりの美女揃いだ。そこに俺が加わるとまるでハーレムのような状態となるが、その構図を見誤ってはいけない。実態は女王四人に対して奴隷が一人だ。


 そのことを我が家の女王様三人に、きわめて正確に伝えなくてはならない。


「もしかして……誤解があるかもしれな――」


 ブーッ


 と、俺の言葉を遮るようにテーブルに置いたスマホが振動した。これは……LINEメッセージか?


 い、嫌な予感がする……


「どうしたの、きょーくん。取らないの?」

「いや、後でいいかな~なんて……」

「もしかしたら緊急の用事かもしれないよ? とりあえず文面だけ確認しなよ」

「う、うん……」


 有無を言わさぬ夏南の圧力に屈し、俺はおずおずとスマホを手に取った。

 頼む! なんか居酒屋のどうでもいいPRとかであってくれ……!


 この時ばかりはそう祈りながら、俺はスマホの電源ボタンを押してロック画面を表示させた。

 背後では夏南に加え、お姉さんと冷華さんも鷹の目のような視線で俺のスマホを睨んでいる。




 テレシア『ねえ、今日も一緒に病院行かない? この前の検査では安全って言われたけど、わたし不安で……』




 \(^o^)/オワタ




 冷たい衝撃と共に、俺は意識が刈り取られるのを知覚した。

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