第四十六話 元引きこもりと泥沼サロン事件 後編
「全員が全員と付き合ったことがある……だと……」
冥子さんが目を丸くしている。
無理もない。この場にいる誰もが目を疑っている。ちなみに8×8で正解は64カップルである。
「おいこれどうすんだよ……」
横のテレシアに耳打ちするが、当のテレシアは凍り付いて動かない。
まあそれもそうだろう。
「あくまで理論上は64通りのカップルが出来てたということが示唆されているだけで、別に実証されたわけじゃないからさ……まあやるだけやるしかないよ、ね?」
「そうは言うたっちゃねえ……」
自分にはそう言い聞かせてみても、やはり厳しいものは厳しい。今や元茶会とバロックは64本の赤い糸でがんじがらめだ。元カレ元カノ同士の仲がどうなるのかは明白であり、そこを形式上仲良く取り繕ってみても崩壊はすぐだろう。
「こうなりゃもう部室変えるしかねえだろ」
「そうもいかないみたいですよ」
冥子さんの主張に、俺は異を唱える。
「部室棟は常に満員で、多くのサークルが空き部屋を待っている状況です。部室を変えるとなるとどこかほかのサークルとスペースを交換することになりますが、それは難しいでしょう」
「それに、今もカップルはいるんやろ? 離るぅに離れられんばい」
「……めんどくせぇ!」
冥子さんはそう叫ぶとソファにごろりと仰向けになった。こういう面倒なのはやはり嫌いらしい。
「いっそ全員殴り倒して――」
「だめですよ」
さておき、もはやあまり触れたくもないのだが、依頼された以上この案件は解決させなくてはならない。お金もらっちゃってるし。
「A子ってやつはこれを知っていて隠してたんだろ? どういうつもりかツメてみるか?」
「いえ……」
ようやく口を開いたテレシアが、困ったように眉根を下げた。
「そうとも限らないですよ。A子さんはすべての男子と付き合ってるのは自分だけだと思っていて、それが露呈するのを恐れてわたしたちに依頼したのかもしれません。わたしたちが上手く隠蔽できると思ったのかも……」
「腐ってやがるぜ……」
再び沈黙が部室を支配して、それから10秒ほどしてから冥子さんが動いた。
「こうなりゃもうA子の思惑通りにゃできねえ。一か八かだ」
冥子さんの言葉に一同は目を逸らしたが、誰からも反対意見は出なかった。
★
某日。
俺とテレシアはキャンパス近くの居酒屋にいた。
広い座敷には元茶会とバロック愛好会が揃っている。
まさか両サークルの了承があったわけではない。それぞれ俺とテレシアの歓迎会兼新年会のためにこの居酒屋に揃っているのだ。無論、俺とテレシアが上手く話を合わせて、たまたまこの日のこの店でこの時間に両サークルが集まるようにしている。
お互いの部員がお互いの存在に気付いた時には当然ピリついたものだが、しかし俺とテレシアがいる手前で喧嘩を始めるわけにもいかずに、とりあえずは落ち着いて席に着いたという様子だ。
背中合わせに座った俺とテレシアは、なんとなくで息を合わせる。
「わざわざ俺のためにすいません……」
「わざわざわたしのためにありがとうございます」
場の流れを作れるのは俺たちだけだ。努めて平常心で酒の席を動かす。冥子さんのプラン通りの言葉を使えば、爆弾の設置には成功したという状態だ。
あとは点火するだけ……
計画通りだとは分かっていたけども大変なプレッシャーだ。全身の脂汗が止まらない。
かくして、あやとりのように交差する血染めの赤い糸の中心で、裁ちバサミを持った俺とテレシアの戦いは始まった。
★
大事なのは無知を装うことだった。
無邪気さを身に纏えばある程度の踏み入った質問も許容される。
部員にも酒が回り、まさに宴も酣……というまさにそのとき、頃合いを見たであろうテレシアが肘でさりげなく俺の背中を小突いてきた。
ついに来たか……
一度深呼吸してから、俺とテレシアは声を揃えた。
「「そういえば、E太郎さんってJ子さんと付き合ってるんですか? この間二人で一緒に歩いてるのを見ましたけど」」
導火線に火が着いた。
★
結果は語るに及ぶまい。
あえて言えることがあるとすれば、しばらくあの居酒屋は学生出入り禁止になったし、キャンパスの掲示にも16人分の停学勧告が貼りだされた。当然、元茶会もバロックも消滅した。
俺はテレシアをかばって3針縫う怪我をしたし、病院にいる間中テレシアが号泣していた。相当怖かったのだろう。大丈夫か尋ねてみたら真っ赤になって怒鳴られた。「こっちのセリフよッ」だとのことだった。どゆこと?
まあさておき、今回の件はこれで一件落着だ。
喧嘩で収まって本当によかったと思ったし、これからは元茶会もバロックもそれぞれなるべく関わり合いにならないだろう。
――1ヶ月ほどしてから、「カブトムシ同好会」なる謎のサークルが誕生し、部員はちょうど16人だったそうだが、それは現時点の俺たちには知れるわけもないことだった。
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