第二十二話 空き巣と白馬の王子様(忍者)

「その結婚、待ったァ!」


 俺は意を決して壺の中から飛び出した。

 飛び出してから気付く。


(あれ!? 足が引っかかって出られない!?)


 壺の中で足が絡んで上半身しか壺から出られない!

 これはカッコ悪い!!!


「なんですッ!?」

「鏡太くん!?」


 目の前の机の、その片側に並んで座っている着物姿の母娘が、俺を見て目を丸くしていた。


 お姉さん!

 お姉さんだ!!


 さっきから声は聴いていたが、実際に目にすると安堵感が違う。


 お姉さんは見事な着物姿だった。いつもはあんなにもルーズだから、髪をまとめてきっちりと着物を着こなしているその姿を見ると、なんだかこう……ギャップが……

 率直に言えば、お姉さんはこの世のものとは思えないくらいに美しかった。


「なんだこの……忍者? 忍者は!?」


 うっとりとお姉さんに見惚れていると、おっさんのしゃがれた声が聞こえてきて俺は現実に引き戻された。


「なぜ壺に発破などが忍び込んでいるのです!? 百目鬼様!? 説明していただきますよ!?」

「いやわたくしどももなにがなんだか……」

「……」


 というか、え!? お姉さんのお母さん(ややこしい)って、さっき天井裏にいた俺に万年筆を投擲してきたあの女の人!? 母親なの!? 三十代もそこそこにしか見えないけど……


「そこの貴方! どこの誰です! 答えなさい!」


 般若のような形相で睨みつけられて、俺はすくみ上った。逃げ出そうにも壺にはまっているのでそれもできない。


「え、えっとぉ……壺の付喪神……です……」

「なるほど……そうでしたか……曽祖父の代から受け継いだものですから確かに……ってそんなわけないでしょう!」


 秋洲さん(母)の美しいノリツッコミがさく裂した。……案外芸達者なのかな?


「先ほど天井裏にいたのは貴方ですね! 秋洲家に忍び込んでどのような了見です? 答えねば今すぐに警察に通報しますよ」

「ぐ……俺は……」

「それに香波! 先ほどこの男性とまるで知り合いかのような反応をしましたね? もしそれが本当なら今すぐ説明しなさい!」

「え……それはぁ……」


 まさか俺もお姉さんも、堂々と「空き巣に入られた側と空き巣に入った側です」とは言えない。そんなことを知られでもしたらそれこそお姉さんの人生が終わってしまう。



「……もしや、事情を話せない関係ではあるまいな?」



 突然、ドスの効いたそんな声が聞こえて部屋は静まり返った。

 おっさんだ。おっさんが静かに俺たちを睨んでいた。

 その眼には容赦も笑みもない。


「……随分と馬鹿にされたものですな、秋洲さん」


 そこには、さっきまでの寛容で押され気味の男の姿はなかった。

 その身一つで財を築き上げた男の気迫だけを纏い、彼は静かに激怒していた。


「互いに協力して、心血も時間も注いで進めて来た縁談ですが、まさかこのような結末とは……」

「いいえ百目鬼様! これには誤解が……香波! はやく説明なさい!」

「説明もなにもあるかッ! おおかたこの間の失踪もこのふざけた格好の男と遊びに抜け出していたんだろう! よくもそんな無礼なことができたものだ!」


「それは違う!」


 轟々と響くおっさんの声を、俺は遮った。


「俺とお姉さ――秋洲さんはそんな関係じゃない!」

「なら、どんな関係だ……?」


 ギロリとおっさんに睨まれて縮みあがる。

 やっぱこえぇえ!!!


「確かに俺と秋洲さんは、ここ一週間ほど会っていました」

「ほら見たことか、まった――」

「でもそんな、あなたたちが考えるような関係じゃない! たまたま出会っただけだ! それで……」

「……それで?」


 言葉に詰まった俺を、おっさんが追及する。


「……それで、俺はお姉さんにお世話になったんです……それなのにお姉さんが突然いなくなったから……」

「鏡太君……」


 お姉さんが心配そうに俺を見つめてくる。『お世話になった』という点がピンと来ていないのだろう。それもそうだ、お姉さんには自覚がない。


「お姉さんは失意の底にいた俺を助けてくれました。感謝の言葉を届けるつもりで来ましたが、この縁談、お姉さんが納得いかないならもう少し待ってほしいと思います」

「わけのわからんことを……」


 おっさんが怒るのも当然だ。だって肝心のところ伏せてるもん。空き巣だもん。


「親同士が決めた結婚を、お前のような小僧に口出しをされる覚えはない!」

「あんたらはいつもそうやって! そうやって全部自分で決めて! それが正しいんだと決めつけて、子供に押し付け来たんだろ!? 言うこと聞かないならそうやって睨みつけて、無理やり飲み込ませて来たんだろ!?」

