第四十話 元引きこもりとエクソシズム……そしてミッション

「というか、代表は? 今日はいないんですか?」


 抵抗の意思がないことが確認されたのか、椅子から解放された俺は固まった手首をほぐしながら部室を見渡す。


 沙汰島与太島両名の影響力は絶大だが、しかしこのサークルには別に代表がいる。


 この人はこの人で尋常じゃない人間なのだが、部室にいないのは珍しい。


「……ついに入院したんですか? それともサナトリウム?」

「失礼なこと言ってんじゃねえよ――って怒鳴りたいとこだが、まあその気持ちはわかるぜ……」


 だらしない着こなしのせいでだいぶ胸元が弾けちゃっている沙汰島先輩が眉尻を下げた。

 まったく着こなしを正すつもりがないとこから見るに、どうも俺は男として認識されていないらしい……とほほ……


「うちらが言うたっちゃ全然言うこと聞いてくれんけん、もう諦めとぉ」


 与太島先輩も似たような反応だ。やっぱり言ってもだめか……


「会いたかったら、そこのカーテンの向こうにいるぜ? 挨拶しとけよ」

「いやあ……俺は沙汰島先輩と与太島先輩に会えただけで満足ですよ?」

「ったく……調子のいいやつだぜ……つーかその『サタジマセンパイ』ってのやめろ。キモイから」

「ほんとばい。うちらん仲なんやけん気軽に『御伽』って呼んでや~」

「先輩方とそんな親密になった覚えはな――」

「なんか言ったか?」「なんか言うた?」

「なんでもありません」


 少し睨まれただけで全く反抗する気がなくなる自分が情けない。


「ほら、行けって。代表も喜ぶぜ?」

「いやいやいやいや! 生きてるのが分かればそれで充分ですって!」

「テレシアちゃんも鏡太くんのよかとこ見たかやろ?」

「まあそうですね。これだけサークルから離れてたんですから、挨拶くらいは当然でしょう」

「テレシア!? なんで今日はそんな冷たいんだよ!?」

「勘違いしないで。やさしくしたことなんてないわ」

「そうでした!」


 いつもツンツンでした!

 

 しかし俺たちがそんな風に騒いでいると――


「んぁ……? 誰か来てるのぉ?」


 と、そんな声が部室を仕切ったカーテンの向こうから聞こえた。

 相変わらずへべれけだ。


「げ……やべ……」


 冥子さんがそう呟くと、お伽さんもテレシアも申し合わせたかのようにそそくさと部室から逃げ出していった。


「ちょ、ちょっと! おいてかないでくださいよ!」


 慌てて俺も出口に向かうが時すでに遅し。三人によってドアは外側から押さえつけられ、俺は部室内に閉じ込められた。


「お客さぁん? 男の声ぇ……?」


 来るこの地獄の王から逃げようとドアに渾身の力を籠めるが、効果はない。

 

 ついにカーテンが開かれた。


「………………?」


 ひょっこりとカーテンから顔を出したのは、大きな隈を目の下に作った女性だ。綺麗な黒髪も乱れて口にかかっていたりする。

 

 トロンとした半開きの目が、俺の目を合う……


「あ、あはは……お久しぶり、でーす……」

「きょ……」

「へ?」

「きょーたぁぁぁぁぁああああああああああぁぁああああ!!!」

「ぎゃああああああーーー!!」


 テレビから出てきた貞子もびっくりの高速這いずりで、その女性はコンマ三秒ほどでカーテンの向こうから俺の目の前まで迫って来た。

 というか下着しかつけてないじゃん! 服着なさいよ!


「どごいっでだのよぉぉぉぉおおおおおおお!!!」

「怖い怖い怖い怖い怖い!!! そして酒臭い!!!」


 酣夜叉乃たけなわやしゃの先輩。確か経済学部三年……だったような気がする……

 学部どころか本当に大学生なのかすら怪しいこの人こそが、この悪徳ボランティアサークル『Hell』の代表だ。……正確には『Help』なんだが、まあ活動内容とか手段とか、その辺を評価して、このサークルを知る者からは例外なく『Hell』と呼ばれている。妥当だと思います。はい。


 さて話を戻すが、この酣先輩、出会ってこの方泥酔状態じゃなかった瞬間がない。


「いやちょっと身内の不幸が重なりまして! お久しぶりです! 八咫野鏡太ただいま帰還しました!!」

「おがえりぃぃいいいいい!!!」


 代表も代表なりに俺のことを待ち望んでいてくれたようだ。顔面をありとあらゆる汁で汚しながら俺の顔に頬ずりしてくる。やめて。


 失礼な言い方だけどこれが多分『女の終点』だ……なにが代表をこんなんにしたんだ。俺が許さないぞ。


「うぅ……ぐすっ……会いたかったよぅきょーたぁ……」

「そ、そうですか?」


 酔っ払いを通り越してもう代表自身が液体みたいなものだが、こんな人にでも会いたかったといわれると嬉しく感じてしまうのが男のバカなところである。下着姿なのにまったくエロくないけど。


