第四十一話 ツンデレハーフと四月九日 前編

「先輩たちにも困ったものだよ……」


 部室を出て廊下を進みながら、彼――八咫野鏡太はそう呟いた。

 半年会わない間に表情が大人びたような気がする。


「なあ? テレシア」


 ぼんやりとその後ろ姿を眺めていたら、彼が急に振り返ってそんなことを言った。

 なんと返したらいいのかとっさには分からなくて、わたしは慌てた。


「き、気安く話しかけてんじゃないわよ!」


(やっちゃった……!)


 そう言い放ってから気付くが、もう遅い。


「ごめん……」


 悲しげに顔を逸らした彼の後ろ姿に後悔が止まらない。が、『いや、今のは違くて!』と言える勇気もない。


(もうっ! わたしの馬鹿!)


 久しぶりに会えたのに……もう二度と会えないかもしれないと思ってたのに、どうして素直になれないんだろう。本当は今すぐ後ろから抱き着きたい……って、違うでしょ!


(上品に上品に……大人の品位というものを大切にしなきゃだめなのよ。ママが言ってたわ)


 彼がサークルに戻って来てくれて嬉しい……でもそれを全面に出すのははしたないこと。


 わたしは理性を保つのに必死だった。


(もどかしいったらもう!)


 どうせこいつはわたしの言葉を真に受けているのでしょうし……このままではいけない。


 まったく振り返らない彼の後ろ姿を見つめながら、わたしは鏡太に出会ったあの日のことを思い出していた。



 四月九日。


 その日は大学の入学説明会の日だった。学部ごとに履修科目の選び方とか、注意点とか、そういうつまらない説明を聞かされる日だ。


 わたしは配られた大量の資料を抱えながら、机にうつむいていた。


 パパの仕事でスウェーデンの高校に進んで三年。大学は生まれ育った日本がよかったので、無理を言って独り暮らしまでしてこうして戻って来たのだけど……


(わたし、やっぱり馴染めてないかも……)


 知り合いがいるわけでもなく、広い講堂にもわたし一人だ。

 金髪碧眼の容姿はどうしても日本では浮いてしまう。日本人の奥手さはよく知ってるから、あまり向こうから話しかけられないのも分かっていた。

 それでもたくさんの人がいる中でこうして一人ぼっちなのはやっぱり不安だ。


(このまま友達ができなかったらどうしよう……)


 脳裏をよぎるそんな不安を振り払うようにして、わたしは目の前の資料に集中した。


 とにかく、まずは真面目な学生生活!



 キャンパス内には、サークルの勧誘で人だかりができていた。

 中庭にはステージが組まれ、ダンスサークルやバンドが鮮やかにパフォーマンスを繰り広げている。

 

 道の両側にはずらりと持ち看板が掲げられ、道を行く新入生にビラが押し付けられる。


(こんなにあるなんて……)


 校舎内の壁を埋め尽くすように張られたポスターを見渡して、わたしは太平洋に放流されたヨットのような気持ちだった。


 サークル選びは大切だ。そこでの人間関係がキャンパスライフを決定すると言ってもいい。


(やっぱりテニスサークルとかが定番なのかしら?)


 テニスサークルに限っても10はある。どこを選べばいいものか……


 知らない校舎を歩き回っていると、だんだんと足が疲れてきた。

 日も傾き始めていい時間だ。今日はもらったビラを持って帰って、あとは家でゆっくり考えようかしら。


 薄暗い校舎の人の少ない角で休憩していると、誰かがわたしの目の前まで来て立ち止まった。


「やあ。新入生の子かな」


 顔を上げると、そこには穏やかな笑顔を顔に浮かべた男子が立っていた。


(初めて話しかけられた……!)


「は、はい……!」


 緊張して声がうわずってしまったが、目の前の男子は気にしていないようだ。綺麗に整えられた髪が、光を反射している。


「僕たちは『Help』っていうサークルをやってるんだけど」


 1ミリも笑顔を崩さずにそう切り出したその男子は、わたしに一枚のビラを渡した。


『ボランティアサークル Help』


「君はボランティアに興味はあるかな?」


 仮面のように表情を変えずに、男子はそう言った。


「ボランティア、ですか」


 正直そこまで興味はない。だが、目の前の人間に面と向かって「興味ありません」とは、当時のわたしは言えなかった。


「やっぱりテニサーとかの方が楽しそうだよね? でも人のために働く喜びも素晴らしいものなんだよ? 先輩も親切だし、兼サーも大丈夫だから、せめて歓迎会には来てみてよ。合わなかったらすぐやめても全然いいし」


 すらすらとそうまくしたてられて、わたしはどうしていいのかわからなくなった。少なくとも拒否するタイミングは失っていた。


「歓迎会は今日の六時からなんだけど、来てくれるよね?」


 感情の読み取れないその張り付いたような笑顔に不気味さを感じながらも、わたしは――


「……はい」


 と首肯してしまった。


(わたしのような浮いた人間にも声をかけてくれる親切な人を、いきなり悪人だと決めつけるなんて……)


「じゃあ、場所は僕が案内するよ。僕らの活動場所はキャンパスの外にあるんだ」


 先導する男子に付いていきながら、私は暗い校舎の片隅に汚れた古い掲示を見つけた。


『悪質カルト宗教に注意!!

   彼らはダミーサークルを騙って勧誘してきます!』


(……まさかね)


 不安を握りつぶすように、わたしはショルダーバッグの紐を握る手に力を込めた。

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