第二十三話 引きこもりと幼馴染のクリスマス

 リビングの床で目が覚めると、すぐ横にお姉さんの寝顔があった。

 美しい着物そのままで、化粧も落としていなかった。あんなに奔放なイメージがあったお姉さんなのに、これじゃあ本当にお姫様だ。


 いい匂いがする。これは……夏南が料理をしているのか。


 俺はのそりと起き上がった。お姉さんは……もう少し寝かせておこう。疲れてるだろうし。


「う~~~ん……!!」


 うんと伸びをして、俺は窓の外を見る。嘘みたいに晴れ渡ったクリスマスの朝は、昨日の騒動から現実感を失った俺の心に光を差し込んだ。


 昨晩。タクシーを家の前につけてからの記憶がない。ふらつくように家に入って、それで倒れ込むようにリビングの床で眠りについたのだろう。泥のように眠ってあっという間に朝を迎えたわけだ。


「起きたんだ」


 背後から小声で囁かれて、俺は振り返った。

 エプロン姿の夏南が立っていた。


「あ、うん……」


 言いたいことが多すぎて、何から言っていいのか分からなかったから、俺はしどろもどろに頷く。夏南もそんなことは分かっているようで、エプロンを外して、お姉さんにちらりと目線を投げかけてから、再び俺の目を見た。


「ちょっと、ベランダに行こうよ」


 そこで話そう、ということだろう。


「そうだね」


 先に歩き出した夏南について行こうとすると、夏南は振り返って、少し困惑した表情で俺の全身を見下ろすようにした。


「……服、着替えてもらってもいいかな?」


 ……そういえばまだ忍者だった。



「ありがとう」


 一言目はそれにした。


「タクシーで来てくれなかったら、危なかった」

「お礼はお姉ちゃんに言ってよ。『そろそろかしら~』とか言っていきなり一人でタクシーに乗せられるんだもん。なにかと思った」

「春姉ぇはすごいな……」

「うん……」


 二人して最強の姉に惧れを成していると、またしばらく沈黙が訪れた。どこかで呑気にカラスが鳴いた。


「ごめん」

「……」


 俺の言葉に、夏南は何も答えなかった。


「『わがまま』だなんて言ってごめん。わがままなのは俺だった」


 並んで立って同じ景色を見ながら、俺は用意していた言葉を夏南に投げかける。春姉ぇがせっかく用意してくれた場だ。ここでふいにしたら何をされるか分からない。


「俺がもう一度家を出られるようになったのも、立ち上がる気になれたのも、全部夏南のお陰だよ。あの時はその……」

「でも、あたしときょーくんがこうしていられるのは秋洲さんのおかげなんでしょ」

「それは……」


 刺すような声音で、横にいる夏南はそう言った。

 俺は考える。

 お姉さんがいなかったら、俺はずっと機械的に夏南のメッセージに既読を付け続けていただろう。それでは夏南とこうして暮らせたりはしなかった。


「それは……そう。お姉さんのお陰だよ」

「……」


 夏南は沈黙した。


「…………ふふふっ」


 そして……笑った?


「あはははは!!!」

「か、夏南……?」


 夏南が壊れた…… 

 俺のせいでおかしくなってしまったのだろうか……

 心配になって横を見たら、彼女は実に愉快そうだった。目が座っている風もない。


「あー面白い! ちょっと意地悪してつっついて見たら、きょーくんってば死にそうな顔で『お姉さんのお陰だよ』だって……! ふふっ! あははは!」


 笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を指で脱ぎながら、呆然と見つめる俺に夏南は微笑みかけた。


「きょーくんは昔からそうだったよね。自分に嘘をついても、他人には嘘を吐かない。冗談でも人から受けた親切を『なかったこと』にはしないんだもん」


 褒められているのに非難されているような気がして、俺は反応に困った。

 

「そんなところが好きになった時点で、あたしの負け」


 清々しい表情で、夏南はベランダの外の景色に対してそう言った。

 それから急に体をこちらに向けると、俺のダウンコートを引っ張って正面を向かせた。俺の目を真剣に覗きこんで、そして笑顔を消した。


「聞いてる? きょーくん。あたし、きょーくんのことが好きなんだよ?」


 反応できない俺をよそに、夏南は畳みかけるように言葉をぶつけてくる。


「あたしはきょーくんのことが好き。異性として好き。幼馴染としてじゃなくて、男の子のきょーくんに恋してる」


 何度も確認するように、俺に一片の誤解も許さないように、彼女はそう断言した。


「きょーくんの恋人になりたい。きょーくんのお嫁さんになりたい。きょーくんとの……子供が欲しい」

「お、俺は――」

「『そんなに立派な人間じゃない』でしょ?」

「……」


 辛うじて絞り出そうとした俺の言葉を封じて、彼女はコートから手を離した。


「きょーくんの自己評価なんてどうでもいいもん。あたしはきょーくんが好き。それだけ」

「……」

「でも、きょーくんがそう思うなら、そしてもし……きょーくんが自分で納得がいくほど立派な人間になれたと思えたら……そのときに返事が欲しい」

「……」


 負けたな。と思った。

 こんなことに勝ちも負けもないだろうけど。俺はこの時、完全に夏南に『負けた』。

 だから、俺ただ赤べこみたいにこくこくと頷いて、幼馴染の『お姉ちゃん』の言葉に首肯することしかできなかった。


「わかった。そうする」

「よろしい」


 夏南はもう一度、微笑んだ。


「それまでは、あたしが予約しておく。覚悟もないままに他の女に流されたら……」


 夏南の目の光が一瞬消えた。


「一族郎党皆殺しにするから」

「それ俺だけじゃん!」

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