「なッ!? いきなり何を!」


 少しの間黙っていたお姉さんのお母さんも驚愕した様子で俺を怒鳴りつけた。


「子供は黙るさ! だって怖いもん! 親が絶対だって信じてるもん! でも子供にだって考えてることぐらいあるんだよ! 自分で決めたいことだってあるんだよ!」

「ガキが知ったようなことを……」

「知ってるんだよ俺は! それがどれだけ怖いか! それがどれだけ嫌なのか! 半年間家から出られなくなるくらいには分かってる!」

「…………」

「お父さんもお母さんも死んで……気持ちの整理もつかなくて……そんなときにクソみたいな大人たちにいいようにされそうになって……そんなのって最悪だろ!? 悲しんでる間くらいほっといてくれよ! なあ!?」

「……ッ」


 お姉さんのお母さんが、一瞬痛々しげな表情になる。


「……親になっとらんから分からないのだろうがな、小僧。親が決めることは全部子供のためだ。黙って聞いていれば――」

「それが嫌なんですよ百目鬼さん! そんなことを言うから、子供は罪悪感で口を噤むんです! 子供のためを思ってるなんて当然知ってますよ! そんなこと! それでも嫌なものは嫌なんです! ほら! 瞠目さんなんて口噤みすぎて一言も話さないじゃないですか!」

「いや倅のこれは生まれつきだ」

「あ、そうなんですか……さておき! あなたのしていることは子供のためであって子供のためになっていません! 俺たちは確かにあなたたちの『子供』ですが、もう『子供』じゃないんです! これ以上拘束しないで!! お願い!!!」

「ええい黙れッ!」


 しびれを切らしたのだろう。おっさんが猛然と立ち上がってこちらに向かってくる。あれは殴られるな……でも壺に嵌って逃げられないな……


 なんて思っていると……


「…………」

「なにッ!?」


 俺の顔面に届く直前で、おっさんの拳が止められていた。

 百目鬼さんだ! ドドちゃん氏が掌でおっさんの拳を受け止めている!


「………………」

「……まさか本気にしたんじゃないだろうな? 瞠目」

「……………………」


 百目鬼さんは黙って立ち上がると、淡々と服を脱ぎ始めた……なんで?

 やがてシャツを脱ぎ捨てると、百目鬼さんの上半身が露わになった。


 ム、ムキムキだ! すごい筋肉だ!!

 もうなんか、なんというか……コンクリート? みたいな? 


 そんな百目鬼さんはぐっと腰を落としてどこかで見たことのあるポーズをとると……


「うおおおッ!?」



 おっさんに向かって突進して、そのまま部屋の外におっさんごと飛び出した!

 縁側を飛び降り庭にまでおっさんを押し出すと、そのままおっさんを持ち上げて……


 いったぁああああーーーーー!!! 池に投げ落としたーーーー!!!!


 十二月の末の凍った池に投げ込んだーーーーーー!!!!



 ものすごい水しぶきの後、静かな水面からは、いつの間にかこちらも上半身裸になったおっさんが立ち現れていた。

 こっちもすごい筋肉だ……中年男性とは思えない……


「……なかなか成長したようだな……倅よ」

「……」

「だがまだ甘いわ!」


 言うが早いわおっさんも百目鬼さんのベルトを掴むと、そのままバックドロップの要領で彼を池に叩き込んだ。


「まだまだ大人になった証明にはならんッ!! かかってこい瞠目ッ!!!」

「……!」


 二人の筋肉達磨による熱い戦いが繰り広げられる中、部屋の中はもちろん凍り付いていた。


「え、なにこれ……どういう状況?」


 誰も百目鬼親子の凶行についていけない。……どういう状況?

 はッ!?


 その時、俺に天啓が降りた。そうだ! 今しかない!!


