第二十三話 引きこもりと幼馴染のクリスマス
リビングの床で目が覚めると、すぐ横にお姉さんの寝顔があった。
美しい着物そのままで、化粧も落としていなかった。あんなに奔放なイメージがあったお姉さんなのに、これじゃあ本当にお姫様だ。
いい匂いがする。これは……夏南が料理をしているのか。
俺はのそりと起き上がった。お姉さんは……もう少し寝かせておこう。疲れてるだろうし。
「う~~~ん……!!」
うんと伸びをして、俺は窓の外を見る。嘘みたいに晴れ渡ったクリスマスの朝は、昨日の騒動から現実感を失った俺の心に光を差し込んだ。
昨晩。タクシーを家の前につけてからの記憶がない。ふらつくように家に入って、それで倒れ込むようにリビングの床で眠りについたのだろう。泥のように眠ってあっという間に朝を迎えたわけだ。
「起きたんだ」
背後から小声で囁かれて、俺は振り返った。
エプロン姿の夏南が立っていた。
「あ、うん……」
言いたいことが多すぎて、何から言っていいのか分からなかったから、俺はしどろもどろに頷く。夏南もそんなことは分かっているようで、エプロンを外して、お姉さんにちらりと目線を投げかけてから、再び俺の目を見た。
「ちょっと、ベランダに行こうよ」
そこで話そう、ということだろう。
「そうだね」
先に歩き出した夏南について行こうとすると、夏南は振り返って、少し困惑した表情で俺の全身を見下ろすようにした。
「……服、着替えてもらってもいいかな?」
……そういえばまだ忍者だった。
★
「ありがとう」
一言目はそれにした。
「タクシーで来てくれなかったら、危なかった」
「お礼はお姉ちゃんに言ってよ。『そろそろかしら~』とか言っていきなり一人でタクシーに乗せられるんだもん。なにかと思った」
「春姉ぇはすごいな……」
「うん……」
二人して最強の姉に惧れを成していると、またしばらく沈黙が訪れた。どこかで呑気にカラスが鳴いた。
「ごめん」
「……」
俺の言葉に、夏南は何も答えなかった。
「『わがまま』だなんて言ってごめん。わがままなのは俺だった」
並んで立って同じ景色を見ながら、俺は用意していた言葉を夏南に投げかける。春姉ぇがせっかく用意してくれた場だ。ここでふいにしたら何をされるか分からない。
「俺がもう一度家を出られるようになったのも、立ち上がる気になれたのも、全部夏南のお陰だよ。あの時はその……」
「でも、あたしときょーくんがこうしていられるのは秋洲さんのおかげなんでしょ」
「それは……」
刺すような声音で、横にいる夏南はそう言った。
俺は考える。
お姉さんがいなかったら、俺はずっと機械的に夏南のメッセージに既読を付け続けていただろう。それでは夏南とこうして暮らせたりはしなかった。
「それは……そう。お姉さんのお陰だよ」
「……」
夏南は沈黙した。
「…………ふふふっ」
そして……笑った?
「あはははは!!!」
「か、夏南……?」
夏南が壊れた……
俺のせいでおかしくなってしまったのだろうか……
心配になって横を見たら、彼女は実に愉快そうだった。目が座っている風もない。
「あー面白い! ちょっと意地悪してつっついて見たら、きょーくんってば死にそうな顔で『お姉さんのお陰だよ』だって……! ふふっ! あははは!」
笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を指で脱ぎながら、呆然と見つめる俺に夏南は微笑みかけた。
「きょーくんは昔からそうだったよね。自分に嘘をついても、他人には嘘を吐かない。冗談でも人から受けた親切を『なかったこと』にはしないんだもん」
褒められているのに非難されているような気がして、俺は反応に困った。
「そんなところが好きになった時点で、あたしの負け」
清々しい表情で、夏南はベランダの外の景色に対してそう言った。
それから急に体をこちらに向けると、俺のダウンコートを引っ張って正面を向かせた。俺の目を真剣に覗きこんで、そして笑顔を消した。
「聞いてる? きょーくん。あたし、きょーくんのことが好きなんだよ?」
反応できない俺をよそに、夏南は畳みかけるように言葉をぶつけてくる。
「あたしはきょーくんのことが好き。異性として好き。幼馴染としてじゃなくて、男の子のきょーくんに恋してる」
何度も確認するように、俺に一片の誤解も許さないように、彼女はそう断言した。
「きょーくんの恋人になりたい。きょーくんのお嫁さんになりたい。きょーくんとの……子供が欲しい」
「お、俺は――」
「『そんなに立派な人間じゃない』でしょ?」
「……」
辛うじて絞り出そうとした俺の言葉を封じて、彼女はコートから手を離した。
「きょーくんの自己評価なんてどうでもいいもん。あたしはきょーくんが好き。それだけ」
「……」
「でも、きょーくんがそう思うなら、そしてもし……きょーくんが自分で納得がいくほど立派な人間になれたと思えたら……そのときに返事が欲しい」
「……」
負けたな。と思った。
こんなことに勝ちも負けもないだろうけど。俺はこの時、完全に夏南に『負けた』。
だから、俺ただ赤べこみたいにこくこくと頷いて、幼馴染の『お姉ちゃん』の言葉に首肯することしかできなかった。
「わかった。そうする」
「よろしい」
夏南はもう一度、微笑んだ。
「それまでは、あたしが予約しておく。覚悟もないままに他の女に流されたら……」
夏南の目の光が一瞬消えた。
「一族郎党皆殺しにするから」
「それ俺だけじゃん!」
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