「わたしとぉ……結婚してくれるんでしょぉ?」

「そんな約束した覚えはないな……」

「うぞづきぃぃぃいいいいい!!!!」

「ええ!?」


 滂沱の涙を流しながら代表は俺にしがみついてきた。


「なんでオトコってみんな嘘つきなのよぉ!」

「知らないよ! ちょっと! いい加減助けてくださいよ!! テレシア!? 冥子さん!? 御伽さーん!?」


 俺の顔にしゃぶりつかんばかりの代表モンスターを手で押さえながら背後のドアに救援を求める。


 ……数秒後、溜息と共にドアが開かれて三人が入って来た。



「ほら、代表、come down ... come down ...」

「うぅ……テレシアちゃぁあん……おぇっ……」

「こいつは悪い男じゃねーぞー」

「……ほんとぉ……?」

「鏡太クンはいつか迎えに来てくるう白馬ん王子様ばい」

「…………よかったぁ……」

「さりげなく俺に押し付けようとしないでくださいよ」

「スヤァ……」


 代表寝てるし。


 むっちりわがままボディを部室の床に投げ出したその姿は、二度と人間に戻れないクリーチャーを思い起こさせる。


「よし、このままベッドまで運ぶぞ。ぜってー起こすなよ?」

「わかっとーばい」

「おいテレシア、お前は右足を持て。八咫野は左足だ」

「了解です」「わかりました」


 一糸乱れぬ統率で代表を四人で抱え上げる。


 うわ……急に半年前が懐かしくなった……

 毎日のように代表悪魔を鎮めてベッドに戻すこの作業を、俺たちはこの陣形で行っていたのだ。

 こんなことでサークルのことを思い出したくもなかったが、しかし自分の居場所をキャンパス内に見つけたような気がして微妙に嬉しいのも事実だ。複雑な心境すぎる!


「……俺たちでいつかこの人を助けてあげましょうね」


 涙を流しながらベッドに転がされた代表を見下ろして、俺は呟いた。

 みんな悲愴な顔で頷いた。



「で、さっそくだが『活動』だぜ」

「まあそんなことだろうと思ってましたよ」


 代表を封印してから数分後、俺たちはいつかのように部室でくつろいでいた。

 ソファで冥子さんが横になり、部室に溶け込めていない瀟洒なテーブルとイスで御伽さんが紅茶を啜っている。一人掛けの肘掛け椅子でテレシアが雑誌を捲り、そして俺は無造作に敷かれた三畳の畳の上で座布団に座る。ご丁寧にちゃぶ台付きだ。


「まだ続けてたんですね」


 湯飲みでお茶をすすりながら、俺は冥子さんに応答した。


「というかいつの間にジーンズ脱いでるんですか。ちゃんと履いてくださいよ」


 もはや冥子さんルーズな長袖しかまともな衣服を着用していない。口には咥えタバコだ。


「あぁん? オレは家じゃこうなんだよ。文句あんのか?」

「ここ大学ですけど」

「相変わらずうっせえなー! 男なら黙って喜んでろよ。ほれ」


 そんなことを言いながらむき出しの生足を見せびらかしてくる冥子さん。


「俺から女性への憧れや夢を奪ったのは主にあんたです。風邪ひいても知りませんよ?」

「バーカ。そんなもんさっさと捨てちまって正解だぜ」


 吐き捨てるように言うと、冥子さんは大きくのびをしてソファに胡坐をかいた。短くなった煙草をテーブルの灰皿に投げ捨てた。灰皿にはもう山のように煙草が積み上がっている。


「んで、茶道会と……どこだっけ?」

「バロックアンサンブルばい」


 御伽さんが呼応して、ぬるりと会議が始まった。


 そう、こんな見るも無残な女の墓場だが、『Help』――もとい『Hell』は一応活動を行っている。

 広義のボランティア活動……と言えば聞こえはいいが、簡単に言えばお金をもらって(タカって)大学内のトラブルを解決する便利屋だ。もちろん大学規則違反だがそんなものがこいつらに通じるわけもない。持ち込まれる案件はそれはもう大変なものばかりで……これについては追々語ろうと思う。


「その二つのサークルの仲裁が主な依頼だぜ。で、ここはいつも通り潜入任務と行きたい」

「はあ」

「とぼけた顔してんじゃねえぞ? オレも御伽も面が割れてらあ、ここは八咫野、てめえの出番だ」

「……どうせ拒否できないんでしょうし、いいですよ。だから御伽さん左手にこっそり構えたスタンガンしまってくださいね。抵抗しないんで」

「なんのことやろー?」

「それと今回は、テレシアも同行してもらう」

「え? テレシアですか?」


 俺は驚いてテレシアの方を見た。


 相変わらずすました顔でファッション誌を捲っている。肘掛け椅子、様になるなあ。


「目立ちませんか?」

「大丈夫だ。オレたちと違ってテレシアはまだあんまり暴れてない。潜入にも使える」

「まあ冥子さんがそう言うなら……」

「よし。テレシア、いいか?」

「なんでもいいわ」


 パンッ!


 と、冥子さんは手を打った。


 これが作戦開始の合図だ。

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