「お姉さん! 俺と一緒に逃げよう!」

「え!?」


 俺の突然の言葉に、お姉さんがビクリと反応した。


「ここを抜け出しましょう! そしてもう一度気持ちの整理を付けましょう!」

「なにを勝手なことをッ! 香波! さっさと通報しましょう! 百目鬼様にも謝罪を――」

「……いいえ」

「……なんです?」

「いいえお母様! 私は結婚なんてしません!」

「何を言うのです香波! これはもう決まったことなんですよ!?」

「違うわ! お母様が『決めた』ことよ! 私の中ではこれっぽっちも『決まって』ない! お父様だってこんなこと望んでない! 断言できるわ! …………鏡太君ッ!!」

「はい!!!」


 お姉さんは立ち上がると、

 猛然と、

 笑顔で、

 大声で、


 俺にこう叫んだ。



「私をここから連れ出して!!!」



「俺に掴まってください!!!」

「ええ!」


 お姉さんは着物を翻して俺の下に駆け寄ると、ひしっと俺の背中にしがみついた。

 うおっ! お姉さんのいい香り……!

 じゃなくて!


「これどうやって抜け出すつもりなの!?」

「ノープランです……」

「ちょっと鏡太君!!」


 お姉さんをさらう覚悟が出来たのはいいが、相変わらず上半身しか壺から出せていないので一ミリも移動ができない。これは参った!


「いい加減にふざけるのはおやめなさい!」


 般若のような形相で、お姉さんのお母さんが立ち上がった。


「まずいわ鏡太君! ああなったお母様に捕まったら終わりよ! 骨の200本や201本は覚悟しないと!」

「それもうほぼ全部じゃないですか!!」


 いかんこのままではつくね団子みたいにされてしまう!


 俺はきょろきょろとあたりを見回すと、なんだか長い柄のついたハンマーがすぐそこに落ちているのに気が付いた。

 これは……庭仕事に使うものだろうか? 百目鬼親子の激突でここまで転がって来たに違いない。

 もうこれしかない!


 俺は猛然とハンマーを掴むと、両腕でそれを振り回しはじめた。


 そう! ハンマーを杖代わり、すなわち足代わりにして移動するのだ!!


「うおおおおおおおおおおおおお!!!!!」


 奮起してハンマーを振り回し、時には跳び、時には何かに引っ掛けながら秋洲邸を移動していく。


「鏡太君なにそのスキル!?」

「これが男の底力ってもんです!! それよりお姉さん! ナビしてください!」

「そ、そうね! そこを右よ! ちょっと高いけど塀を乗り越えて!!」

「はい!!」


 壺から上半身を生やしてハンマーを振り回しながら美女を救う。

 思い描いていた白馬の王子様像とはだいぶ違うが、俺にはこれが一番だろう。


「よいしょーー!!!」


 ハンマーを駆使して、ついに俺は塀を乗り越えて道路に飛び出した。


「きゃあ!?」

「へぶッ」


 俺を下にして俺とお姉さんは地面に激突し、その衝撃で壺は粉々になった。


「だ、大丈夫ですか!?」

「鏡太君こそ!」


 お互い怪我がないことを確認すると、俺はお姉さんの腕をつかんだ。


「きょ、鏡太君!?」

「行きますよお姉さん!」

「あっ、ちょっと……」


 お姉さんの声で、俺は駆けだすのを思いとどまった。

 そうだ、俺たちは靴も履いていない。これではあまり遠くには逃げられない……


「くッ……ここまで順調(?)だったのに……」

「そうね……あれ? 鏡太君、あのタクシー……」


 お姉さんが怪訝に言ったのを聞いて、俺は光の方を向いた。確かに、お姉さんの言う通りタクシーがこちらに向けて走っている。呼び止めたいが『賃送』表示だ……人が乗っている……


 がっかりしていると、意外にもタクシーは俺たちの目の前に停車した。

 俺とお姉さんが呆気に取られていると、やがて助手席の窓が開いた。


 そこには……


「夏南!?」


 夏南がタクシーに乗っている!


「……そういう反応はいいから、とりあえず乗って」

「う、うん……」


 夏南は少しバツが悪そうに顔を逸らすと、後部座席のドアを開けてもらった。俺も黙って車に乗り込む。


「……あんたも」


 夏南はちらりとお姉さんに視線を投げかけると、やはりぶっきらぼうにそれだけを呟いた。


「…………ありがとう、夏南ちゃん」


 微笑んで、お姉さんは応える。


 お姉さんが乗り込むのを確認すると、タクシーは速やかに発車した。

 騒がしい秋洲邸を背に、タクシーは夜の街に吸い込まれていく。




 クリスマスイブの夜は、こうして更けていった。

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